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金印和合

作者: 屯田水鏡

    金印和合

もう随分前のことだが、金印シンポジュウムと云うのが福岡市役所の十五階会議室で催されたことがある。志賀島で発見された「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」印について研究者からの発表と討論が行われ、ひとしきり喧々諤々の議論が飛び交ったあと、もうすぐシンポジュウムも終ろうとする頃、司会者が、最後にと前置きし、会場の隅にいた若者を指さして、発言するように促した。若者は、その場で立ち上がり、はにかむ様に訥々と話し出したが、彼の話は俄かには信じがたく、会場の一部ではざわめきが起こり笑い声も聞こえる有様であった。それでも彼は拳を少しばかり握りしめて頬を紅潮させながら話し続けた。


 あれは丁度、昭和から平成へと年号の変わった一九八九年の夏のことでした。福岡市ではアジア太平洋博覧会が開催されて、それと時期を合わせるように福岡タワーが建設され、福岡市博物館が竣工しました。私はその年、大学院を卒業して博物館の学芸員として採用されたばかりでした。博物館は博覧会会場の中にあって、その当時の私の仕事は、博覧会に来場された人たちを博物館へ案内し、展示物について説明することでした。博物館の二階展示室には「漢委奴国王」印ともう一つ、中国政府から博覧会を記念して貸し出された「広陵王璽こうりょうおうじ」印が並べて展示されていました。皆さんもご存じでしょうが「漢委奴国王」印は高校の教科書にも掲載されている通り、その当時北部九州にあった奴国と中国の交流を示すと共にそこに掘られている文字「漢委奴国王」が日本に伝わった最初の文字であることを示す重要な証拠なのです。だから国宝となったのでありますが皆さん、多くの学者の間では長い間、「漢委奴国王」印は偽物であると言われ続けて来ました。その金印偽物説を木っ端微塵に打ち砕いたのが「広陵王璽」印の発見だったのです。その理由について説明すれば長くなりますのでここでは申しませんが、とにかくその印が二つ並んで展示されているのです。アジア太平洋博覧会に来場される方々は幸運にも二つの宝を見ることが出来たのです。それ以上に幸せなのは私でした。大学の研究室から初めて世の中に出た最初の仕事で、一日中二つの金印を間近に観察しながらその世話をし、その歴史的価値がどんなに貴重なものであるかを市民に説明することが出来た訳ですから、幸せを噛みしめ乍ら毎日を過ごしていました。

その日も私は博物館の一階の事務室で夜半まで明日の展示の準備作業をしておりました。そしてその夜、世にも不思議な体験をしたのです。それは、午前零時を少し過ぎた頃でしたでしょうか、二階展示室付近で物音がしたような気がしました。二つ並んで展示されている金印に何かあったのではないかという不安が私の脳裏を過りました。外国からお預かりしている珍宝に万が一、事故があっては大変です。勿論、警備システムは厳重の上にも厳重で、外部から一切博物館に侵入することは出来ないようになってはいましたが、私はどうしようもなく不吉な胸騒ぎを覚えたのです。懐中電灯を握りしめて二階展示室に向かって階段を上る私の足はどう言う訳か震えていました。階段を上り切った時、一瞬ではありましたが展示室へ通じるドアの隙間から光が漏れ出ているように感じたのです。私は恐る恐る扉を開けました。旧石器時代と新石器時代の遺跡が両側に展示されている細長い通路を過ぎて弥生時代の展示物が並べられている部屋に辿り着いて、金印の様子を一目見た時、私は危うく懐中電灯を取り落しそうになるほど驚いたのです。並んで展示されている二つの金印の双方から金色の光が立ち上り、巨大な竜の姿となって絡み合っているのです。私は急いで一階の事務所に取って返し、ポラロイドカメラを掴んでまた、階段を駆け上がりました。金印の所に辿り着くまで三度は転んだでしょう。カメラを構え、何枚も写真を撮影しました。やがて光はいつの間にか波が引くように遠く薄くなって消えていきました。私は急に体中の力が抜けてしまい、明け方までその場に座り込んでしまっていたようです。翌朝、出勤してきたばかりの上司に、ポラロイドカメラで撮った写真を見せながら、昨夜の出来事を説明しましたが、彼は私の顔をまじまじと見るばかりで話には取り合ってくれませんでした。ポラロイドにはなにも写ってはいなかったのです。私は写真を名古屋大学に送りました。当時写真分析技術では名古屋大学が一番だったからです。戻って来た大学からの返事には、ポラロイドには何も写ってはいないという鑑定結果が記載されていました。しかし私は確かに目撃したのです。


 その話が終わった時、司会者が会場にある大きな丸い時計を指さして、丁度予定されていた時間が経過しました、と言って金印シンポジュウムは終わった。

 あの学芸員が何を見たのか良くわからないが、嘘をついている様には見えなかった。

「漢委奴国王」印と「広陵王璽」印は、刻まれた文字は、一方が「漢委奴国王」、方や「広陵王璽」であるし、ちゅう、つまり、つまみの形も「蛇」と「亀」で異なってはいるが、金の含有量、寸法、重量等は殆ど等しく、漢の印制の規定通りに作成されている。そこが、後漢の都、洛陽にあった同一工房で同時期に作成されたと言われる所以である。

 二つの金印は、一九三〇年以上経過した後、奇しくも九州北部の地で出会い、博物館に並んで展示されたのである。同じ材質の金印が何かの光に反応し、暗闇の中で共鳴して黄金の輝きを発したとしてもおかしくはない。その現象が、学芸員には時空を超えて相見えた二つの兄弟印が金色の光を絡み合わせて、喜び合っているように見えたのではないだろうか。僕はそんなことを、那珂川沿いの屋台で焼酎を飲み、ラーメンを啜りながら考えていた。僕のいる屋台は博多の風物詩であり、すぐ隣にある赤煉瓦の日本生命の旧社屋は辰野金吾の設計によるもので、更にその隣は菅原道真が大宰府に流される途上、水鏡をしたという水鏡天満宮がある。博多という街は実に変なところだ。僕はこぼした焼酎でこれらを三角形で結び、二辺は他の一辺より長く一辺は他の二辺より短いなどと自分でもなにを言っているのか分からない言葉を吐きながら暖簾を分けて外に出た。那珂川に揺らめくネオンを眺めていると、無性に付けの溜まった中洲のスナックに飲みに行きたくなって、中島橋の欄干の縁を頼りに歩道をよたよたと歩き続けた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 珍しく、金印にまつわる作品だ! と思い、わくわくしながら読ませていただきました。 少し古めかしい空気のなか不思議なお話を味わうことができました。ふたつの印が出会い、共鳴する様子が思い浮かびま…
2017/12/17 21:06 退会済み
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