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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ある日、絶対音感を手に入れた。

作者: 綾瀬紗葵
掲載日:2026/07/12

 夏のホラー2026参加作品です。

 今年はあともう一話投下予定になっています。

 去年水音の話の書いたので、去年のテーマって音じゃなかったっけ? と一瞬悩みました。



 ……と思ったんだけどなぁ。

 ちょっと違ったらしい。



 本当に突然。

 目の前の妻がわざと割った皿から音がしたんだ。


 ドー!


 って。


 普通さ。

 パリーンとかカシャーンとか。

 そんな音が聞こえるだろう?

 だけどその日は違った。


 その後も、妻が皿を何枚も割って、そのたびに聞こえた。


 ド!

 ド!

 ド!


 何だよ、ド、って?


 心の中で突っ込んだわ。


 よほど間抜けな顔をしてたんだろうな。

 ぽかーんとする俺を置いて、妻は自室に籠もったさ。

 こんなとき、夫婦別の部屋を用意しておいて良かったって思ったわ。


 で、な?

 妻が自室に引き籠もったなら、当然やるべきことがある。

 浮気相手への電話だ。

 俺と喧嘩したあと、妻はヘッドフォンをして音楽をがんがん聴く。

 最低でも一時間は聞く。

 だから俺は安心して浮気相手に電話をかけられるってわけ。


 コール三回で相手が出る。

 少し遅くね? と思うのと同時に、出たときに。

 また、気になる音が聞こえた。


 ラー。

 

 さっき聞いたドと同じ感じがする。


『……何?』


「あ? なんでそんな不機嫌なんだよ?」


『この時間は電話できないって、言ってるのはアンタじゃん。お風呂に入ろうと思ってたとこだったの!』


 バスタイムは癒やしなの~、と常日頃から言っている浮気相手。

 時計を見れば夜の十一時。

 妻が完全に就寝するのは十二時なので、彼女は十一~十二時をバスタイムにあてている。


「悪い、悪いって。でも俺の声が早く聞けるのは嬉しいだろ?」


『……どうかしらね。進んでいない離婚話の愚痴とか、もううんざりなんだけど』


「そう言うなって。こんな話、お前にしかできないんだし」


『ねぇ。私、お前って言われるの嫌いって、言ったよね?』


 めんどくせぇ。


 妻なら笑顔で振り返って、きちんと謝ってから俺の機嫌を伺うのに。


 深い溜め息が出た。

 苛つきを吐き出したかったのだが。


『……最低。溜め息を吐くくらいなら電話なんかかけてこないでよ』


 シ!


 突然電話が切れた。

 切れる直前で、短い音が聞こえる。

 まるで浮気相手の苛立ちが音になったようだ。


「……さっきから、俺の耳がおかしくなったんか?」


 ド、ラ、シ……。


 聞こえた音を口にしてみる。

 そして、ふと思い至った。


 あ、もしかして、これって音階か?


 ってな。


 ドレミファソラシドの、ド、ラ、シで間違いないよな!


そんな流れで思い至ればその後は連鎖的に、それが何かに辿り着いた。


 お、何処かで聞いたことあるぞ!

 音が音階に聞こえる話。

 テレビか?

 それともネットか?

 どっちでもいいけど確か、絶対音感っていうんだろ?


 俺は突然与えられた特殊能力に心を躍らせる。


「すげぇ。俺、突然の覚醒じゃん!」


 思いがけず得た特殊能力を誰かに自慢したくて仕方ない。

 が。

 何時もこの手の話をするのは妻か浮気相手だ。

 でも今はこの二人は使えない。

 だとすると誰がいいだろう。

 会社関係の相手には……電話をするとうっとうしがられそうだ。

 メッセージならいいだろうか……。


 俺は後輩にメッセージを送った。


『俺、絶対音感を手に入れたぜ! 凄くね?』


 文章の後にドヤ顔のスタンプも一緒に送っておく。

 俺以上に夜型の後輩はまだ起きているはずだ。


「……は?」


 既読はすぐについた。

 だが返信はない。

 スタンプすら送られてこない。


『既読無視かよ!』


 反射的にメッセージを送信していた。

 爪を噛みながら反応を待つ。

 返信はきた。

 スタンプが一つ。


 おやすみなさ~い。


 無料スタンプの定番中の定番。

 猫っぽい生き物がナイトキャップをかぶって、枕を持ち、何度も手を振るやつだ。

 

