近未来少女達
不気味なほど明るい夜の空の下を私は走っていた。もはや枯れた葉も残されていない肌が剥き出しになった木々の間を駆け抜ける。
後ろには確かになにかが存在する。私がここに訪れる度にそれは存在する。絶滅した哺乳類みたいな輩もいれば紛うことなく人の皮を被った化け物もいたりと姿形は様々だが、それらは例外なく私をその腹に納めようと肉薄してくるのだ。
竹林で目覚めたときもそう。何度も危ない目に遭ってそれでもギリギリのところで助かったり元の世界に戻ることで今の私は命を繋いでいる。
この状況もいつもとなんら変わらない状況だが、この森に初めて来たせいか、なんとも言えない安心感というものが私の足を引っ張っていた。
張り出した根に躓きそうになるもなんとか根性で体勢を保つ。速度は多少落ちたものの追い付かれると言う心配はなさそうだ。後ろを振り返ってみても闇の中に過ぎ去る幹と冒涜的な何かが潜んでいるブラックホールのような空間が広がっているだけ。
大抵こういうときに助けは来ない。しかし、気のせいか急に走りやすくなったというか、木々が別れて道ができたというか、そんな思い込みまでするようになってきた。
体力の使いすぎで頭がおかしくなったかと自分を叱咤すると、また前進することを目下の最優先事項と決めた。
ふと、目の前が開けた。それは明かりが見えたとかではなく、森を抜け大きな広場に出たと言う意味での開けたである。真ん中に一際目立つ木が摩天楼のように生えているだけの寂しい広場だ。
思わず足を止めてしまうが、それは致命的なミスだった。
私の経験上似た場面での光は私を喰わんばかりに誘い出しているものだから信用ならない。それで何度も死にかけた。
しかし広場に出てしまうとまずいと思った。複雑な隠れ場所がなく、相手を撒くこともできない。私にとっての処刑場の中心に聳え立つ大木が私には断頭台にしか見えない。
後ろから殺気というか、腹を空かした獣の気配がする。
私のサークル仲間であり友人の宇佐見蓮子の笑顔が私の脳裏によぎる。彼女が集合時間に遅れて大して悪びていない様子も、考え込んでいるときの真剣な表情も、唐突に旅行をしようと大学の構内で発言したときの子供じみた顔も、走馬灯のように私の体を駆け巡った。
私が死を覚悟した瞬間だった。蓮子は『幻像』と言っていたが、それは違う。私がここで命絶たれれば蓮子とはもう会えなくなる。
それだけは寂しいなぁと思いつつ、私の意識は遠退いていった。
強い光の訪れと共に私は目覚めた。枕元の携帯から発せられているアラームが私を現実に引き寄せようとしている。しばらくボーッとしていると、カーテンの隙間から光が差し込み私の目を覆っているのが理解できた。
眩しさに目を細めながらも、私は異様にダルい体を起こす。ひどい寝汗をかいたようで、寝衣が張り付いてきて気持ち悪い。
携帯の液晶をつけ時刻を確認すると七時半ごろだった。確か今日は休日だったなぁと思い出すと、なんだかもったいない気がするが、もう一回眠りに入るのに抵抗が感じられて、仕方なく活動を開始することに決めた。
洗面所で冷たい水を顔にかけ気分をリセットする。鏡で見る私の顔は少々やつれ気味だったが、唐突に蓮子との約束を思いだし、彼女になにか言われるのがなんだか不安で自分の両方の頬を気合い入れのため叩くと、いつも通りの面構えになれた気がした。
今日は蓮子とのサークル活動で山奥に旅行に行く出発日だ。何でそんな腑抜けた面なのかと根掘り葉掘り聞かれても困るので、きちんとしていなければなるまい。ましてやナルコレプシー? と聞かれるのは最悪だ。
間単にだがトーストとホットミルクの朝食を作ると、時間に余裕があることを確認しゆっくりと食べ始めた。
蓮子は約束の時間を守ったことがなかった。私がいくら言ってもなおる気配がないが、それでも私は時間を守らなくては示しがつかない。
蓮子の能力である『星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる程度の能力』はこういうときに役に立ちそうなものだが、昼間に星も月も見える筈がなく結局のところ彼女になんの益も与えていない。
時間を見計らって私は家を出ると、首都京都の交通の要所、そして集合場所である京都駅に向かっていった。
