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#002

 帝国暦13年、3月31日。

 明日に控えた士官学校の入学式に先立ち、広い講堂では武装鉄道隊の入隊式が執り行われていた。壇上に並べられた新入隊員は約20名。対して整列している隊員は200名近くいるだろうか。


「13年度4月期入隊!アサヒであります!!」

「右に同じ!イナバであります!」


 講堂に響き渡る大きな声で、最初の新入隊員が名乗る。五十音順に並べられた彼らは、緊張しすぎてガチガチになっている者や、声を震わせている者が大半だった。


「右に同じ、カムイであります」


 あまりに異色なのは、上着の第一ボタンを留め忘れている、気だるげな金髪の少年。そして、


「右に同じ!ハヤテであります!!」


 どこの誰が見ても元気で活発そうな少年が名乗った瞬間、会場はざわついた。彼の後ろ、残り5名の自己紹介を気に留めた者は、恐らく一人もいなかったことだろう。最強を意味する『ハヤテ』を、新人が名乗っている。誰もが聞き間違いだと思いたかった。

 そんな反応など露知らず、ハヤテこと呉羽 奏は凛々しい笑顔を向け続けていた。




武装鉄道希望隊 Memories #002




 反発は、大きかった。前代未聞の大事件だ。式典終了直後、壇上前に詰め寄る隊員が殺到し、怪我人が出た。それがもう数日前の出来事である。

 風当たりは当然強く、大半の隊員の視線が、新しい『ハヤテ』に対してのみ異様に冷たかった。毎日変わる指導担当者も、『ハヤテ』に対しては容赦がなかった。組み手の訓練時が特に顕著で、彼に繰り出される蹴りや突きは他と比較できないほど強烈だった。中学生時代から変わらない、渋谷 梁の絶妙に着崩された作業服やそれを強調する金髪ですら、誰も何も言わない。

 良くも悪くも、奏が逆境に対して精神的にとても強いことが幸いし、いや災いして、先輩からの集中砲火も所謂試練程度にしか思っていないようだ。


「気づけや、アホ……」


 むしろ頭を抱えていたのは、同期の梁だ。『カムイ』の名を拝した彼は、出来得る限りハヤテと共に居ようとしたが、必ずしも守り切れる訳ではない。自分の見ていない時に限って、ハヤテはたくさんの傷をつくってきた。何とも分かりやすい。少なくとも自分は見てくれで恐れられている。いつものように、大方関わりを持ちたくないと思われているのだろう。


「あー、メンドくさ」

「あら?溜め息?」

「……おう、双子ちゃん」

「リアスよ!」

「私はホタル!ちゃんと呼んでくれるかしら、カムイ」

「分かった分かった」


 心底疲れたようにカムイは言う。リアス(双子の兄)とホタル(双子の妹)は、不思議そうに彼を眺めた。


「どうかしたの?」

「……ハヤテがイジメられとる」

「嘘!?」

「本人気づいとらんけどな」


 自分達を指導する先輩は、若手から中堅と言ったところだろうか。新人の身分では、隊長はおろか、班長と言葉を交わすことも許されない。全ては指導担当に委ねられているのだが、その指導担当達のハヤテへの当たりはどう見ても行き過ぎていた。


