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「転生」を描く覚悟

主人公の「転生」を描写するということは、ある種特別の覚悟を要するのかもしれないと思いました。


作者にとっても読者にとっても、主人公は感情移入の対象のはずです。


「転生」を描くからには、それ以前に「死」を描く必要があります。

まずもって自分自身の「死」をイメージし、それまでの自分が消え失せていくことをイメージし終わらなければ、「転生」について書けないような気がするのですが、どうでしょう。


もちろんイージーに設定の都合だけで簡単に主人公を殺していてもおかしくないのですが、そもそも「異世界」ものを書くのに「転生」を選ばなければならない理由は多くないのです。

(不健全なイメージも付きまとうし。)

現代知識を持った上で赤ちゃんから人生を始めたい、というのであればしかたないですが。



「自分の死」とはどのようなものでしょう。


苦しみや痛みを感じながら徐々に自分の力が抜けていって、心細さや切なさに包まれ、遣り残したことや失敗したことを後悔したり、最後の未練をかきたてられたり、これまでの自分の努力が無に帰していくことに絶望しながら、意識が闇に吸い込まれていく、という感じでしょうか。


なかなかに、これはしんどいです。


普通の人は、無意識のうちにこのような想像からは目をそらそうとするものです。


かりそめにでも「自分の死」を描くというのは、目を一瞬でもそちらに向けるということです。


これはやはりちょっと特別のことではないでしょうか。



なぜ「転生」という選択肢を選ぶのか。

「自分の死」を主人公に経験させたかったから、というのが妥当な答えなのかもしれません。


「死」というのは、人生最大のイベントです。(当然です)


これを経験することで主人公の価値観は変容します。

変容せざるを得ません。

あらゆる見方が一変しておかしくありません。


これはいわば、新世界で再生するための「通過儀礼」としての「死」です。


「転生」を選択する作者は、主人公にこの通過儀礼を経験させたがっているのでしょうか。



「死」を観念することで、現世のしがらみから解放されるということは確かにあります。


作者は、普段からそういう「死」のイメージを身近に感じているのではないのか、というのがぼくの想像です。


「異世界」でキャラクターを思う存分遊ばせるためには、「死」という通過儀礼が必要というのはなかなか苛烈な発想です。


そういう発想がかなり多くの作者・読者に支持されているという事実は、ちょっと特別に気をつけるに値することなのでしょう。



これまで数回、「異世界転生」ものというよりは「異世界」もの一般に通じる話が多かったので、今回はちょっと原点に戻ってみました。





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