あれは確か一週間前だった気がする。
蓮子とは毎日顔を会わせるなり話したり遊んだりと恋人のような日常を過ごしていたが、その一貫として大学近くの喫茶店で私たちは軽食をとることにしていた。
少し古めでアンティークな雰囲気の店に入る。私たちの行きつけだ。店内は地理的に若者で溢れていそうだが、そんなことはなく客という客を私たち以外に見たことがない。しかし店を続けられている以上常連客がいて彼らに支えられているのだろう。
私は時間きっちりに店についた。しかし蓮子は来ない。これも普段通りだ。
マスターにコーヒーを一杯頼むと、私は窓から町並みを眺めてぼんやりと時間を潰すことにした。こうしていると蓮子が来たとき彼女にも批難を示すことができるだろうと考えているからだ。到底修正されるとは思わないが形を見せるだけしておかないと負けた気がして悔しいのだ。いったい何に張り合っているのか私にもわからないが。
程無くして湯気をあげている黒く苦い液体が運ばれてきた。白い陶器の皿に銀製のスプーン。食器がすでに高価なものばかりだが会計の時には心底驚かされるほど安い。私と蓮子が初めて来店したときには声をあげてしまったほどだ。
ここのコーヒーは他の店のより格段に美味しいし香りもいい。しかし、これが合成食品なのだと思い出すと途端に複雑な気持ちになる。
食料はこの時代ほとんどが合成で、天然物は国の高官ぐらいしか食せない。たまに農村では生産されているが、その量は少ない。これも汚染による生産能力の低下と、世界人口の激減が原因だ。
この世界はすべてが管理されている。ずいぶん前から黒いと言われてきた政府も本性を出し始め、都市伝説もあながち嘘だと言い切れないのも事実だ。
果たして過去の世界と今の世界、どちらが住みやすい世界なのだろうか。
かつて窮屈だと言われながらもそれでも豊かだった世界。今、管理制度がきちんと整備されつつも土地の汚染が原因で居住可能な地域が制限され、自然からのものが失われつつあるこの世界。技術の発展により月へ旅行にすら行けるこの時代、しかし科学や発明ではなく人間である私にはわからない。
冷めた目で行き来する人々や車を透かしている私だったが、来客がドアを開けたベルの音がしてそちらに目をやる。この寂れた店にやって来るのは限られている。
「ごめんごめん、メリーどれだけ待った?」
「三十分ぐらい。予定の範囲内よ蓮子」
それは大して悪びてもいないように見える私の友人、宇佐見蓮子だった。
今時珍しいハットにともすれば中性的な少年と間違えられそうな格好。しかし彼女は贔屓目に見てもかわいい部類に入ると思う。残念ながら胸は言及するのを憚られる。
蓮子は私の向かい側の席に座ると、マスターに少し大きめな声でオーダーをした。
「すいません私カプチーノで!」
「で、今回はどこに行くの?」
そもそも蓮子の目的はわかっていた。私たちはオカルトサークルとして各地の遺跡や曰く付きのスポットを探検している。その目的地を蓮子が決めたとき、この場所に集合するのだ。しかしかなりの頻度のため、私たちはほとんど常連扱いでたまにサービスまでついてくる。家計には嬉しいが申し訳なくも思う。
「実はだねメリーお嬢さん、先日ある伝承を発見してね」
まるでドラマに出てくる探偵のような口調で話し始める蓮子。
「普通にしゃべりなさいよ探偵さん」
まあよくあることだからスルーするのが一番とわかっているが、乗ってあげることもしばしばある。今回は付き合うつもりはない。
「ツれないわ、メリー」
全然残念そうではない彼女だが、ここまでは通過儀礼のようなものだ。蓮子がある地図と資料を鞄から取り出した。
カプチーノがちょうど届き、それらを邪魔にならないよう机の上を整理した後、ある写真を指差した。
「次はここよ」
蓮子は舌を暖めるためにカップに一口つけると、別の紙を手に持ち私に説明し始めた。
「この大木、妖精の住処と近隣の住民から言い伝えられているところで、現在も目撃例が後を絶たないの。しかも興味深いのはこの場所がある時急に出現したということ。今まで森のなかになかったものだから当時は神様が降臨なさったと騒ぎになって、ちょっとした祠もあるみたい」
