#001
この小説内で発生する事件および事故、鉄道の遅延情報などは全てフィクションです。
現存する地域および鉄道をモデルとした舞台設定を採択しておりますが、実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません。
線路内への無断立ち入り、故意に電車を遅延させる行為、電車内および駅構内での迷惑行為は、法律、法令で禁止されています。
血、肉、脂肪、そして体内にあった糞尿。全てが入り混じった壮絶なにおいが辺りに立ち込める。通報を聞いて駆けつけた何人かはその場で吐き戻し、体調不良を訴える前に膝をついた。
鉄道死亡事故の現場。その中でも今日は特に凄惨と言えた。
「ひっでーな……」
「誰が片付ける思ってんねん……」
体の大半は車輪に巻き込まれており、完全にすり潰されている部位が多いように思われる。せめて男女どちらかくらいの判断がつけばいいのだが、と誰かが呟く。
「何人分だろ……?」
「子ども1、それから成人男女、……1人は妊婦やな」
派手な黄色の制服を着た隊員達は、ほとんどが口元を押さえていた。その中に、動じていない青年が2人いる。1人は、心中したのであろう彼らに手を合わせ、祈りを捧げているようだ。対してもう1人はただ面倒くさそうに、肘の上まであるゴム手袋をテキパキとはめていた。
「ハヤテ、いつまでご冥福捧げてんねん!早よせんとラッシュ始まるわ!!」
声を荒げた彼は形だけの合掌をすると、さっさと立ち上がる。非番が居残りになった彼は、機嫌が悪かった。泊まり勤務明け、昼食を摂ろうとしたまさにその時、呼び出されたのだ。遺体を雑に扱うことはしないが、自殺手段として鉄道を選んだ傍迷惑なユーザーに祈りを捧げてやる気もなかった。
「……ごめん、ハヤト。始めようぜ」
少しでも大きく残ったパーツを優先的に拾い集めるのが、救助作業の鉄則である。表向きには、お客様救護とも呼ばれている。助けるべき対象がバラバラであっても、あくまでも処理ではなく救護だ。
救助は頭部と手足、胴体の一部さえ揃えば、軍が簡単な検死をしてくれるようになっている。事故死と認定されたら運転再開の作業に移ることができるのだ。逆に言えば、軍を納得させるだけのパーツが見つからなければいつまでも運転再開が見込めない。そうなると帰宅ラッシュの時間とぶつかってしまう。
救護開始から少しばかり経った頃、ハヤトと呼ばれた青年の怒声が響いた。
「休んどけ言うたやろ!ここで吐くなドアホ!!」
「すいませ、んぐっ……」
「カムイ!こいつ連れてけ!!」
一方、ハヤテと呼ばれた青年は静かに、ハヤト達が救護した、少女の苦痛に満ちた目を閉じてやっている。少女は比較的パーツが揃っており、失くしているのは脳の一部くらいだろうか。あるべきところから飛びだした脳が、彼女の死を決定づけていた。
「早苗くらいだ」
「……切り替えろ。早苗ちゃんやない」
妹がいるハヤテにとって、つらい現場であることは承知していた。この場を見る限り、誰もが一家無理心中であると結論を出すだろう。ハヤテはその先までを背負い込む節がある。優しすぎるのだ。
「ハヤト」
「飯食う前でよかったわ。あいつらに恥晒すとこや」
ハヤトと呼ばれた青年は、後ろでグロッキーになっている隊員達を指し示す。気丈に向かおうとする者もいれば、バケツを抱えたまま座り込んでしまっている者もいる。先ほどハヤトが後輩に託した少年は、医療班に引き渡されたようだ。
「……ハヤテ隊長、ハヤト班長、帝国軍が」
「え、今日は早いな」
「探すん手伝ってもらおっか」
戸惑うハヤテに、ハヤトは悪戯っぽく笑ってみせた。
この場で笑顔を見せるのは、本来であれば不謹慎だと判断されるだろう。それでもハヤテには、ハヤトが自分を落ち着けるために笑ってくれていることが分かった。
「……そだな!たまには付き合ってもらうかー」
最高で最強のタッグ。口には出さないが、2人は分かっていた。これ以上の相棒はいない、と。
危険と隣り合わせの日々の中にいながら、彼らの絆は深まっていった。そして何より、楽しかった。楽しんでいた。
「終わったら飯行こうぜ、ハヤト」
「お前のおごりやで、ハヤテ」
これはミコトが武鉄に入る前。Western River Sta. 管区 武装鉄道隊の、確かにあった日々の記録。
