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作者: 雨宮吾子

「乾杯」


 グラスを傾け、琥珀色の液体を飲み干す。液体は体液となって、男と女の思考を揺さぶる。


「私ね、お酒は得意じゃないの」

「美味そうに飲んだじゃないか」

「そう、それが不思議。一緒に飲む相手が違うと、お酒の味も変わるのね」


 女が笑うと目尻に皺ができた。男が笑うと何度か咳が混ざった。

 場所は寂れたモーテル。身なりは貧相。歳は当然若くない。それでもロココの夢を見たいと、値段のする美味くもない酒を飲む。

 世紀末はとうに過ぎたというのに、何が可笑しいのか、二人は悲愴な臭いを漂わせていた。


「不思議なことはもっとある。僕と君が、こうして酒を飲んでいることさ」

「ええ、ほんと。小学校で初めて出会って、お互いのことを好きになって。でもほとんど話したこともなかった」

「それでいて心は通じてたんだな。運命なんだよ」


 男は軽々しく運命と言う。女にはそれが可笑しくてたまらない。


「だってそうだろう、別々の高校に進んでそれっきりになった二人が、何十年も経ってから再会したんだぜ」

「それはそうだけど。私、そういう言い方は好きじゃないの」

「運命って言葉が?」

「そう。運命なんて言葉、人間を馬鹿にしてるのよ」


 と、人生において何も成しえなかった女が言う。


「じゃあ、偶然とか?」

「その方がいいわ」

「偶然だな。うん、偶然。偶然に乾杯」


 男は空のグラスを鳴らし、何かを飲み干すような動作をしてみせた。


「あら、もう酔っちゃったの?」

「ああ、酔ってるよ。全てに酔ってるんだ」

「全てに?」

「俺はろくでなし、この世の中もろくでもない。だから、俺も世の中もろくでなし、俺と世界は一体ってわけだ」


 女は大口を開いて下品に笑う。女は男の一部を吸いこんで、また吐き出しているということになる。


「傑作ね。今考えたの?」

「俺がそんな逸物かよ。ずっと考えてたんだ、いつか披露してやろうと思って」

「くだらないのねえ。昔っからそうだったの?」

「そうだよ。昔は無口だったからね、ボロが出なかっただけだよ」


 そう言いながら男は二杯目の酒を注ぐ。女は酢を飲むように慎重に、それを少し飲んだ。


「なあ、結婚したことはあるかい」

「私はないわ。不倫をしたり、年下の子と遊んでみたり。そんなことをしてるうちに、誰にも相手されない年齢になっちゃった」

「俺はあるよ。子供もいたんだぜ」


 男は不気味な笑顔を浮かべて言った。女は身を乗り出すようにして興味を示した。


「へえ、今は何してるの?」

「死んじまったよ、とっくの昔に。なんていうか、馬鹿らしい交通事故でなあ、それが原因で夫婦関係も悪くなって離婚しちまった」

「後悔してる?」

「なに、それこそ偶然ってやつよ。元々、俺にはそんな生真面目な生活、向いてなかったんだな」


 事実、男は後悔していなかった。ただし、別の人生もあったのではないかと、考えないわけではなかった。


「もしも、もしもだけどね。私と貴方が結婚するとしたら、上手くいくかな?」

「そりゃ最高の組み合わせだろうよ。店の一つでも開いてさ、酔っ払い相手にぼったくるのよ」

「ふふん、ご立派な夢だこと。私だったらもう少しましなことを考えるわ」

「よし、聞かせてもらおうじゃないか」


 今度は女が不気味に笑う番だった。舌の上で酒を転がしながら、あらぬ方に目をやる。


「そうねえ、私だったら慈善活動でもやりたいわ。世界中の恵まれない子供たちを支援するの」

「おいおい、そういうことはまず自分からだよ。老後の生活すら不安だっていうのに」

「いいじゃない。夢は夢なんだから。それに亡くなったお子さんも喜ぶわ」


 男は黙って酒を仰いだ。女も黙って酒を飲む。


「ま、それはそうだな。自分の見る夢ぐらいは好きにさせてもらわないと」

「そうよ。……あら、もうお酒が無くなったのね」

「あっという間だったな。高いくせにこれだけしか入ってないんだからな」


 そう言うと、男は二丁の拳銃を卓の上に置いた。


「言い残すことは?」

「貴方と死ねるなら、何も言うことはないわ」

「いいね。今考えたの?」

「ずっと考えてたの、いつか披露してやろうと思って」


 笑いながら、二人は拳銃をこめかみに向ける。


「偶然にしちゃ出来すぎだな。最後にこんな愉快な話しができるなんて」

「ええ、ほんと」

「じゃあ、さよなら」

「さよなら」


 煙草のヤニで濁った壁が、綺麗な琥珀に染まった。

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