その写真に写っていたのは雷に打たれて中ほどから折れたようになっている一本の幹だった。これが生きていた頃には大層立派なものだったのだろうと推測できる。
「ちょっと遠いんだけど、近々連休もあるしどうかなって」
「どうせ私に拒否権はないんでしょ、いいわよ」
「さすが話がわかるわメリー」
蓮子はかなり強引なところがあって、サークルの主導権も彼女が握っている。それについてあまり不満もないしむしろそれでいいと思っているから、私も少しキツい言い方のわりには気にもしていない。
「ちょっと険しいところだから服装には気を付けないと」
「結構本格的な準備が必要ね、まあこれからの人生後にも先にも無いでしょうし貴重な経験ができるからいいけどね」
私も蓮子も、特に蓮子の方が来週の予定についてノリノリで、一通り話がついたあとも大学での出来事だとか身の回りのことだとかを話してその日は解散になった。
そうだ、私の見たあの木だ、と私は思い出した。
駅へと向かうバスのなか私は唐突に思い出した。私の見たあの木、変わり果てた姿だったとはいえ確かに同一のものだった。
私の思考がそこにたどり着くと同時にバスが着いた。私も慌てて降りると、蓮子の指定した口に向かって歩いていく。その途中も私は気味が悪くてしょうがなかった。
私は時間通りだ。やはり蓮子の姿は見当たらない。恐らくあと三十分はかかるだろうと読み、再び思考の渦へと飛び込む。
写真で見たあの木の印象が強すぎてその夢を見てしまったというのが普通に考えて妥当だろうし、蓮子もそう思うだろう。
しかし、私が今まであの体験をするときは夢ではないと私にははっきりと言える。あれは今では滅んだ幻想、夢の狭間に存在した場所なのだ。
しかしそれならばなぜ今あの木は私の前に姿を表したのだろうか。なにか伝えたいことでもあったのだろうか。はたまた警告なのだろうか。
そこで、私ははたと気づいた。その木の放つものは果たして威圧感と不気味さだけだったのだろうか。もっと他の、抱擁のような別の意思があったのではないだろうかと、見当違いのような考えも浮かび上がった。
いくら考えても答えはでない。それならば今日蓮子は何分に現れるのか当ててみようと思った。その方が楽しいし、旅行に行く前の正しい心づもりのような気がしたからだ。
たぶん蓮子はいつもと同系列の服に綺麗にまとめあげられた荷物を持ち、頭をかきながら『イヤー、ごめんメリー、まだ電車大丈夫だよね』と呑気な顔を見せながら来るはずだ。
「イヤー、ごめんメリー、まだ電車大丈夫だよね」
噂をすれば影という言葉の通り、私の後ろから蓮子の声が聞こえた。台詞まで私に予想と同じだ。
振り返ると、これまた私のビジョン通りだった。
「蓮子、あなたどこまで分かりやすいの……」
「ん? なにか言った?」
何がなんだかわからない様子だったが、それも蓮子だ。
「というかメリー今日もあの夢見たんでしょう」
蓮子が鋭い観察眼を働かせたようだ。
「そんなこと無いわよ」
私はしらを切るつもりでいたが、蓮子はやれやれと肩を竦めた。
「メリーは分かりやすくて逆に助かるわ。メリーがそんなに深刻な顔をするときは大体そういうときなんだから。メリーは東北人みたいなのんびり屋さんだから特にね」
私も蓮子のことを分かりやすいと言ったが、それはお互い様のようだ。
「さあ、早くいきましょう」
「うーい」
蓮子を催促し、駅のホームに行く。
私と蓮子の二人は寝台列車に乗り込み、長旅の道をたどり始めた。
しばらく蓮子と話し込んだあと、気がつけば夜になっていた。到着は明日だから、蓮子も私も体力をできるだけ回復しようと早めに床についた。真っ暗闇の中、狭い空間で寝るのも久しぶりだったが、蓮子と一緒だ。なにも考え込む必要はないと自分に言い聞かせつつ、だんだんと意識が薄らいでった。
目の前にはあの木があった。間違いないあの続きだ。夜空に浮かぶ月も同じだった。
しかし周りには生き物の気配もまるでしない。この木と私だけの特別な空間に閉じ込められた心地だった。
やはり写真の木で間違いない。ゆっくりとその根元に近づき、その幹に手を置く。すると、とてつもない感情が私の中を走り抜けた。それはだんだんとはっきりとした思念の塊となり、私の頭に響いてくるようだった。
