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見放すのと何が違うんだ?

作者: マーク
掲載日:2026/05/28

体罰について、語ろうと思うんだ。


なんだか、誤解があるようだから。


最初からちゃんと説明しようと思う。


体罰、これには、大きな前提があるんだ。


その人を愛していること。


この前提を忘れちゃいけないんだ。


え?体罰する人がその人を愛してるわけないって?


うーん。


やっぱり、馬鹿が増えているみたいだ。


体罰というのは、どのタイミングでされるべきものか、それを一度考えてみてくれ。


生まれて、赤ちゃんとして育っていく。


歩けるようになって、喋れるようになって。


少しずつ、心が形成されていく。


さて、今までに、体罰が必要な場面はあった?


ないよね。当たり前だよ。

ちゃんと説明してあげれば、親が態度で見せることができれば、まっすぐ育っていく。


じゃあ、さらに進めていこう。


小学生になった。


中学生になった。


高校生になった。


さて、体罰が必要な場面はあるかな?


うん、ないね。


真っ直ぐ育っていれば。


そうなんだよ。いらないんだよ。本来は。


もし。もし、間違った道に進んでいたなら、言葉でまず言うべきだろう。


でも、それが届かない相手がいるんだ。


いいかい?体罰って言うのは、言葉が届かなくなってしまった人を、正しい道に戻す、一つの手段なんだ。


無理やり曲げてしまうから、後遺症が残るかもしれない。


でも、そんなものがどうでもよくなるくらい、間違った道に進んじゃいけないんだ。


そして、だいたい。


体罰をしなくちゃいけなくなるのは、親以外だ。

だって、親には、いくらでもやりようがあったんだから。

親が体罰に走った時点で、それはもう体罰ではなくなる。

親は、形成段階から関わる責任と時間がたっぷりあった。


でも、先生は違う。


既に言葉が届かなくなってしまった相手に、どうしようもない。


いいか?


虐待とは、違うんだよ。


体罰は悪いことだという共通認識が広まっているのは、正しい。


だけど、それは通常の話なんだよ。


そもそも、体罰が悪いならどうすべきか、を話さない馬鹿ばっかりだけどね。


それは、見放すのと何が違うんだい?


そいつの人生に、一対一で真っ向からぶつかるんだよ。

最後まで面倒見てやるつもりで、殴るんだ。


理想論を語るだけじゃダメなんだ。


言葉と行動、背中で教育できなかったことが、まず大きな失敗なんだ。


つまり。


教育が既に失敗した後の末期的状況だけ。

そのときだけ、必要になることがある。


そして、その判断が極めて難しく、それが論点になるべきなんだよ。


体罰かそれ以外かを話してる場合じゃないんだよ。

そんな生ぬるい馬鹿みたいな議論してる場合じゃねぇんだよ。

正義もくそもねぇんだよ。


言葉が届かない人間を前にしたとき、大人が一人の人間としてどう命がけで対峙するのか。


その話をしてるんだ。


そんな、階段の一段目の話をしてる訳じゃねぇんだよ。

議論から感情へ話をすり替えやがって。


体罰みたいに、思いテーマを語るなら。


段階も責任も形成も例外も判断も現実も。


全部考えた上でものを言いやがれ。


そういうやつを、偽善者というんだ。

演説にでも見えたなら、君には語る資格がない。

論は立てたのだから。

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