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陽極の声


 ベルはポケットの中の金属片を弄った。

 金属片は、時計の一部のようだ。文字盤部分はひしゃげて見る影もない。大きさの割に重く、表面の金メッキがはがれ、ところどころに焼け焦げたようなくすみと溶融の後が見えるが、その下地の色は白紺青に輝いている。銀か、もしかしたら白金かもしれない。よくよく見れば、時計としての意匠もなかなかに凝っていて、破壊されているとはいえ、その価値を考えると胸が躍る。

 この壊れた時計は、昨夜の魔物、トゥルヌスとの遭遇の後に拾ったものだ。魔物が何処からか拾ってきたのか、もしかしたら、犠牲者の持ち物なのかもしれない。もしそうだとしても、犠牲者には申し訳ないが、有難く家計の足しにさせてもらうつもりである。

 取り上げられるのが嫌でユノには報告しなかったが、今になって考えてみれば、犠牲者の可能性を示す証拠であるので、提出すべきだったかもしれない。……いや、なにもあの魔物が落としたと決まったわけではないのだ。ベルは自分にそう言い聞かせた。

「おい、だから聞いてんのか? 人の話はちゃんと聞けよ」

 アークの不機嫌そうな声が耳をつく。

「聞いてる聞いてる」

 適当に相槌を打った。

「お前な、人間の分際で十二柱神になんて言葉遣いをしてるんだ。頭おかしいんじゃないのか」

 あくびを噛み殺す。実家の農作業に比べれば温い仕事だが、眠れなかったのはやはりキツい。なんだか肩が凝ったので、ベルは腕を大きく回した。気のせいか、このソージキを持っていると疲れやすい気がする。乗るのにあれだけ神経を使えば当然かもしれないが。

「まったく、人間たちのモラルの低下にはあきれ果てるな」

 空からは朝焼けも消え、雲一つ無い快晴が広がっている。とはいえ、秋風は徐々に冷たさを増してきている。どこかで防寒具を調達する必要があるかもしれない。

「聞いてるのか? おい。人の話はちゃんと聞けって、学校で習わなかったのか?」

 レーンからもらった地図を広げてみる。

 開いた瞬間、ベルは唖然とした。丸っこい字に、蛇ののたくったような線がちりばめられ、各所にデフォルメされた猪(のような物体)や狼(のような物体)や草花(なぜか全部チューリップだ)が配置されている。道を示すと思わしき線は、大げさに曲がりくねりながら幾重にも分岐をし、何処を指し示しているのかさっぱり分からない。それが示す地点は、ベルの知る他のどんな地図にも当てはまらないような気がする。と、言うか、真面目に見る気さえ失せてくるような代物だ。これはユノが描いたのだろうか。

「なにこれ。さっぱりわかんないじゃない」ベルは舌打ち交じりにぼやいた。「ったく、使えねぇなぁ、あのババァ」

「おい。だから、神に対してそんな台詞を吐いていいと思ってるのか、お前は」

 アークはしつこく突っかかってくる。

「うるさいなぁ。じゃあ、あんたも見てみなさいよ」

「――なんだぁ、こりゃあ」アークは地図を受け取ると、眉をひそめた。「誰が描いたんだこりゃあ。幼稚園児か?」

「そりゃあ、あのオバさんなんじゃないの?」

 アークは舌打ち交じりに言った。

「うすうす思ってたけど、あのババァ、ちょっと頭おかしいんじゃないのか」

「あんたも言ってんじゃないのよ」

「そ、それはそうと」アークは慌てて話を変えた。「お前、そんな格好で旅するつもりなのか?」

「なになに、服買ってくれんの?」

 思わず身を乗り出す。

「そうじゃなくて、魔法少女には制服が有るんじゃないのか?」

 アークは引き気味に言った。

「貰ってないのよねぇ、それ。別に要らないけど」

「武器は? 護身用に必要だろう」

「あんたが守ってくれるんでしょ。そのためのお供の天使じゃないの」

「天は自らを助くものを助けるって言うだろうが。……仕方が無いな」

 アークは懐をごそごそとまさぐると、玩具のように小さなナイフを取り出した。どこかにポケットでも付いているのだろうか。

「――それでどうしろと?」

 アークの丸っこい手の上でちらちらと火花が散ると、玩具のナイフがみるみる大きくなり、一振りの短刀へと姿を変えた。それは、あの魔物、トゥルヌスを撃退した時に使ったものだった。

