春告精と付喪神
前回は気候的な春だったけど今回から季節的に春になるかも。
一時期寒気と暖気が心躍り舞い遊んでいるかの如く気温の移り変わりが激しかった
が、それもだんだんと落ち着いてきて草木や小さな生命も続々とその芽を出してき
ている。私もその変化を今か今かと待ち望んでいたものの一つとして、賛美すべき
季節の訪れを心置きなく喜んでいた。
「春ですよー」
春告精がついに私の森にもやって来た。純白の衣装に身を包み、被っている帽子ま
でもが真っ白。その背にあるのは薄い桃色の羽で、春というイメージを凝縮したよ
うな姿だ。どこからともなく出現し、森の外に存在する人里や山の人妖だけでなく
この幻想郷すべての生命に春の到来を宣言する精霊。詳しくは知らないが、季節の
他にも様々な春を告げることもしているらしい。
私は飛び回る彼女を今朝方目撃したのだが、我々の元には昼頃になって姿を見せ
た。それはそれは満開の笑みを浮かべていたので、ちょうどよく吹いた春一番に仲
間も気分よく枝葉を揺らし、私も彼らと同じく春の訪れを賛美する詩を吟じるよう
にその身を風に任せた。
「これでようやくお仕事が終わりですー」
どうやら私たちのところが最後だったようだ。ハフー、と息を漏らし、重かった肩
の荷を下ろしたときのようなリラックスした表情を見せた。
「妖怪の山に行ったときには毎年毎年怖い妖怪に襲われて大変だったけど今年はな
んとかなったですー」
どうやら彼女、相当苦労しているらしい。妖精は死ぬという概念がなく、一回休み
といった表現を使うことが多い。それは妖精の出自に関係していて、彼女らは自然
の一部で、生き物ではない。強いて言うならば、自然そのものなのだ。
しかし彼女も自我を持っている故に、消滅したり九死に一生を得るような場面とい
うのは御免被りたいもののようだ。
「むっふふー」
彼女が私の根元からそこからでは見えないだろう頂点まで値踏みするような目で見
つめてきて、勝ち誇ったように笑った。私はなにか争っていたわけでもなく、ただ
春の到来を身に染み込ませていただけだったのだが、いったいどうしたのだろう
か。
「それじゃあ念願のー・・・」
と彼女は両腕を鷲の翼のように広げると、私の方ににじり寄ってきた。果たして何
をするつもりなのか、彼女はいったい何を考えているのか、私の中に不安が募って
いく。
「甘えんぼタイムですー!」
彼女の発した次の言葉は、理解するのにほんの少し時間がかかった。私に害を加え
るのではなかったのか。いや妖精であるからしてあり得ないのもわかっているが、
先程の口ぶりは、明らかにそういったものだったはずだ。それがどうして、今彼女
が私の幹に腕を回し、だらしなく顔を崩して軽くではあるがずりずりと頬擦りして
いる状況に繋がるというのだろうか。
彼女の腕では私の幹にしがみつくような形にしかならないが、感覚的には、私の全
てが彼女の手中におさめられているようだった。まるで父親や母親に抱きつく幼子
のように、彼女は私に親愛の念を込めて抱擁してくる。そんな私の困惑した思考を
読み取ってか、
「ふふふ、驚きましたかー?」
そんなことまで聞いてくる始末。どうやら妖精は簡単にではあるが私の思念を読み
取ることができるようだ。あの氷精も、私が難色を示したのを感じ取って撤回した
に違いない。
「一回あなたと会ってぎゅーってしてみたかったんですよー」
チルノと会ってから妖精と会う機会が多くなったと思っていたが、私のことがそれ
なりに広まっていて、だから私に会いに来るものが増えたのだろう。そして彼女も
その一人なのだ。
「私はリリーホワイトですー、よろしくおねがいしますね」
丁寧に自己紹介までしてくれた。私も名乗る名があるならよかったのだが、いかん
せんあっても名乗る口もない。しかし、
「守り神様に名前があってもあまり意味を持ちません。そのままでいいんです
よー」