武装鉄道希望隊 Memories #001
試験会場は、同じくらいの年齢の男子で溢れかえっていた。華奢な体格の少年から、やんちゃ盛りなのであろう目つきの悪い茶髪まで様々だ。女子の姿は極めて稀である。
偶然、呉羽 奏と渋谷 梁は隣同士になった。
「よろしく!」
先に話しかけたのは奏だったが、彼は少しだけ後悔した。彼の視線の先にいるのは、着崩したブレザーと、傷んだ金髪があまりに印象的な少年だったからだ。偏見だが世間一般的に見れば、15歳でこの風貌をしている連中は、ヤンキーと相場が決まっている。
「お互い受かればええな」
「……、頑張ろうぜ!」
しかし、金髪くんからの返事は意外にも社交的だった。奏の思い描いていたヤンキー像とは全く異なる。
それでも金髪くん、梁はと言うと、面食らっていた。まさか話しかけられるとは思っていなかった。それまでは顔を合わせるだけでいつも目を逸らされ続けてきたのに、隣の学ランはずっと笑顔だった。
梁が何か声を掛けようとした、その時だ。
「全員跪け!!!」
突如響いた怒号と、銃声。扉の一番近くにいた試験監督係は、銃の台尻で殴られたように見えた。教壇の後ろに倒れ、こちらからは様子が分からない。部屋の中は一気にパニックへ陥る。
「おい、これどっちや……」
誰ともなく呟かれた声は、彼らの思考を最も的確に表していた。発した梁の口元は薄く笑ったまま引き攣っている。実戦なのか、それともそういう試験なのか。実戦ならば、言葉にならないほど色々まずい。
「騒いだ奴は即ブッ殺すからな!!」
これが本当に試験ならば、演出をこだわりすぎだろう。こんな物騒な試験は願い下げである。泣きだしている者、顔を青くして震えている者が大半だ。何か動こうとするも、銃を目の前にして何もできない、という様子の者も数名見受けられた。
「合格すれば遅かれ早かれ、ってやつか」
「……せやな」
ひとり言のつもりだったのに、返事があった。奏は声のした方、隣を見る。引き攣ったままの口元、眩しい金髪が空気の流れに揺れている。顔を見合わせて浮かべた表情は、お互い、不敵な笑みだった。命のやりとりをしなければならないかも知れないのに、随分と豪胆になったものだ。
「俺、呉羽 奏。よろしく」
「渋谷 梁。……お前とは長い付き合いになりそやな」
「ここで死ななきゃな」
「大正解」
銃を持った男に見えないよう、2人は拳を合わせた。
これが、全ての始まりだった。恐怖心の中で2人は確かに、何かが始まるのだと感じ取っていた。何が始まるのかは、分からない。それでも確実だったのは、根拠のない自信。こいつといれば困難を切り抜けられる、そう思えた。
奏は、ゆっくりと立ち上がる。
「あのー……」
「跪けって言ったのが聞こえなかったのか!?」
できる限り注目を集めようとする。当然銃は怖い。この行動に激昂されたら、真っ先に死ぬのは自分だ。油断すれば膝が震えそうだった。
梁は、奏がその時を作り出してくれることを信じて、ただ待っていた。彼が失敗した時のことなど、考えていなかった。
「俺らまだ、採用どころか試験すら受けてないんすよー……、だから、えっと、そうだ!話しましょう、会話。お兄さんの話全部聞きますんで!!」
「止まれクソガキ!!」
銃を持った男の怒鳴り声が怖くないわけがなかった。それでも両手を挙げた奏は、銃から距離を取ったまま部屋の反対側へ移動を試みる。ゆっくり、一歩ずつ確実に。これで的は自分だけになる。
犯人は、大勢の人質を背にしている事実に気がつけない。
「時間返せやウンコ!!」
後ろから飛びかかったのは梁だ。一瞬怯んだ犯人の、無防備になった股間を全力で蹴り上げた。息の漏れる音が生々しい。奏も、蹴り上げた張本人までもが顔を歪めた。感受性が強いのであろう数名は、自らの股間を押さえている。
その場に崩れ落ちた犯人を梁と奏とで押さえつけていると、正気に戻った数名がブレザーのネクタイを枷代わりに拘束した。
「あ、試験官さんは……」
「こっちは大丈夫よ」
見ると2人組が試験官を介抱していた。学生服とセーラー服の組み合わせだ。一瞥するに随分と仲が良さそうだが、カップルだろうか。彼女の声を聞き、ようやく全員が生きた心地を取り戻す。奏も安堵の表情を見せるが、すぐに内線を手に取った。
「あらー、こっちは派手ね」