「一応、それを持っておけ」

「くれんの?」

「やらねえよ! 友達からもらった大事な物なんだから、失くすなよ」

「友達って、例のメーフィスって天使?」

 そういえば、アークは行方不明の友人を探していると言っていた。

「ああ」

 アークは素っ気無く言うと、また地図に目を落とした。それ以上のことを言う気はないようだ。

 ベルは受け取った短刀を腰帯に差しておいた。

「よし、じゃあ行くか」地図を丸めながら、「とりあえず、北へ向かえばいいんだろう、たぶん」

「えっ、もう行くの? あたし昨日、一睡もしてないんだけど」

「一日くらい寝なくてもなんとかなるだろ。俺は急いでいるんだ、行くぞ」

 言うが早いか、アークはさっさと飛び立ってしまった。

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 慌てて、ベルもソージキに乗って後を追った。



 半島北部辺り。

 都市部から大分離れて、空にはもう、飛び交う天使たちの影もない。天使はいまだ人数が少なく、都市部やその周辺にしかいないのだ。耕作地帯で人口もまばらであるこの周辺に、余計な人員を割く余裕はないのだろう。

 眼下には広大な稲田が広がっている。このあたりで稲作は珍しい。

 稲は今、ちょうど収穫期だ。収穫した稲を天日干しにして乾燥させる、稲杭掛けがあちこちに立てられているのが見えた。しかし収穫はまだ始まったばかりのようで、刈り入れを待つ黄金色の実りが多数、頭を垂れて佇んでいる。そこへ秋風が吹くたび、黄金色の津波が走ってゆく。その光景の前には、ただただ感謝という言葉しか思い至らない。秋の実りは、命を育てる恵みなのだ。

 あくびを一つ。

 前方を飛ぶアークの耳が大きくはためき、ベルの視界を遮る。ものすごく邪魔だ。ベルはなんだかまたイライラしてきた。

 そのアークはというと、例の地図を眺めながら、眉間に皺よせぶつぶつとうなっている。

「――なんだよこれ、さっぱり地図がわかんねえな」

「ああ?」

「さっぱりわかんねぇんだって、地図が。現在地すら分からん」

 アークはしきりに首を傾げている。

「いいわよ、もう。適当に北に行けばいいんでしょ」

 眠くてイライラしていたベルは、適当に受け流した。

 ふと、視界の端に黒い影が映った。

 目を向けてみると、それは何かしらの建造物のようだった。四角い大きな塔が幾つかと、その周囲に無数の建物が針山のようにひしめいている。このあたりにあんな大きな街があるなんて、聞いたこともなかった。

 止まってアークにたずねると、アークは相変わらず地図とにらめっこしつつ答えた。

「あれはたぶん陽極の一つ、第五陽極だな」

「陽極?」

「そう、陽極。魔力炉も併設されているな。陽極というのは、魔力が循環する際の陽、流れ出る側のことだ。平たく言えば魔力が湧き出る泉のようなものだな。世界樹が生成した魔力は、この地球の内部に蓄えられて、ある地点から地表に放出される。それが陽極だ。もちろん陰極もある。魔力は陰極を通って世界樹に戻ると考えられているんだが、安定した大きな陰極はまだ発見されていないんだ」

「陰極……」

「採取された魔力は、併設されているあの魔力炉で」アークの丸っこい手が件の塔を指す。「鉱物などに付加されて、魔石やオリハルコンといった加工物、神器を生産しているんだ」

「ま、魔石ねぇ」

「魔石はまあ、魔力の電池みたいなものだな。魔力を蓄えておけるし、石に術を刻めば特定の形でエネルギーを放出することも出来る。魔法少女のホーキだって、飛行魔石を使って飛んでいるんだぞ」

「ひこうませき、ね……」

 聞きなれない言葉に、ベルは間抜けのように鸚鵡返しするしか出来なかった。

 ポン、とアークが手を打った。

「ああ、なるほど。この隅っこの四角があの第五陽極を指しているのか」

「分かったの?」

「ああ、うーん、いや……」アークは地図を苦い顔をしてにらんでいたが、「とりあえず現在地が分かったんだから、このまま進めば目的のポイントも自ずと分かるだろう」

 そう言って、また先へ飛んで行った。

 ベルは、陽極の方を見つめたまま、滞空していた。

 ベルが来ないことに気付いたアークが、振り返った。

「おい、何してんだ。早く行こうぜ」

「あの陽極っていうやつ。魔力が湧いてきてるんでしょ?」

「そうだけど?」

「つまりあそこには、魔力があふれているわけでしょう?」

「まあ、そうなるな」

 アークはぽかんとしていた。

「あそこからちょっと拝借すれば、一気にノルマ終了じゃない!」

「はあっ?」

 アークは驚いて大声を上げた。

「今日は早く寝たいし、ちょっとあそこからいただいちゃおう」

 悪いのは、昨日寝床を用意しなかったユノであることだし。

「テメッ、なんでっ、そーいうこと思いつくかなぁ?」アークは顔を真っ赤にして怒った。「それじゃなんの意味もないだろうが! それにお前そういうの、窃盗っていうんだぞ!」