『ふざけんな!』


 望む返信が来るまで送り続けつもりだった。


「……おい、未読無視かよ」


 だが、止めた。

 後輩は既読すらつけなかったのだ。


「は! クソが!」


 怒りに任せて携帯をベッドに投げつける。

 そのままキッチンヘ向かって、妻に禁止されているビールを三缶一気飲みした。

 急速に酔いが回ったので携帯を握り締めながら眠りにつく。

 メッセージの着信音はその後、一度も鳴らなかった。



 酒のせいか寝坊した。

 何時もなら妻が起こしてくれるのだが、今日は起こしてくれなかったらしい。

 朝食の用意もなかった。

 俺は盛大な舌打ちを一つして、最低限の準備をする。

 弁当の用意もない。

 苛つきは最高潮に達した。


「誰だよ!」


 この忙しい時間に携帯が鳴る。

 メッセージの着信音……の代わりに、聞こえた音。

 

 ファー。


 画面を見れば浮気相手からのスタンプ。


 いってらっしゃーい。


 その前にはおはようーのスタンプも確認できた。

 浮気相手からの俺専用スタンプに、少しだけテンションが上がった。



 会社には遅刻ぎりぎりで到着した。

 何故か周囲の目が何時もより強い。


「急ぎの仕事……仕上げ忘れてねぇよな?」


 頭の中で締め切りの近い仕事を思い浮かべる。

 少なくとも昨日締め切りの仕事はなかった。



 周囲の責めるような視線に不愉快な顔をしながら仕事をして、昼休みを迎える。

 何時もは自席で弁当を食べるのだが、今日は社食へ向かった。

 浮気相手がいるはずだ。

 姿を見つけて声をかけようとするタイミングで、声をかけられた。


 同僚だった。


 仕事ができる奴で俺の尻拭いもしてくれる。

 良い奴だ。

 だが今日は珍しく不機嫌を顔に出していた。


「ちょっと、面貸せよ」


「いいけど、俺。今日飯ねぇんだよ。嫁が弁当を作り忘れてさぁ」


「……わざと作んなかったんだろ」


 俺にだけ聞こえる低い声で、ぼそっと呟かれた。

 そういえば妻とこいつは元上司部下の関係だった。

 何か聞いてるのか?