「使い物にならないんじゃないかしら?」
試験官を介抱していた男女が、犯人の容態を確認に来た。2人ともなかなかの美人で高身長、モデルのようにスタイルが抜群だ。女言葉しか聞こえなかったのは気のせいだろう。
「あなた達、何か一緒にやってたの?息ぴったりですごかったわ!」
「あなた達がいなかったらどうなってたかしらね」
「あいつ?初めて会ったけど?」
外部との連絡を終えた奏は美形セーラー服に手招きされ、3人と合流する。
「私は水無瀬 圭吾。医療班志望で来たわ」
「同じく、水無瀬 晴加よ。私達双子なの!私が妹ね」
美人カップル改め美人双子兄妹は、にこりと笑うと同じように首を傾けた。男女差があるためか、顔はそう似てはいないものの、仕草や話し方はそっくりだ。
「渋谷 梁。シブヤやなくて、シブタニな」
「俺は呉羽 奏。『ハヤテ』になるために来た!」
奏は明朗快活な笑みを振りまく。笑みを返そうと思った3人は、唖然とした。
「え?」
「ん?」
「は、『ハヤテ』!?」
隊員の個人情報を守るため、コードネーム制を採用するようになった武装鉄道隊。『ハヤテ』は、最強の隊員だけが手にすることのできる名前だ。
ここ数年は、該当者が現れないからと、空席になっている。
「お前、絶対アホやろ……」
「アホじゃねーし!絶対なるんだって!!」
こんな命知らずのバカを見たのは初めてだ。でも、嫌な気はしない。それに何故か、こいつならやり遂げるような気がする。梁は自分でも分からない確信があった。
「ま、ここに来る時点でみんな訳ありよね」
「夢見るコがいる方が素敵よ」
双子兄妹(ただし兄はおネェ)はしみじみと語る。その視線の先では、梁と奏の幼稚なやり取りが続いていた。
「まあ、なんや、お互い採用やったら、手伝ったるわ」
「へ?何を?」
「お前みたいなアホがすんなり『ハヤテ』になれるわけないやろ。俺がフォローしたるって言うてんねん」
梁は、自分の口からこのような言葉が出るとは思ってもみなかった。顔が熱くなり、思わず逸らす。双子が何かうるさいが、聞こえないふりをした。
「マジで!?ありがとう!!俺頑張るよ!!」
奏は、太陽みたいな笑顔を向けた。眩しい、純粋だ。梁は思う。奏は自分の想定より、3段階ほどバカなのだ、と。
***
「試験免除、なあ……」
「リョウは不満なのかよー?俺とお前のコンビネーションが認められたってことだぜ!」
「……誠に遺憾デスー」
後日、採用試験は後日改めて行われることになった。あのようなアクシデントが発生したのだから、無理もないだろう。
解散を宣言された後で、奏と梁は職員に呼び出され、応接室で待機させられていた。案内役の職員からは、試験が免除になった旨を伝えられただけだ。
「校長室に呼び出しくらったこと思い出したわ……」
「部活の表彰とか?」
「褒められることするように見えるんか?」
これが育ちの差か、あるいは辿ってきた道の違いだろうか。校長室への呼び出しだけで2人の思いつくことは正反対だ。
応接室に相応しい、絨毯に革張りのソファー。良すぎる環境なだけに、梁は妙に居心地が悪い。
「じゃあなんで?」
「同級生と担任、合わせて3人シメた」
「……1人で?」
「ん」
「すっげ」
「絶対思ってへんやろ……」
出されたお茶に口をつけると、部屋の扉がノックされた。2人が慌てて立ち上がると同時に、扉が開く。奏は思い出したように学ランの第一ボタンを留めた。
「君らが活躍してくれた志願生やな。駅長の今津です」
「呉羽 奏です。助けの到着を待たずに、無茶をしてすみませんでした」
「……渋谷 梁っす。呉羽さんに同じく」
奏は深々と頭を下げた。倣うように梁もお辞儀をする。今津駅長はにこにこと彼らを見つめていた。顔を上げるように言うと、駅長は少しだけ真面目な表情を作り、話を始めた。
「確かに君らが危ないとこやった。でも、君らのお陰で解決したし、試験官、うちの営業補佐も助かったんや。ほんまにありがとう」
真面目な顔をすぐに綻ばせた駅長の言葉に、強張っていた2人の表情は少しだけ弛む。
「あの、試験官さんを助けたのは僕達じゃなくて」
「それも聞いとるよ。あの双子ちゃんは医療志望やからな、学力試験だけは受けてもらわなあかんねん」
内申は合格だと、駅長は笑う。あの2人も自分達の同期になるのかと思うと、奏は胸が弾む気持ちだった。