歓迎、感謝、謝罪、歓喜、安心、とりとめの無い感情の断片が、心に降り積もる。害意は感じられず、むしろ温もりが、懐かしさが私を満たしてくれるようで、警戒心を解きほぐしていく。
私は心音を聞くように幹に耳を当て、五感を研ぎ澄ませた。どんな小さな異変も逃すまいとしたが、それは以外にも大きなものだった。
まるで人の心臓が脈打つような鼓動が、木全体を震わせている。私は感動すら覚えた。
その心地よさに身を預け、私は目を閉じた。そうこれは現実、夢のなかじゃないから眠ってもおかしくないはずだ。
私の体を柔らかく逞しい腕が抱き抱えるような感触がしたのを節目に私の体が無重力下の浮遊感が襲い、気がつけば寝台に横になっていた。
昨日はよく眠れた気がする。
天気は快晴、活動にはもってこいだ。
起きた時間はちょうどよく、蓮子もモゾモゾと動き始めていた。
そんな彼女の目を覚ましてやりつつも、私たちは下車の準備を着々と進めた。といってもあまりすることもなくゴミを片付けたりするだけだったが。
駅を降りて、そこからローカルな路線を何本か乗り継ぎ私たちはようやくお目当ての森の近くにたどり着くことができた。
そこそこ荒れた土地で、腐った木々も少なくない。残っている木ももはや死にかけで、妖怪なんぞが出てくると言われたら強く否定できないだろうほどの形容しがたいオーラを放っていた。
「うひゃー、これは迷いそうだ」
蓮子が弱音を吐くが、私も同じ感想をもった。これは一回近くに旅館を探して出直してきた方がいいと思い、蓮子に提案した。
「行きに旅館見かけたからそこで休憩しがてら攻略方法を模索しましょう」
「……そうねー」
蓮子は苦笑いしながら同意した。
来た道を引き返し、旅館で部屋を借りて荷物を下ろし、緑茶をもって私たちの挫けた勇気を盛り返し、とりあえず今からは近くを散策して夜に作戦会議を、そして明日ついに攻め込もうということを二人で話し合った。
旅館の近くだけでも興味の引かれるものは多く、それなりに時間も潰せたし余裕もできた。
そして対策を練りに練って、その夜は明日の決戦に備えて早めに就寝した。
あの木は現れなかった。
天気は曇りがちで、雨は降らなさそうだが不穏な空気を私たちに感じさせている。
翌日の森の入り口付近、私たちは再びそこで魔界の扉と対峙していた。
「よし、行くわよメリー」
「……」
蓮子が始まりを告げる。私はなにも言わず頷いた。
周囲には生きた気配などほとんどなく、昼間だというのに霧が降りてきたように薄暗く、季節による寒気ではない怪しげな吐息のような冷気が私たちに付きまとってくる。
しかし作戦が功を奏したのかなんとか中腹までたどり着いたその時だった。
「あっ」
「? メリー、どうしたの」
強い既視感が私を襲った。それはあの夜始めて対面したときのものであり、二度目に抱き締められたあの晩のものであった。
目の前の木々が分かれ道のようなものを作っている気がした。
「蓮子、こっち」
「ちょ、メリーどうしたの?!」
蓮子の手を握り道をたどろうとする。蓮子の声が聞こえた気がするがなにふり構っていられなかった。
後ろからはなにも感じられないが何かが私の足を勝手に動かしている。
そしてついに、森が開け広場にたどり着いた。広場といっても草木が無造作に生い茂っておりその面影はないが、真正面に鎮座するあの折れた大木が、この場所を目的地だと示している。
「わぁ……」
「……」
私も蓮子も呆然とするしかなかった。
その残骸が醸し出すものはこの世のものとは思えないほど大きく、世界から浮いてしまっている印象さえも与えてしまっている。
二人でそれに近づいていく。なんということも無く根元まで進んだ私たちは、今度こそ言葉を失った。
その木は形はあるものの、折れた中身は空洞だった。虫にでも食われたのだろうか、はたまた何かの意図があってくりぬかれたのだろうか。
しばらく私たちは会話をすることも、考察することもできずにただ突っ立っていることしかできなかった。
少しして我に帰ったものの意識はまだ上の空だ。あまり頭は回らなかったが、そのままふらふらと歩き幹に近づく。
私は膝を折り以前そうしたようにその朽ち果てた組織に耳を当てた。
「よく来たな、境界の……」
そんな声が聞こえなくもなかった。