「個室に日替わりを用意してあるから」


「お。奢りか? 悪いな」


「悪いなんて思ってないだろう」


 深い溜め息を吐かれる。

 八つ当たりはやめてほしいところだ。

 去り際に浮気相手に向かって手を振る。

 無視された。


 会議室にも使われる広い部屋に俺と同僚の二人きり。

 机の上には弁当とお茶が置かれていた。


 カフェオレが良かったんだがなぁ……と思いつつ、腰を下ろす。

 朝食を食べ損ねて腹が減っていたので、すぐに食べ始めた。


「……お前って本当に、空気が読めないよな」


「あ? 俺ほど空気を読みまくれる奴はいねぇんだぜ?」


「どうだろうな」


 同僚が一口飲んだ湯飲みを机の上に置く。


 ソー。


 音が聞こえた。


「……俺さぁ、昨日から絶対音感保持者になったんだよ」


「それがどうした?」


「凄くね?」


「本当ならな……口に物を入れたまま喋るな。米粒が飛んでるぞ」


「るせぇな。あいつみたいなこと、言うなよ」


「はぁ。彼女ほど忍耐強い奥さん、他にいないと思うぜ。もっと奥さんを大切にしろ。感謝も忘れるな」


 同僚のくせに説教とか、うざい。

 役職は上だが、そこまで上から目線の態度でこられると頭にくる。

 無言で食事をがっついた。


「お前に幾つか、言うことがある。最後まで黙って聞け」


「内容にもよる」


 同僚はコインを一枚弾いて寄越した。

 このコインを使えば会議室内に置かれている自動販売機が使える。

 俺はうきうきとコインを入れると、カフェオレのボタンを押す。

 ここのカフェオレは砂糖がたっぷり入っていてお気に入りなのだ。


「まず、浮気はばれてる。会社のほとんどの人間が知ってるぞ。そして浮気相手は式の日取りも決まった婚約者持ちだ」


「はぁ? 聞いてねぇぞ!」


「……黙って聞け! 大人しくだだ甘いカフェオレでも啜っとけ!」


 俺は口を噤んでカフェオレを啜った。

 甘みが俺の苛立ちをわずかに慰めてくれる。


「次。奥さんは離婚を決意して、家を出た」


「何でお前が知ってるんだ?」


「ずっと相談に乗っていたからな。っていうか、お前。絶対音感になったって本当か? 詳しく説明してみろ」


「あー、昨日から時々。違う音が聞こえるんだよ。さっきもお前が湯飲みを置いた音がソーって聞こえた」


「……ドレミファソラシド、のソか?」


「そーそー!」


 渾身のギャグに同僚は微塵も反応しなかった。


 つまらねぇ奴!


「例えば俺たちの会話は音階で聞こえるか?」


「聞こえてたら会話にならねぇよ!」


「単音が音階になる?」


「んー、それもちげぇ。皿の割れた音はドーだったし。着信音がファーだった」


「……これは、何て聞こえる?」


 同僚が携帯を操作して音を聞かせる。


「ドレミファソラシド」


「じゃあ、これは?」


「……わかんねぇ」


 同じ長さのメロディが流れた。

 だがその音は音階として聞こえてこない。


「……お前、医者に行った方がいいかも」


「はぁ?」


「脳がバグった可能性がある」


「怖いこと言うなよ!」


「小説で読んだんだよ。そういう事例。あと……こっちは眉唾なんだが」


「気になるから言えよ」


 同僚は随分と躊躇っている。

 らしくない。

 何でもスパスパ言う奴なのだ。


「人の好き嫌いが音になって聞こえる……っていう」


「そっちのが、すげぇ能力じゃん! マジか」


「いや。こっちは……ホラー系の話だし」


「ってーと? 低いドが良い感情なのか。それとも悪い感情? どっちだ?」


「はぁ、自分で考えろよ。ほら、休憩時間が終わるぞ」


 同僚が席を立つので、慌てて跡を追う。

 その後の仕事は当然、手につかなかった。



「離婚の話し合いがしたいので、彼女さんと来てください、か」


 結局低いドが良い感情なのか、悪い感情なのか確定できないまま自宅に帰ると、テーブルの上に手紙が置いてあった。

 今時手紙かよ! と突っ込みを入れるも、この手の事案には書類が必要なのかと考え直した。

 浮気相手にメッセージを送信すれば、あっさりと承諾の返信がくる。

 一緒に行くなら時間を決めようと送信するも、別々で! と返信があった。

 メッセージのやりとりを終える直前。


 ドー!


 と高い音が聞こえた。


 離婚が決まって喜んでいるのだろう。

 だとすれば、高い音が良い感情のドで間違いないのか?


「しかし、少しはこっちの都合も考えろ! ってんだよ」


 普通は一週間後の休日、といった指定をするものだろう。

 それだけ妻が強く離婚を望んでいるのかもしれないが。

 

「仕事が終わったあとに来てくださいだもんなぁ」


 ぶつぶつ言いながらファミレスに向かう。

 個室があるお高めのファミレスに到着すれば、既に二人は待っていた。

 想像していたより殺伐としていない。

 既に二人の間では話し合いがすんでいるのだろうか。


「飲み物を取ってくる」


「……ドリンクバーを注文しています」


「マジか! んじゃ、冷たいのと温かいの、両方持ってくるわ」


 俺はメロンソーダーとカフェオレを用意した。

 勿論別途追加する砂糖の袋も忘れない。 

 席に戻り、メロンソーダーを口にする。


「お、これって。舌が緑になる奴だな。ほら!」


 べーと舌を出してみせる。

 離婚話だと辛気くさくなりがちだからな。

 少しは明るくしないと!


