002
一日の始まりって、いつだったっけ。
日の出前? 日の出と共に? 日の出の後? それとも目が覚めた瞬間?
少なくとも、この宮殿では、僕がベッドから足を下ろした瞬間らしい。
ベッドで薄目を開けて、天蓋に描かれた天使の戯れを目にする。添い寝婦の身じろぎが腕に当たる。
どうして目覚めて一番に、こんな高尚な絵を鑑賞する生活なんか送ることになったのだろう。
経緯はわかっているんだけれど、未だに腑に落ちないというか……。
†
スキルを鑑定されたその日の内に、僕はお城に連れられて、王様の前に引っ立てられた。
何しろスキル【魔王覚醒】持ち。タメを張れるのって、やっぱ王様なんだなあ。とか呑気してた。
「本当にこの子が?」
王様ってお客さんを待たせて大臣とひそひそ話しても許されるんだ。
ちょっと内緒話が長くて欠伸をしちゃった。そしたら周りの立派そうなおじさんたちが急に色めき立ってさ。
「へい坊ちゃん」って、道化師の女の子が肩を叩いてきた。
「この道化のジエスタちゃんがいる限り、誰も退屈にさせねいぜい」
ジエスタは曲芸とかパントマイムとか、色々と楽しい見世物をくれた。そうして僕がご機嫌でいると、おじさんたちも安心するようで、とても優しい人たちが見守られている気になった。
王様の話が終わったらしい。
「ロデモ君。折り入って余からお願いがある。聞いてはくれまいか」
激熱じゃん。王様からお願いされる人間なんて普通、王妃様かお姫様か王子様くらいじゃない?
そりゃ気分良いから「はい。何でも言ってください」って大張り切り。
「ではロデモ君。君には卵卿の称号を授けよう。それに伴って、余の別荘を与える」
「え、本当に? 嘘じゃないよね?」
王様は大らかに頷いた。万歳三唱ものだ。父さんと母さんが聞いたらびっくりするだろうな。もうあんなボロ家とはおさらばさ。
「親元を離れ、好きなように暮らすが好い」
「はい! ……あれ? え?」
ちょっと、心細くなること言わないで欲しい。
王様、ジエスタと組んで僕をからかっているのかも。そうに違いない。なあんだ、人が悪いな。
僕はジエスタを探したんだけれど、当の道化さんは僕の視線に気づくやビクリと肩を震わせて、苦し紛れに笑い返して手を振るだけだった。
多分みんな、僕のご機嫌取りに必死だったんだ。
王様の別荘――宮殿での生活で、嫌というほど思い知るのは、その後のこと。
†
さて、卵卿のお目覚めでござい。
毎日焼き立てのパンを入れ換えているんじゃないかってくらい温かで柔らかいベッドから身を起こしただけじゃ、まだスタートじゃない。
この瞬間から侍従のお姉さんたちが両のベッドサイドに澄まして立っていて、身じろぎ一つも聞き逃さない構えでいる。
息を呑む音さえ耳に迫る静寂。そよ風に揺らぐ梢、小鳥の語らい。聞き入る僕の邪魔にならないよう、右側のお姉さんはガウンをふんわり肩にかけてくれた。
人肌の温もりと、甘い香りが残っている。僕が起きるまでずっと、温めてくれたのだ。
「ありがとう……えっと、ナンナさん?」
ガウンをかけてくれた方の頬が僅かにひきつった。けれど笑顔を崩さず――
「卵卿閣下の仰せとあらば、今この時より賜ったナンナの名、ありがたく使わせて……」
「わあ! ごめんごめん! ニンナさん! こっちで合ってる? 合ってるよね? あなたがナンナさんでしょ、ね?」
僕は左手の侍従さんに尋ねた。
「卑小のこの身の名を覚えておいでくださって、感無量に打ち震えてございます」
双子の侍従、ニンナとナンナ。
寝室付きの侍従さんたちだ。
子守唄のハーモニーがとにかく素晴らしい。寝落ちして聞き逃すのが惜しいくらい。
二人は瓜二つで、こうして度々呼び間違えてしまう。
寝室付きなので、会うタイミングといえば寝ぼけている時間。余計に答えを外してしまう。冷や冷やものだ。
(えっと、ニンナさんがガウンをかけてくれたから……)
僕はナンナの方に足を下ろす。ナンナは即座に懐から履物を取り出し、嫌にソフトに履かせてくれる。
そうして背筋がぞくぞくするほど柔らかい絨毯を踏みしめると――
「卵卿ロデモ閣下のお目覚め!」「お目覚め!」
ニンナとナンナが見事な国家を歌い上げる。添い寝担当のお姉さんたち、スーヤとマクダキラはまだ寝ている。