リリーホワイトの助け船が私を助けてくれた。そう言ってもらえるとありがたい、
と代わりとしてはなんだが、リリーホワイトを抱くように私の枝葉を寄せることに
した。
彼女はそれを見て満足そうに微笑むと、私を抱く力をほんの少し強めた。
その時、仲間が私に突然来客を知らせてきた。といっても大分前から伝えようとし
ていたらしかったが、春告精に気をとられていて全く気がつかなかった。悪意ある
ものでないのが幸いといえよう。
来訪者は一人で、私とリリーホワイトのいるところから人一人分離れているところ
に立ち止まっていた。
「リリーは幸せですー」
リリーホワイト、リリーは第三者などお構い無しで私にすがり付いてきているが、
私としてはこの状況はあまり好ましくない。元々妖精は頭の弱い種族と知られてい
るらしいが、彼女が変に思われることや、彼女の今の行為を咎められることは我慢
ならないことだ。
だが、私の懸念は杞憂に終わる。闖入者はリリーをあざけ笑うこともせず、かと
いって色物を見る目をしているわけでもなかった。
「すごい・・・」
むしろそれが注目していたのはリリーではない。彼女が恍惚の表情を浮かべながら
腕一杯に抱き抱えている私の方だった。
肩の部分が膨らんだ白い衣服の上に水色の上着のようなものを重ね着していて、そ
れとお揃いのスカートを見事に着こなしている、これまた水色の髪をした少女だっ
た。奇妙なことにその瞳はビー玉のように澄んでいたのだが、果実のように鮮明な
赤目と青空のように奥の深い水色で、それぞれ異なっていたのだ。何より目を引く
のはその手に持っているもの、茄子のような色をした一ツ目の唐傘だ。
その奇怪な風貌と、微かな妖気は彼女が妖怪であることを物語っていた。
「わぁ・・・」
驚愕が感動に変わった瞬間の弾けるような笑み、チルノやリグルと同じような反応
だ。見開いた大きな目は星が瞬いていそうなほど輝いていた。
「こんなに大きいの見たのは初めてだよ!」
喜びを隠そうともしない彼女は、リリーのことなど気づいていない様子だ。恥ずか
しがることも忘れて大声ではしゃぎまくっている。
呆気にとられている私に対し、リリーは悪どい笑みを浮かべて異様な格好の少女を
見つめていた。リリーは彼女を遊び道具として認定したらしい。弄り倒してやろう
という気概が私の樹皮にもびしびしと伝わってきている。
「どうしたんですかー?」
ついにリリーが動き出した。
「ふぇっ! び、びっくりしたー」
少女は肩を面白いように竦め、完全に虚を突かれたといった感じだ。
「この木になにか用でもあるのですか?」
「えーっと、あなたは春告精・・・だよね」
「そうですよー春ですよー、それがどうしたのですかー」
「い、いやそういう訳じゃなくて、あの」
「ニシシ、冗談ですよー」
「ちょ、嘘、・・・うわーん! またあちき遊ばれてるー!」
リリーもホワイトという名前を冠していてもなかなか黒い面があるようだ。
「と、ところで名前はなんというですか?」
泣き出してしまった少女にリリーはさすがに焦ったのか慌てて話題を転換させよう
とした。少々グズっているものの、少女は意外に早く泣き止んだ。
メンタルは弱いが弄られ慣れているのか、環境が整っている時の私たち植物と同程
度の驚異の回復力を持っているようだ。植物の例を出すのはおかしい気もしないで
はないが、彼女には聞こえないのであまり気にしないでいいだろう。
「えぐっ、た、多々良小傘」
「小傘は確かお寺の裏側にいた妖怪さんですよね、いったい何故こんなところ
に?」
「人を驚かすにはちょうどいい場所だとひぐっ、思ってお墓にずっといたんだけ
ど、それでも誰も驚いてくれないしえぐっ、どうにかして驚かせないと力が出なく
なっちゃうから・・・散歩でもして気分転換でもしようかなって思ったら」
「この木を見つけたというわけですね」
「うん・・・」
