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雲が飛ぶ。  作者: ゆ~の
7/9

散った過去、漂う未来

 羽部は眠り続けるゆずなの隣で、少しだけ泣きたくなった。

 いや、実際には涙ぐんだ。

 目を覚ました彼女の反応が、想像すら出来ずに、ただ自分の中で確信した感情はただの泥沼。

 でも、仙台へと移るのもあと二ヶ月。

 とりあえずは真斗に殴られて、ゆずなの意思を尊重し、二ヶ月後には全てから離れようと思う。

 だから後少しだけ、彼女の隣で惰眠を貪ろう。

 羽部は柔らかな肢体を胸に抱きしめ、目を閉じる。

 そして起きた彼女は、呟いた。

 「帰りは別々がいいの」だと。







 風が背中を煽るようにゆずなを押した。

 落下する大量の水しぶきは真っ白で猛々しい。

 羽部と来た昨日の景観とは全く異なって見える。

 もう、羽部は高速に乗った頃だろうか。

 初めての行為は、無我夢中で、没頭することで、あらゆるしがらみから一時の開放を感じた。

 胸に抱いた定期入れ。

 開けば、笑顔で佇む美人がゆずなを見つめる。

(……お母さん。何を思って、あの頃の私と一緒にいたの?)

 生みたかった?

 一緒にいたかった?

 別れたのは私のせい?

「涙、とまらないや」

 佇んで。

 涙した。

 明日はブルーマンデーだ。







「慎!?全然携帯出ないから、オレ何度も電話したんだけど」

 ドカドカと上がりこむ友人を、真斗は仰天しながら追いかける。

「ゆずなは?」

「旅行からまだ帰ってきてないんだ。夕飯は?」

 呑気な問いかけに、慎一は苛立って、ドカリとソファに腰を落とした。

「話がある」

「何だよ、急に。一昨日の電話なら……」

 脇に立ち、唖然としつつも謝る真斗に、慎一は容赦なく一気に告げる。

「この週末は、ゆずなと温泉旅館にいた」

「ゆずな………は?」

 空気が張り詰めて、直ぐに溶けた。

「冗談よしてよ」

「寝た」

「……」

 笑おうとした真斗の表情が凍りつく。

「寝た」

 もう一度繰り返した慎一に、真斗は震える声で近づいた。

「……に言って、んのお前」

「アイツを追いかけて、全部話して、それで泣いてる女につけ込んでセックスしたって言って……ッ」

 怒鳴ったと同時に吹っ飛ばされて、唇を拭った。

「……死ね」

 拳を握り締め、仁王立ちになる真斗を慎一は見上げる。

「お前には言われたかねぇよ。もとはと言やあ、お前が寝言であの人の名前なんか呼んでっからだろうが!?」

「え……?」

「んな切羽詰ってよ、ゆずなを彼女の代わりにするくらいなら俺のがマシだっつの」

 カッとなって、真斗は慎一を蹴り上げて、叫ぶ。

「うるせぇッ!」

「……っ情け、ねえんだよ。てっめえはッ」

 負けず劣らずに怒鳴って、慎一は真斗の胸倉を掴んで睨む。

「消えろよッ」

「……あっそ。ちょうど良かったわ。……オレ、転勤すっから」

「っんだよ、ソレ……」

 慎一は鳩尾を押さえて、真斗の脇を通り過ぎる。

 咽せて、上擦って、せりあがる。

 唾液を飲み込んだ。

「一つだけ忠告しとく。ゆずなには、ぞんざいな口は絶対にきいてやるなよ」

 真斗の背中に言葉を投げ掛けて、そのまま歩いて、玄関扉に向かう。

(……いって……。んとにバカヤローが)

 ようやくノブを捕まえたと思いきや、掴み損ねた。

 開いた隙間から、甘い香りが流れ込む。

「……は、羽部?」

「随分遅かったんだな」

 何をしていたのか。

「…あの……!?…えっ、顔ど、どうしたの?」

 口を開こうとして、部屋の奥から真斗の足音が近づく。

「……っゆずな!」

「ま、真斗!?」

 そんな2人に苦笑して、羽部はゆずなの横を通り抜けた。

「……じゃあな」

 呼吸に埋もれて、囁き声にしかならない。

「え?」

 無機質な音を立てて閉まった扉に、ゆずなは振り返る。

「ゆずな」

「あ、ただいま。真斗」

「……」

 微笑んで、ボストンバッグを床に置いた。

「羽部、話したんだね」

 随分、潔くて笑えた。

「本当なのか?」

「……うん」

 久しく聞いていなかった真斗の口調に、ゆずなは戸惑って、頷く。

「始めからその予定で?」

「まさか。突然、羽部が現れるんだもん、甘えちゃったよ」

「オレ、誘えば行ったのに。そうしたら……」

 ゆずなは困ったように真斗を見つめた。

 相変わらず、愛しく惹かれる存在ではあるけれど。

(……大丈夫)

