第1章 戦いの資格
姉に負けて、泣け続けて心をすり減らした平等轆轤中学3年生。中学卒業間近、彼はある本を見つける。
第1章 戦いの資格
……勝てない。
勝てない。
こうして言葉にしてみると、ああそうかい次は頑張りなと言われそうだ。
でも勝てない。
勝てないんだ。
ここまで言葉にしてみると、ああもうあきらめてほかの事やったらいいよと言われそうだ。
……いや、ちょっと待ってくれ。
おかしいだろ。
どうしてだよ。
どうして、一回も勝てないんだよ。
どうすれば。
どうすれば勝てるっていうんだよ。
「轆轤ー」
女性の声。いや、女性というよりも少女と言ったほうが良いかもしれない。ただ、少女といってもあどけなさというものは既に抜けているような口調。呼びかける声には余裕のようなものがある。
その声の主は女子高生だった。
名前を弓という。
「……なんだよ。姉貴」
それにうざったそうに答える、それより幼そうな声。
いや、幼いのは声だけだ。もしくは答えた姉貴という言葉からのことだったかもしれない。そのうざったそうな心境はどう見ても大人のそれ。いや、大人とはいえないかもしれない。そこまでおとなしいわけではない。
しかし子供には発声できないような口ぶりだった。確かに口調は大人だ。全て投げ出してしまったかのような、大人の声。
「お父様が呼んでるわ。早く来たほうがいいわよ」
「……はん、親父がか」
轆轤は読んでいた新聞を畳む。綺麗に。気持ち悪いほど綺麗に、素早く。
「そ、大事な話だって言ってたよ」
「大事な話、ねぇ」
心底どうでもよさそうに轆轤は答える。
「そ、今度は轆轤にもかかってくる話らしいよ」
「俺に、か?」
「うん。早く来てって」
「……ああ」
轆轤は椅子から立ち上がり、弓の後を追った。
この二人は姉弟であり、そしてここは平等家である。
一戸建て。まだそれは、平等家が存在していた頃のお話。
魔法なんて無いけれど、それ並の何かがある話だ。
「……揃ったか」
荘厳、というわけではないが、それらしきものを感じさせるたたずまい。座敷という場所がそれを作り出しているのだろうか。そんなことはどうでもいい。些細なことだ。それくらい彼はその場所において壮大な存在に見えた。
彼は二人にそう聞いた。体格は中の上といったところ。いわゆる普通の体形だ。特段に強そうに見えるわけではない。服装もカジュアルだ。
彼の名前は、平等篳篥。
平等家の現頭首である。
「弓、轆轤」
「はい、お父様」
「…………」
丁寧に返事をする弓。正座。姿勢は良く、しっかり父であるを見据えている。それに対して返事をしない轆轤。それどころかの方さえ向いていない。あぐらをかいている。失礼な態度この上ない。たとえ家族だとしても、荘厳な雰囲気を醸し出しているこの父親に向ける態度ではない。逆に、この雰囲気でそのような態度ができるような轆轤のメンタリティは尊敬できるほどだった。
もちろん皮肉だが。
「今日は、どうして集まったんですか?」
「うむ。その前にだ」
篳篥は言う。
「轆轤。中学卒業おめでとう」
「……卒業式、明日だけど」
「今日祝おうと変わらんさ」
「さぁ、どうだか。明日朝交通事故に遭って、結局証書は貰えずに中退扱い、あるかもしれねえぜ」
父の威厳、荘厳さに固くなってしまった空気を一瞬でぶち壊すように、轆轤は言った。そんなものはどうだっていい。さらに言えばこの世界で大事なものなんて無いと言うように。まじめになんかならないと。
はそれでも別に気にしないと言うようにはははと笑う。
弓は姿勢を崩さない。表情だって崩さない。あくまでも真面目な様子を保っている。
「……お前も、もう義務教育を終える。つまり、お前も、自分の人生を自分で決めることができる年齢だって事だ」
「義務っつーのは、親の義務だがな」
「そして弓も、高校生活にも慣れただろう。お前ももう、一人前といって差し支えないほどだ」
「ありがとうございます。お父様」
「…………」
へっ、と轆轤は思う。お父様、なんてそんな言葉。
「本題に入る」
篳篥は言う。
「知ってのとおり、平等家は歴史ある家系だ。明治時代にはその混乱に乗じて人宮や星宮との抗争を勝ち抜いた」
平等と対になる存在として位置づけられるのが組織というもの。それが人の宮だったり、星の宮だったり、人やそうでないものを上位に位置づける。平等はその一家で、人宮と星宮の二つの家を壊滅まで追い込んだ。
明治時代、それらと戦い、そして平等家は勝利した。
「当時のような抗争は今も無い。しかしその伝統は受け継がれている。その血脈はしっかり受け継がれている」
平等の血筋。