「バレやしないわよ」

「バカ言うな!」

「よっし、行くわよ!」

 言うが早いか、ベルは陽極へ進路を向けた。

「やめろバカ、陽極は作業員以外、天使だって立ち入り禁止なんだぞ!」

 後ろでアークが怒鳴るが、ベルは気にせず全速力で飛んだ

 景色が激流のように流れて行く。

 陽極は見た目よりも遠かった。視界の中にあるというのに、ソージキの全速でも「ひとっとび」とはいかない。想像した以上に巨大だということだ。

 土色の平原の中に忽然と鉛色の地面が広がった。その上に同じく鉛色の、妙に角ばった建物の群れが現れる。陽極の敷地内に入ったのだ。

 鉛色の広がりは、ざっと見ただけでも今朝の街と同じか、それ以上はあるだろう。碁盤目状に整然と並ぶモノクロの街並みは、完全な美しさを備えてはいたが、逆に積み木で出来た街のように生活感が無かった。広大な空間の中で、しかし生き物の気配は全くしない。鳥の一羽も飛ばない空、人の影すらない道路、淡々と続く白黒の街。まるで誰かの白昼夢の中に迷い込んでしまったかのよう。

 無数の建物の中に、一際大きく伸びる巨大な塔があった。空から見てもまだ見上げるほどの大きさだ。その突端からは時折蒸気が吹き出ている。塔の途中にまとわり付く白いもやは、おそらく雲だろう。つまり、この塔は雲よりも高いのだ。旧世代にあったという、伝説の「バベルの塔」を彷彿とさせる。これがアークの言っていた、魔力炉なのかもしれない。

 巨大な塔の程近く、この四角い森の中で唯一丸みを持つドームがあった。塔には及ばないものの巨大で、やはり鉛色をしていた。表面に幾重にも継ぎ目が走っているのが見える。そして、ドームの表面には、このモノクロの街で唯一、ケバケバしい赤色で、大きく文字が書かれていた。「第五陽極」と。

「バカヤロウ! 見つかったら懲罰どころじゃすまないぞ!」

 ようやくアークが追いついてきた。見習い天使では、ソージキの最高速度に敵わないらしい。

「なんなの、この不気味な場所は」

「だから言ったろう、陽極だ」アークは首を捻った。「……おかしいな。警備の天使はどうしたんだ?」

「警備って言ったって、誰かいるような雰囲気じゃないわよ。誰もいないんじゃないの?」

 ゴーストタウンとしか思えないような様相であるが。

「そんなバカな。陽極に魔獣でも侵入したら、それこそ一大事なんだぞ」

 アークは辺りを見回した。

 そのとき、地の底から、うなり声が響いた。

「アアアアアィィィィ……アアアアアァァァァスゥ……」

 低くかすれたそのうなり声は、大気を震わせ、鉛の街を震わせる。鉛色の塔が音叉のように振動し始め、四角い森の木々が共鳴して、音を乱反射させる。街全体が一つの生き物であるかのように。

「何なの、この音は!」

 不安に駆られて、ベルはソージキのホースにしがみついた。

「アアアアアアアァァィィィィ……アアアアァァァァ……」

 街のあちこちから音が発せられているようにも聞こえる。振動がソージキにも伝わり、ホースを握る手まで震えた。

「あれか!」

 アークが彼方を指差した。

 示す先。鉛色の街のはずれに、大きな黒い塊が見えた。

 それは四肢を持ち、四つん這いで、上向きの鼻と2対の牙を持っていた。黒色の体毛が風になびき、黒い炎が揺らめいているようにも見える。それは突然走り出すと、山の陰の中へと消えていった。走り方からして、猪の類のようだが、それにしては巨大すぎた。距離がありすぎて正確な大きさはわからいが、乗り合い馬車くらいの大きさはありそうだった。

 魔物の影が見えなくなると、潮が引くように、うなり声もかすれ消えた。

「奴を狩る!」

 アークは蒼い雷光を身に纏いながら言った。

「ちょっ、正気?」

「警備の天使がいないんだ、俺たちがやるしかない!」

「あんたちゃんと脳みそ入ってんの? あんなのと戦ってたら命がいくつあっても足りないって!」

「陽極に魔物を近づけるわけにはいかない!」

 ベルの制止も聞かず、アークは弾丸のように飛び出していった。

「でも、あれは……」

 言いかけて、ベルは止めた。言おうとしたことが、ありえない事の様に思えたからだ。頭を振ると、アークの後を追って飛んだ。

 ベルは、地を震わせたあの声が、女のそれであるような気がしていたのだ。



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