 頭の中は、冷静だ。

「最初はそのつもりだったの。予約も二名でしてた。でも、真斗には羽部がいるって思ったし。私……真斗が好きだったから、誘いそびれちゃって」

 そうしたら、自分の母親である人物の名前を呼ぶんだもの。ゆずなは、拗ねたように微笑んだ。

「……オレも、好きだ」

「どっちをなの?」

 迷子の子猫のような真斗が、痛々しくて。

「分からない。でもゆずなが柚香さんじゃないのは分かってる」

「本当にそう?私、マザコンだから、誰かが遠藤柚香の代わりになるのは許せないよ。それが、私自身であるならば尚更。私は、ゆずなだもの」

「……じゃあ、付き合う?」

「それは出来ない」

 ゆずなはきっぱりと言い放った。

 二人の距離は、会話をするには少し遠い。でも、お互いに近づかない。

 それが、きっと答え。

「何で?」

「……何でって。真斗、自分がしたこと分かってる?私は償いなんていらなかったよ。もっと早くに言って欲しかっただけ。そうしたら、羽部だってこんな思いをしなくてすんだはずなのに」

「……だよね。ごめん、どうかしてる。でも、オレ。慎に嫉妬してんだ」

 真斗は頭を抱えてうずくまった。

「私は本当に真斗の友達のゆずなだったかな?」

「……」

「……」

 真斗を見据えた。

 酷い沈黙。

 これほどの憎悪を込めて睨むのも、きっと最後。

「いや、ウソ。柚香さんを見てた」

 白状した。

「うん」

 ゆずなは笑う。

 痛い。

 痛い。

 すごく、痛い。

 心が飽和する。

「……出てくの?」

「だね。会社には寮もあるから」

「ごめん、オレ……柚香さんをずっと愛してた。死んじゃった……いや、殺しちゃったの、オレだもん」

 泣き笑う。

 裂ける。

 裂けそう。

 心が裂ける。

「病院、そういえばいたね。私、相当混乱してたでしょ」

「うん」

 打ちひしがれた真斗は、萎れた猫のようにへたりこんだ。

 そんな相手に、焦がれた相手ではあったけれど、ゆずなは言い放った。

「……ちなみに、真斗。私、ピザまんあんまり好きじゃない。実はプルーンは嫌い」

「……え?」

「あのね、お母さんの好きな物だよ。どっちも」

「……ごめっ」

(バカだな。真斗も私も、羽部も)

 靴を脱がぬままでいたゆずなは、ドアにもたれ掛かる。

 コン、と外側から音がした。

(聞いてるの、かな?……羽部)

 同じように、コツンと叩く。

 反応はない。

(でも、ありがとう)

「ねえ、羽部を殴ったの?血、出てたよ」

「ん」

 顔を上げない。

 自分が頼りっぱなしでいた真斗は、実はとてつもなく危うくて、息切れ状態であったのだと気がついた。そんな彼を支えていたのは、今扉一枚を隔てて背中合わせにいるらしい、お人好しの男の存在。

「……でも、この三年間。一番つらかったのは、きっと真斗だったね」

「ゆ、ずな」

 パッと顔を上げた真斗は、微笑むゆずなを見つけると、ハラハラと瞳から涙を落とす。

 それはあまりにも綺麗で。

 数年越しの愛が詰まった結晶みたいだった。

 泣き崩れた真斗に駆け寄って、ゆずなも悲しみに襲われて、わんわん泣いた。

 泣いて、泣いてバカみたいに二人で泣いて。

 真斗のわだかまりが悲しみに変わった頃。

 柚香の思い出を2人で語った翌週。

「真斗。携帯、変えたりしないでね」

 ゆずなは初めての一人暮らしを始めた。



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