これを合図に、それまで閑散を装っていた室外のお姉さんたちが大集合。
ニンナとナンナに扉を開けさせ、絢爛輝く廊下に一歩踏み出すと――
「おはようございます。卵卿ロデモ閣下」
右を見ても左を見ても、御髪を下げたお姉さんの花道という……。
王様は、僕のためにどこから何人呼び寄せたのだろう。みんなそれぞれ暮らしがあったはずなのに。
ため息をつきたいのに、ついたらついたで「まさかご病気!?」と取り乱すのは、この数日でよくわかった。
あんな命懸けの健康診断なんかに丸一日潰されてたまるか。
だから「楽にして。仕事に戻って」と、偉そうな感じに言ってあげるんだ。
偉くなくても偉そうにする。そうするとみんなは何故だかホッとして、衣擦れの音だけ残して宮殿に散っていく。
おいおい、僕ってば反吐が出るほど嫌な奴になった気分なんだけど。
散る花道の流れに逆らい、道化師姿の少女が鈴を鳴らしながら来る。
「やーやー、ご苦労ちゃんご苦労ちゃん。あらタイが曲がっていてよん」
「おはよう、ジエスタ」
「おやまあ坊ちゃん。重役出勤とは生意気じゃあありやせんか」
ジエスタは大仰に腕を回して胸に当て、自分の爪先に向かってお辞儀した。
他に残ったお姉さんは、給仕のレーウェイさん。
「ジエスタ、行儀が悪いですよ」
「ええ? 誰よりも頭を垂れたのにれすかあ?」
ジエスタはわざわざ仰け反ってレーウェイの方を向く。お辞儀の逆らしい。滅茶苦茶失礼なのに、滑稽なメイクのおかげで表情全部がおもしろおかしい。
僕は笑いを堪えながら「おはよう二人とも」と挨拶する。
「今朝のお目覚め、変わらぬご壮健をお喜び申し上げます」とレーウェイ。
おはようで良くない?
「本日の朝餉は――」
何かとにかくゴージャスな献立表を広げて渡された。レーウェイの説明が入る。
食前はスパイスと煮込んだすりリンゴをスプーンに載せて。食欲を刺激した頃に、宮殿菜園よりカブのくたくた、葉をしゃっきり残した温サラダ、レモンのドレッシング。古今東西酪農家のご馳走、マリアージュミルクスープ。バターとオイルを効かせたチリオムレツにひき肉を包み。朝挽き小麦のパン。カリカリにキャラメリゼしたカタラーナ。エッグコーヒー。
こんな息の詰まりそうな生活だと、食事が何よりの楽しみなんだよね。
ただ、献立表の並びは芸術品か何かの名簿みたいで、何個かはあまり食欲が誘われない。実物を拝むまでの辛抱だ。
「――以上にございます。本日はどちらでお召し上がりになりますか」
「ジエスタちゃん庭園が良いなあ」
「あなたには聞いていません」
「でも良い天気――」
ジエスタが窓を開けると、雪で塞がっていた。慌てて閉め、鍵までかけた。
「こらこら、どなたれすか。お外が良いって言った、とんだ風の子は」
「あなたですよ……」
「うーん、どこで食べようかなあ……」
庭園は寒いかな。寝室はお行儀が悪い気がする。やっぱり無難にダイニングってところだけれど、広いところを独占するの、少し寂しいんだよなあ。
「お悩みは、危機……?」とレーウェイ。
「んな訳いないないバア」とジエスタ。
「悩みの種とも言いますが……」とニンナ。
「あるいは頭痛の種……やはり危機……」とナンナ
「ダ、ダイニングが良いなあー!」
おちおち考えちゃいられない。トホホ。
僕が危機に陥ると、スキル【魔王覚醒】が発動する。
それを未然に防ぐため、この宮殿には様々な方面のプロが集められていた。
ある者は世話の。ある者は料理の。ある者は掃除の。ある者は娯楽の。
絵描きの。文字書きの。歌唱の。彫刻の。洗濯の。裁縫の。調薬の。礼儀の。司書の。化学の。護衛の。追跡の。栽培の。飼育の。採集の。狩猟の。掘削の。醸造の。肉の。野菜の。果物の。穀物の。商売の。学芸の。芸術の。設計の。建築の。鍛冶の。細工の。工学の。医療の。操舵の。乗馬の。調教の。……。
とにかく僕に危ない目に遭わせない。そして退屈させず、思い悩ませず、いつまでも健やかに。
天寿を全うするまで。
何が危機と判定されて、魔王が覚醒するかわからない。
だからお姉さんたちは全力で僕を甘やかす。
全身全霊で僕を肯定する。
僕のわがままに従う。
過ちにさえ肯う。
なんだかな。
ストレス。
感じる。
かも。