「まあ、『ハヤテ』の名前はまだ重すぎたわね……」

「実力がどうこうじゃなくて、空気がね」

「心配しとったら案の定やったな」


 今度は3人が同時に溜め息をついた。

 面倒なまでに厳しい上下関係のお陰で、上に直接相談ができないのは大きな問題だ。


「よーっす!何の相談してんだー?」


 そこに現れたハヤテに、全員が絶句する。どんな訓練を受ければそうなるのだろうか。唇の端は切れて血が固まり、肌の見える部分は傷だらけだ。


「ちょっと、どうしたの!?」

「上手く受け身取れないからさ、練習練習!先輩にずっと投げられてた」


 呑気に笑うハヤテを、ホタルが医務室へと連行する。苦笑いを浮かべることすら憚られ、残された男2人は険しい顔をした。しばらくの沈黙が訪れる。


「先輩も所詮ガキなのね。力の加減が分かってないのよ」

「やからって先輩に殺されたらたまらんわ。あいつ弱いねんから、ほんまに死ぬぞ」


 怒りを落ち着けるように、カムイは大きく深呼吸をした。ゆっくり目を閉じ、思考を巡らせる。リアスはその間、邪魔をしないためか、何も言わなかった。


「……おんなじ訓練、受けさせてもらおか」


 次に目を開いた彼は、興奮を抑えるように静かに言った。その口元には心なしか、笑みが浮かんでいるように見える。リアスは彼を落ち着けるように試みた。


「ハヤテちゃんの為にそこまでする気?」

「んー」

「せっかく採用されたのに?」

「んー」

「……もうちょっと頭のいいやり方ないわけ?」


 一度決めると考えを覆さないタイプなのだろう、彼はリアスの話を聞いているのかいないのか、気の抜けた返事しかない。リアスは呆れて溜め息をついた。一体今日は何度溜め息をつくことになるのだろう。


「……あいつはアホやけど、ええ奴やから」

「?」

「ええ奴は損したらあかん。ええ奴は、ええ奴のまんまおってほしい」


 何度か詰まりながら、カムイは言う。リアスには、彼が恥ずかしがっているように見えた。どうも彼は人を褒めることに慣れていないようだ。


「だからってカムイが損していいわけ?」

「俺は損してへんで」

「あら?どうして?」

「俺はな、暴れ足りひんからここに来たんや。得やろ」


 リアスにはこれが彼の本心ではないと、直感で分かった。あえて確認することはしなかったが、確信していた。妙な自信がある。素直なことは何一つ言えない、極めてひねくれ者のようだ。

 ひねくれ者はリアスを一瞥することなく、背を向けて長い廊下を一人歩いて行った。




***




 HKR帝国軍士官大学 “Western River Sta.”管区校内、Bジム。学校内施設でありながら、ここだけは管理者が武装鉄道隊となっているため、いつでも自由に使用できた。使用用途は主に武装鉄道隊の訓練、と見せかけたサボり場だった。


「俺にもおんなじ訓練受けさせてくださいよ、センパイ?」


 そんなBジムの裏。いつものように喫煙を嗜んでいた3人の隊員は突然声を掛けられた。語尾がひどくゆっくりに聞こえる。自分達が挑発されているのだと、彼らは気づいた。

 見上げるとそこには、明るすぎる金髪、睨みつけるような目つきと、あまり高くはない身長。彼がクソ生意気な新人ハヤテの同期だと、すぐに分かった。


「新人ハヤテと同じで超ドMなんだな!超笑える!!」

「……、いい度胸してんじゃねーか。お前、コードネーム何だっけ?」

「カムイ」

「なんだ、上手いこと決めたもんだねー」


 2人はゆっくりと立ち上がりながら、タバコを地面に投げ、足で踏みつけた。火を消すどころか、まだ残っていた葉が撒き散らかる。


「どっからでも来いよ、先手はお前からにしてやる」


 最後に立ちあがった一人はカムイの顔に向けて煙を吹き掛ける。カムイはみるみる不機嫌そうに顔をしかめた。我慢しているのか咳き込んだりはしない。その我慢すらおかしく思われた。散々笑った後で、彼もタバコを投げ捨てる。その瞬間、めきっと何かが折れるような嫌な音が全員の耳に届く。


「マジっすか、先手とかあるんすか!これで勝てないハヤテってホンマあかんっすわー」

「ハクト!?え、ちょ、タンマタンマ」


 ハクト(と呼ばれた、カムイに煙を吹き掛けた隊員)は、地面に倒れた。タバコを捨てるために顔を下げたその一瞬で、カムイが彼の後頭部を押さえつけ、そのままヒザ蹴りをくらわせたのである。ハクト隊員は起き上がれず、鼻元を両手で押さえて悶絶していた。地面にはぼたぼたと鼻血が落ちた。後から控えめに落ちる彼の涙と混ざり合っていく。