それは自分を確立した上で、他人のことをあまり考慮しないというスタンスにあるのかもしれない。
この場をどうでもいいと思っている轆轤も。
真面目でまったく動じない弓も。
自分さえよければいいという究極。それが平等。
……なのかもしれない。
「頭首も、いずれ受け継がなくてはならない」
そして、今日ここに集まった理由だ。
「今日、頭首を決めようと思う。お前達のうちの、どちらかだ」
「頭首……ですか」
弓は口を開いた。
「そう。それを、今から決める」
「へぇ、今から、どちらか。ねぇ……」
轆轤は探りを入れるように言う。
「どっちでもいいってか? 頭首なんて大層な肩書き……ああ、肩書きだな。今は大したことねぇのか。でも、そんなに適当に決めていいのかぁ?」
「轆轤。言葉を選びなさい」
「はん。そういうことだろ。事前に決めてすらいないなんてよ。つまり平等家がどうなろうと知ったことじゃねえってことだろ」
「轆轤!」
弓は轆轤の言動を注意する。平等家、その頭首を継承するというこの場において、平等家を馬鹿にする発言。失礼だ。
「決め方はなんだっていい。条件はただひとつ」
篳篥は言った。
「勝ったほうだ」
「はい、私の勝ち。まだやる?」
思い出した。
小学校の頃から。
いやその前からだ。
いろいろなことについて、競争した。
戦った。
しかし無理だった。
どれをとっても駄目だった。
負けた。
いつも負けた。
一回も勝つことができなかった。
そうだった。
いつもだった。
「ねぇ、まだやる?」
いやいや。
ちょっと待てよ。
おかしいだろ。
なんでだよ。
運しか介在しないこのゲームで。
思考しか介在しないこのゲームで。
当然のことしか起こらないこのゲームで。
この戦いで。
この戦いで。
圧倒的大差で負け続ける。
「……まだやるのね」
思い出した。
そうだった。
この負け続ける感覚。
この、プライドを一つずつ砕かれていく感覚。
これが、敗北感。
敗者の気持ち。
「朝だよ……もう、終わろう?」
結局、挑み続けて。
朝まで勝負は続いて。
一回も、勝てなった。
翌日、卒業式後……轆轤は徹夜のため衰弱していた。足取りがおぼつかない。いや、やろうと思えば彼はしっかり、ちゃんと立てるだろう。それができないのは、今の彼のメンタルのせいだった。
結局、頭首は弓になるだろう。プライドがズタズタに引き裂かれた轆轤は、こう思っていた。
「……家出……しよう」
彼は平等家を出るつもりでいた。
彼は森に彷徨い這入った。
土。枝。葉。
まだ肌寒い季節だ。制服はまだ長袖だ。しかし日が当たらないので気温は低い。
でも轆轤は気にしない。
ローファが湿った土で少しずつ汚れていく。
でも轆轤は気にしない。
……どれくらい歩いただろうか。
気づけば日は落ちている。真っ暗だ。何も見えないというわけではなく轆轤は夜目は利くほうだ。前は見えている。まだ葉があまりついていない木の隙間から覗く月明かりが光源となっている。特段明るいとは言えない。
「あー……」
本当に家出してしまったなと轆轤は思う。ここからどうしようかと考える。このまま自殺でもしてしまおうか、と。
「もう、それでも、いいか……」
刹那的な絶望、しかしそれはとんでもないほど深かった。それほどまでに、轆轤のプライドは高かった。小学生のときから弓に負けて、いつか打ち負かしてやると意気込んで、そして誰よりも強くなった。
周りの人間を打ち倒し。
自らを引き上げていった。
その過程の中で積み上げていったプライド。
それを踏みにじられた。
今までの人生を、否定されたような。
「……あれは」
そのとき、轆轤は――祠を見つける。
「祠……?」
どうしてこんな森の中に、こんな小さな祠が。どこかに小さな村でもあるのだろうか?
「…………」
祠の中。覗いて見ないわけにはなるまい。
その誘惑が、平等轆轤の物語を回す。
「こいつは……」
祠の中には、一冊の本があった。綺麗だがそれは長年使われていないというだけのように思える。
……いや、待て、長年使われていないのならぼろぼろになってっしかるべきだろう。どういうことだ? 最近ここに置かれたのか? 誰かが置いたのか?
轆轤は周りを見る。木が生い茂っているから分からないが、周りに家屋がある様子はない。地面を見る。
道のようなものができている形跡もない。
獣道すらない。
……異常だ。
その異常さに惹かれて、轆轤は衝動的に本を開ける。本にはもちろん、文字が書かれていた。
「は……」
轆轤はその本の内容に衝撃を受ける。
「はははははは……!」
笑う。笑う。
轆轤は森の中で笑いながら、その本を読み進めていた。
第1章・終
第2章へ続く