大抵は懼、恐怖が妖怪の力の源になるが、小傘は驚懼疑惑の内の驚、驚きの感情を
糧にするらしい。しかし、その可愛らしい見た目と奇妙ではあるが恐ろしくはない
傘、言動から察するにあまり効果をあげていないようだ。
「ところで、えーっと」
「リリーでいいですよー」
「リリーはなんでその木にベッタリくっついてるの?」
「えへへー、元気を分けてもらってるですよー」
私も初めて知ったが、いつの間にかリリーは私から養分を吸収しているらしい。た
だ甘えているだけかと思ったが、すべて計算されてたらしい。とんだ策士だと私は
驚きを隠せなかった。
「ふふふっ」
そんな私を見てリリーは楽しそうに笑っている。この妖精、腹の底は真っ黒だ。
「この木に抱きつくと元気になれるの!?」
小傘もまさかリリーが悪鬼のような酷いことをしているなんて思ってもいなかった
だろう。
「小傘もやってみるといいですよー」
なんとリリーは小傘を道から外れた行為に引き込もうとしていた。小傘は及び腰に
なりながら私に近づいてくる。私は小傘の未来を案じて、馬鹿げたことはやめるよ
う説得しようとするが、彼女には届かない。リリーのすぐ隣で立ち止まると、つい
に小傘は、頬、胸、小さな体全体で私の幹を包み込むようにして抱きついてきた。
私は戦々恐々としていたが、いつまで経っても私を巡っているエネルギーが吸いと
られている様子がない。むしろ、どんどん活性化されているようだ。
と、リリーが私にしか聞こえない声でこう囁いてきた。
「さっきのはデタラメですよ」
リリーは衝撃の事実を私に告げた。エネルギーを吸い上げているというのが真っ赤
な嘘だというのだ。今の状態を鑑みるにそれが間違いではないとわかると、すっか
り毒気を抜かれた気分になり、私もリリーにしてやられたと笑うしかなくなってし
まった。
そうと分かれば話は別と、私は二人を包み込むように枝分かれした幹を動かした。
小傘は先程よりも大仰な驚き方をし、リリーは待ってましたと春告精の名に相応し
い暖かな笑みを浮かべた。
小傘は恐らく人間が好きなのだ。人を驚かすことしかできず、しかし自身の優しさ
のため中途半端なまま。その温もりは私の心にも十分伝わってきた。
「なんだろう、すごい懐かしい・・・」
「さすがですねー」
「はふぅ・・・」
二人は心も体もほぐされきったようで、それきり会話もなくただ頬を緩めては
ふー、とかほへー、といった意味のない吐息を漏らすだけだ。
私も至福の時を過ごしていたが、そうだ! 、と小傘がなにかをひらめいたように大
声をあげた。彼女の表情は夢と希望に満ち溢れている。リリーと私はかなり驚いた
のだが、彼女は全く気がついていない。
「あれ、なんか急にお腹がふくれたけど・・・とにかく、いいこと思いついちゃっ
た!」
「おおー」
どうやら急にアイデアが降りてきたらしい。居ても立ってもいられないといった感
じで、落ち着かない様子だ。
「えーと、守り神さん、リリー、ありがとうございました!」
小傘は私に向き直り、ペコリと頭を下げた。私風情がこうした役に立てたことなど
初めてで、少々気恥ずかしかった。
「よかったですねー」
「ベビーシッターで大儲け!やっほーい!」
リリーも小傘を祝福する。そして小傘は地面を蹴ると猛スピードで浮上し、森を抜
けていった。
「私も十分堪能しましたー」
私としては少々名残惜しいが、リリーも満足したらしく、ゆっくりとその腕を離し
た。
「また来年もよろしくおねがいしますねー」
リリーがゆっくりと浮かび上がり、どこかへと飛び去っていった。今日は彼女に振
り回されっぱなしだったが、あれはあれで見ていて楽しいものだ。
久しぶりに私一人になった気がするが、寂寥などは感じなかった。彼女たちが幸せ
になれたことが、私にとっては無上の喜びなのだ。
彼女たちの後押しをするように一筋の風が流れ、私の枝葉はリリーや小傘を送り出
すように、ゆっくりと音を立てた。