原風景としての中世ヨーロッパ
前々回に、「異世界」は中世ヨーロッパをモデルにしているケースが多いと書きました。
今回はその理由を検討してみたいと思います。
端的にいってしまうとRPGゲームの影響でおしまいなのかもしれません。
さらにルーツを探すとファンタジー小説の「指輪物語」あたりにさかのぼるのかもしれません。
何にせよ、一定のフォーマットが揃っていて、それが非常に使い勝手が良いためみんなで使いまわして定着したように思います。
それ以外の理由を探して見ます。
まず、現代文明は基本的にヨーロッパ文明から派生してきたという事実があります。
現代文明の原記憶をさかのぼると、自然と中世ヨーロッパにたどり着くという事情があります。
他の諸文明を参照すると、いろいろ過不足するものが多くてバランスが悪いのです。
中世ヨーロッパの真実というものはぼくらあたりにはなかなか分からない部分が多いのですが、断片的イメージとしては相当なものがあります。
そこに都合のいいファンタジー要素を継ぎ合わせて世界観をでっち上げるには、近からず遠からず絶妙な距離感があるのではないでしょうか。
サブカルチャーとしてメディア展開したときに、世界市場に展開しやすいという「大人の事情」もかなり影響しているでしょう。
(Web小説としては関係ないですが、ルーツのRPGゲーム等の話です。)
中世ヨーロッパ特有の事情もありそうです。
王国や貴族ごとの領地に分かれた封建制というのは、世界史上類が少ないようです。
適度に権力が分立しているので、主人公を活躍させやすい気がします。
アジアの諸帝国のように集中した権力が存在すると、個人の能力ではおいそれと太刀打ちできません。
その上、教会や同業者組合のネットワークが広範囲に存在したりします。
独立自営業者の「冒険者」などが活躍できる舞台は、こういったものを前提にしないと難しいかもしれません。
中世ヨーロッパは、先進的なローマ文明が滅んだ跡に、歴史を千年以上逆戻しにするかのようにして生まれた文明なので、未開な印象の合間合間に奇妙な文明の残照を感じさせたりします。
これが全体に奥行きと陰影を与えているのだと思います。
これがあればこそ、エルフとかの存在が際立つのではないでしょうか。
世界の規模感としても、ほどほどに広いといった感じです。
世界全体の人口が数百万人くらいのスケール感が多いでしょうか。
現代世界人口70億からすると1000分の1くらいです。
現代世界は「異世界」が1000個存在する規模と複雑さだとすると、正直げんなりしてしまいます。
「現実」はたいがいこの規模感だけでうんざりです。
どんなに想像力をめぐらしても、状況をコントロールできる可能性など皆無に近いでしょう。
「物語」にはやさしくないのが現代世界です。