「うおい!ハクト見せろ、……鼻、折れてるぞ」

「馬鹿!すぐに立てヒビキ!!」


 ハクトを気遣ったヒビキ隊員は横っ面にローキックをお見舞いされ、地面に転がった。口の中で鉄の味がする。耐えきれず吐き出すと、ハクトと同じく真っ赤な血が土に滲みていった。


「俺めっちゃアホやから分からんので教えてくださいセンパイ。先手、なんやっけ?あのー、必ず勝つ的な!」


 勢いはそのまま、カムイは最後の一人に殴りかかる。辛うじて防いだものの、受け流すために使った左腕はじんわりと痺れている。どんな威力だと、彼は身震いした。

 恐れを見透かしたのか、カムイはにんまりと口角を上げる。しかしその目は少しも笑っていない。


「センパイ方ー、まだ終わりちゃいますよねー?まさかねー?」

「この野郎……!」


 最後の一人、ヤクモはただ睨みつけるしかできなかった。そうしている間にもカムイは数発殴りかかってくる。その威力は衰えることを知らず、確実に防ぐための左腕を狙い打ちしてきた。痺れはどんどん痛みに変わり、ヤクモはとうとう飛び退く。


「そろそろ掛かってきてくださいよー。俺からばっかは悪いっすわー」

「調子乗ってんじゃねーぞ!!」


 このまま新人に好き放題やられるのだろうかと、嫌な想像がヤクモの頭をよぎった。そんなことは断じて許されない。この生意気すぎる新人を黙らせなければ、自分達の威厳尊厳だけではなく、その他諸々大切なものが一気に崩壊する気がした。


「は!?お前ら何やってんだ!?」

「新人がヤクモ達シメてんぞ!!」

「おいやめろ、やめろって!止まれ!!」


 Bジムの中にいた隊員達が次々に顔を出す。ヤクモとカムイを引き離そうとする者、何となく場の雰囲気に合わせカムイに喧嘩を売り始める者、倒れている2名の状況を確認する者、単に野次馬に徹している者。様々な統率の無い行動が行き交う場は騒然となり、混沌と化した。


「あれは何を騒いでる?」


 そんな状態を遠目に眺めている者が、二人いた。


「新人が研修付きに対して暴力行為を。と、研修付きは申していますが果たしてどうだか」


 彼らの制服は隊員達の淡い青色の作業服とは違い、丈が長い黄色の上着を身につけている。濃灰のスラックスにはきっちりと折り目が入り、脇縫い線には3cm幅の鮮やかな黄色いラインが引かれている。左胸のポケットにはいくつもの勲章が、太陽の光を浴びながら輝いた。


「……、いかにも規律を乱しそうな新人だな。若い頃の俺にそっくりだ。あれの名前は?」

「渋谷 梁、コードネームはカムイ。……ですが、そう遠くないうちに彼は『ハヤト』となるかと」

「そうか。駅長の言っていた逸材の、片割れか。真に恐ろしいのはコイツの方だったか」

「ええ、この様子だと管区最強となるのは必然。既存の隊員達が抜かれていくのは時間の問題でしょう」


 彼とその補佐官らしき人物は、紙の資料と現場を見比べながら話を続ける。彼らは実に興味深そうで、しかしどこか他人事のようだった。彼らを知って何らかのアクションを取る、と言うよりは単純な知識欲を満たしたいだけのようだ。


「その『ハヤテ』の方は?」

「呉羽 奏、この場には見当たりませんね。能力は同年代並みで、努力以外の突出した才能はありません。実力だけを見れば渋谷 梁こそが最強の『ハヤテ』となるべきだったのでは?」


