「異世界転生」ものとその周辺
本日2回目の投稿です。
Web小説を「異世界転生」ものを中心に読み解いていこうと思います。
これにあてはまらないものも多数存在するわけですが、所詮個人の仕事なのでご容赦ください。
とりあえず「異世界転生」ものの周辺は押さえておこうと思います。
まず、「転生」にこだわらなければ、「異世界召喚」もの、「異世界転移」ものといっていいものが多数存在します。
また、最初から主人公が「異世界」に属している形式のものもあります。
これらは広く「異世界」ものとして捉えることが可能ですし、サブカテゴリーごとの特徴の違いを列挙していくことも可能かと思います。
これらの違いは、作品ごとに大きな意味を持つ場合もほとんど意味を持たない場合もあります。
単なる物語の道具立てであってどの形式であるか重要でない場合が多いのです。
あえて傾向を挙げていくならば、「転生」ものは主人公がニートであったりして「現実」に強い忌避感を持っている場合が多いようです。
赤ん坊から人生をやり直すということで、「現世」をリセットできる(したい)という特徴があります。
容姿に優れなくとも、コミュ障であっても、最初からやり直せれば問題ないという切実な感情が背後にあるようです。
記憶を保ったまま別人として人生をやり直せるのが、「転生」ものの魅力でしょうか。
「現実」の中で強いトラウマを植えつけられた人格にとっては、単に異世界に移動して特異な能力を入手しただけでは癒されないものがあって、そこで「転生」という形式が選ばれるということでしょう。
「召喚」ものは、「勇者」として異世界に召喚されて「魔王」と対決することを期待されるというのが黄金パターンで、これから派生するパターンが多数存在します。
基本的に「召喚者」は目的を持って「召喚」するわけで、最初からドラマが組み込まれているといえます。
RPGゲーム等の模倣であるととりあえずいえる訳ですが、Web小説においてはむしろ黄金パターンをいかにずらし別物を描いていくかが追求されます。
レベルアップを重ね最終的な勝利をつかむというのが、メジャーに属するRPGゲーム的作法であるとしたら、そこに乗っかりながらも個人的でマイナーな目的に邁進するのがWeb小説的であると思います。
これ以外にもなんとなく「異世界」に転移してしまうといったゆるい形式のものがあります。
「転生」もの、「召喚」ものを含めて、これらでは「現代日本人」としての意識で「異世界」を冒険するという趣向が楽しまれます。
「現代日本文化」の特異性を「異世界」を鏡にすることで照射していこうという傾向が強いです。
後述するチート能力とあわせて、「現実」では不可能な快楽を追求することも多いです。
もともとの異世界人を主役とする場合は、価値観も「異世界」のものに縛られるのが自然なので、現在のWeb小説ではあまり好まれないようです。
(旧来のファンタジー小説はこういうものでしたが、どうしても不自然さが気になったものです。)
「異世界」に現代日本人の知識と価値観を持ち込むとどうなるかといったシミュレーションが、現代的な「異世界」小説の楽しみ方の中心なのでしょう。
「異世界」もののバリエーションとして、「ゲーム世界」に閉じ込められるという形式のものがあります。
サイバーパンクSF小説の流れをくむといっていいのでしょうか、仮想現実を実現するテクノロジーが前提となります。
ファンタジーをベースにするか、SFをベースにするかという趣向の違いはありますが、多くを「異世界」ものと共有しています。
ただ「現実」への忌避感は圧倒的に弱く、ゲームを楽しめる「日常」への回帰が主題になりがちです。
メジャーな価値観との緊張が弱いので、本稿では「ゲーム世界」ものにはあまり立ち入らないつもりです。
というわけで、とりあえず「異世界転生」ものをメインに以降の分析を進めていきます。