 しかし俺の心遣いなど感じないのか、妻がたんたんと切り出した。


「私は離婚を希望します。貴男の有責です。彼女も貴男の浮気相手だったと認めました」


「すみません。結婚が決まっていて。それまでの遊びのつもりでした」


「はぁ?」


 そう言えば同僚も言っていた。

 彼女には結婚間近の婚約者がいると。

 俺は知らなかった。

 彼氏すらいないと信じて疑いもしなかった。

 だから離婚して、彼女と一緒になるつもりでいたんだ。


「怒らないでよ! 私は婚約者。貴男は妻。責任の重さが違うでしょう? それに、婚約者は私を許してくれたわ。仕事が忙しくて私との時間が取れていなかったって。だから、貴男へは慰謝料を請求しないって言ってくれたの。本当に格好良い婚約者なのよ!」


 浮気相手に婚約者自慢。

 こいつ、こんなに頭がいかれていたのか?


「でも奥様には申し訳ないと思っているので、慰謝料をきちんとお支払いいたします。奥様、申し訳ございませんでした」



 深々と頭を下げる。

 妻は軽く会釈で受け入れた。


「おかしいだろ?」


 俺は椅子から立ち上がって、浮気相手の首に手を伸ばす。

 届く前に、俺の手は妻によって叩き落とされた。


「暴力を振るわれる前に、お帰りください」


「わ、わかったわ。ねぇ。私は帰るけど、奥さんに暴力を振るっちゃ駄目だよ?」 


 浮気相手がバッグを手にさっと席を立った。


「おい! ドリンクバー代っ!」


「あなた!」


 慰謝料を払う立場の人間が、ドリンクバー代を支払わないとかあり得ない。

 俺は追いすがる妻の手を振り払って浮気相手を追った。

 浮気相手の足は速い。

 だがファミレスの前の横断歩道を渡る直前で、浮気相手に追いついた。

 背後から肩を掴む。


「この! ドリンク代を支払え。立つ鳥跡を濁してんじゃねぇよ!」


 手に力を入れて、振り向かせようとした、そのとき。


 ドー!


 と音がして。


 俺と浮気相手の体が宙を舞った。

 動体視力の良い俺は反射的に自分たちを跳ねた車を凝視する。

 高級車の中には男が乗っていて。

 憎悪の眼差しで俺たちを見ていた。


 俺はその男が、浮気相手の婚約者だと、わかってしまった。

 この手の勘は不思議と外さない。

 

 少し離れた場所に転がった浮気相手の両手足が奇妙にねじ曲がっている。

 即死、だろうか。


 アスファルトに叩きつけられた全身が痛い。

 痛いと思えるのなら、俺は生きている、はずだ。


「あなた! あなたぁ!」


 ファミレスから走ってきた妻が倒れている俺の側にへたり込んだ。

 幾度も俺を呼び、必死に俺の肩を掴んで揺さぶる。

 手入れの行き届いた妻の、長い爪先が何度もアスファルトを叩いた。

 それと同時に。

 俺の頭も、何度も、アスファルトに叩きつけられる。


 ド! 

 ド! 

 ド!


 と連続して強い音が聞こえた。


 頭を叩きつけるな。

 痛い。

 肩を揺さぶるな。

 痛い。

 痛いんだ、よ。


 訴える間にも、ド、ド、ド、と高いドが響く。


 車が俺たちを跳ねた音は高いド、だった。

 妻が俺の頭をアスファルトに叩きつける音も高いド、だ。


 つまり、高いド、が。

 悪い感情を意味しているのだろう。


 意識を失う直前に、俺はそれを知ることができた。

 できたところで何の意味もないのだけれど。

 奇妙な達成感があった。

 

 ドー!


 一段と激しく妻が俺の頭をアスファルトに叩きつけた。

 後頭部が濡れている。

 派手に出血しているのだろう。

 

 俺は浮気相手の婚約者に跳ねられて死ぬのか。

 それとも。

 妻に頭を叩きつけられて死ぬのか。


 どっちにしろ。

 死ぬのだと思う。


 妻が、泣きながら、笑っている、気が、する。

 俺の肩を揺さぶり、その反動で頭を叩きつけながら。

 綺麗に整えた爪先を割りながら。


 最後の最後まで、高いドの音が、頭の中で反響していた。 

 プランターの雑草抜きをしていたら、ダンゴムシが何匹も真っ白に燃え尽きていました。

 しかもとある一つのプランターだけ……。

 呪われたプランターなのかしら。

 何せこのプランターに植わっている花は壱年以上咲き続けているんですよ……。

 結構身近なところにひっそりとホラー要素が潜んでいると思う今日この頃です。

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