 補佐官らしき人物は首を傾げた。ここまで粗野な『ハヤテ』が隊を動かすようになるなどあまり考えたくもないが、と小さく呟く。隣にいる彼は静かに笑った。


「……、なるほど。今回は随分配慮して決めたらしい」

「と、言いますと?」

「お前も覚えているだろう、先代のハヤテとハヤトの関係を。最強が故に孤独なハヤテが、唯一の理解者であるハヤトに依存していた、という究極の笑い話だ」


 どこか懐かしむような、しかし苦虫を噛み潰したような顔で彼は続ける。


「先代ハヤトがその名に課せられた任務を全うし、死んだ。彼だけを拠り所としていたハヤテは、静かに消えた。次の『ハヤテ』を指名することもなく、だ。お陰で我が管区は最弱などという汚名を被ることになった」

「ああ……、そんなこともありましたね」


 彼らが眺める現場は、カムイの同期が駆け付け、何とか場を治めたようだった。主に拳を振るっていたはずのカムイですら、事態の沈静化を図った隊員達に何度か殴られたようで怪我をしているのが確認できる。

 喉を鳴らすように静かに笑うと、彼は現場に背を向けた。


「『ハヤテ』を守ることは、管区の安定につながる。だがあの問題児ぶり、果たしてどうなることやら」

「隊長が新人に興味を示すなんて、明日は大雨による遅延に備えましょうか」

「……ああ、存分に備えておけ」




***




「うわ、お前何したんだよ!?」

「お前と同じ訓練や」

「誰とケンカしたんだよって聞いてんだ!」


 ハヤテはカムイの態度に苛立っているようだった。心配しているのだと素直に伝えられない辺りが、彼らはよく似ていた。


「なんで俺イコール喧嘩やねん」

「お前さあ」

「訓練やねんから」


 取り付く島もない。カムイは慣れた手つきで自分の顔に絆創膏を貼る。その位置は奇しくも、ハヤテの怪我と似たような位置だった。

 しばしの沈黙が彼らを包む。聞こえるのは、カムイが絆創膏の封を乱雑に開ける音だけだった。居心地の悪さに、先に口を開いたのはハヤテだ。


「……、あのさ」

「あ?」

「その、なんつーか、……ありがと」

「……、お、おう」


 返す言葉が思い浮かばず、カムイは相槌を打つと黙り込んだ。今までどれほど口汚く罵られることはあっても、感謝されることなどあり得なかったからだ。むず痒く、変な気分になる。


「……、あんさ」

「ん?」


 再び訪れた沈黙を打ち破ったのは、今度はカムイだった。


「お前弱いから、しゃーなしやで?しゃーなし、俺が、ハヤトなったるわ」

「……、あんな嫌がってたのにどうしたんだよ?」


 詰まりながら彼は言う。その顔はハヤテの立っている反対側に向けられ、顔色を窺うことができなかった。しかし耳まで赤い。照れているようだ。

 ハヤテは何となく意地悪がしたくなり、わざと訊ねた。


「言ってるやろ、しゃーなしやって!お前みたいな弱っちいハヤテ見てられへんからしゃーなし守ったる言うてんねん!!」


 カムイの顔がハヤテに向き直る。焦ったような、怒っているような顔。でも一番の感情は羞恥に近いようだ。殴られた後の腫れとは異なる朱色が頬に差している。


「お前さ、本当最高だな!」

「……、調子狂うわ」


 心底嬉しそうなハヤテと、心底疲れているようなカムイ。就寝時間になっても、ハヤテのテンションは最高潮だった。早く寝なければ翌日の訓練に支障が出ることも分かっていたが、まるで遠足を控えた小学生のように、彼の心は弾んでいたのだ。

 明日が来ればカムイは、渋谷 梁は、本物の相棒『ハヤト』になるのだ。それはあまりに素敵なことで、ハヤテが、いや呉羽 奏があの日の出会い以来望み続けてきたことだった。小さくも大きな夢が叶おうとしている直前の夜、彼はどうしても興奮して寝つけなかった。

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