「で、や。君らの能力やらヤル気やらを見込んでな、相談があるんや」
「相談、ですか?」
「難しいことやないねん。って言うより、君らの方が詳しいんちゃうか?『ハヤテ』と『ハヤト』のことや」
「ああ、最強の『ハヤテ』……」
こくっと駅長は頷き、少し困ったような顔をした。
「うちの管区は今、その最強が空席や。先代が引退してから該当者がおらんねや」
ハヤテを名乗るに相応しい人材がいない。現状は想像以上に切羽詰まっているようだ。チームを引っ張ることができる実力者の不在は、全体の士気にも大きく関わることだろう。
「……『ハヤト』って?」
「リョウ知らねーの?『ハヤト』って名前は『ハヤテ』が一番信頼する人に直接与える名前で、最強の人を一番近くで支える人のことだよ」
「次のハヤテ君が現れん限り、ハヤト君も出てけぇへんわな」
今津駅長はタバコに火を点け、ゆっくりと吸った。先代の『ハヤテ』は、相棒である『ハヤト』を失った数日後に、全てを諦めるように静かに退役した。彼はその時、彼は次の『ハヤテ』を指名することもなかった。誰よりも闘志に燃えていた彼の瞳は、あの日、輝きを失った。その後の彼の消息は、未だに分からない。
駅長は長い溜め息にも似た喫煙を終えると、2人と向き直る。
「呉羽君、『ハヤテ』になってくれんか?」
たっぷり1分間ほど、2人は駅長が何を言ったのか理解できなかった。先に反応したのは、梁だ。
「は、『ハヤテ』って、え?」
「俺、いや、じゃなくて、僕がですか!?」
一人称を正す程度の冷静さは戻っていたものの、即座に飲み込むことはできなかった。確かに、ハヤテになりたいという夢はある。しかしそれは段階を踏んだ先の、ある種現実的な目標であって、本来は最初から準備されたものではないはずだ。
「言いたいことはようけあるやろう、でもな、引き受けてほしいんや」
駅長の様子は、冗談を言っているわけでも、からかっているわけでもなさそうだ。元来、変なところで肝の据わっている奏は、断るという気持ちがなくなっていた。
「分かりました、やらせてください」
「ありがとう、おおきに!!」
駅長と奏はがっしりと握手を交わしている。両者は誰が見ても分かる、明朗快活な笑みを浮かべていた
「ほんまにアホやろ……」
梁の心からの呟きは、幸か不幸か、その場にいる誰の耳に届くこともなかった。
***
「リョウ、お願いがあるんだ」
「断る」
「……まだ何も言ってないぜ?」
採用試験(ただし試験は免除)の帰り道、基本的な手続きを済ませた奏と梁は、どちらかが何を言うでもなく、駅の改札からほど近いファストフード店に立ち寄った。
時刻は夕方。昼食など存在すら忘れていたが、いざ現実に戻ると腹は減る。周囲の客や店員からは、真面目そうなごく普通の学ラン少年が、目つきの凶暴な金髪ヤンキーにたかられているように見えているだろう。
「『ハヤト』になってくれよ!」
「9割予想ついとったわ。やから断ってん」
現実は、真面目少年がヤンキーにめちゃくちゃな要求をしている場面だった。
呆れたように梁はサイダーを飲んだ。奏は、駅長から貰った資料を読み上げながら、いかに『ハヤト』が重要な存在かを説き続ける。
「俺とお前なら『最強のハヤテとハヤト』になれるって、俺確信してんだよ!」
「何の自信やねん!お前絶対忘れとるから言うぞ、俺ら今日が初対面や!!」
「……あ、本当だ」
奏の快諾を得て喜んだ駅長は、彼にハヤテとしての最初の権限を与えた。それが『ハヤト』の任命権だ。いつ決めても構わない。何なら今、梁に、と話が及びかけた時に、駅長に来客があった。詳細は後日、と次の約束を取り決め、今に至る。
「……入隊はもうちょい先や。急がん方がええやろ」
「そっかなー……」
奏は少し不満げに、大きなハンバーガーを齧る。朝食以来のまともな食事は、チープなファストフードですら沁みた。一口食べただけで強烈な睡魔まで訪れる。
「そういや、リョウはなんで、武鉄に……」
眠気を振り払わんと梁に話し掛けようとして、奏は気づいた。梁は、先に寝ている。呆れたように笑いながら、しかし奏も、抗うことなく睡魔を受け入れた。
2人が起こされたのはそれから数時間後。未成年の非行防止のために制定された条例によって、彼らが退店しなければならない夜9時の、5分前のことだった。