元少佐と自総書記人形
・・・とある、非番の日。
すでに水蒸気機関車事件のあと。
彼女の勤め先のC・H 郵便局奇襲騒動のあとだ。
ヴァイオレットは当時監獄にいるエドワードから『自分宛』の手紙を代筆した。その便箋を封筒に入れ、前例のないその手紙をどう扱うのか悩んでいた。
あの時の返事をちょうだい?
とエドワードから自宅に手紙が来た。
どのような手段を使ったのか、よく分らない。
どうも脱獄したらしい。
当時舐められた片耳におもむろに触れ、不快感に眉間を寄せる。
――不覚だった。
その時のヴァイオレットの顔にはそんな感情が滲んでいた。
乗り物に揺られ、C・H郵便局に向かう。
ヴァイオレットは耳を触るのを止めて、自分宛の封筒を専用のカバンに入れてため息を吐いた。
――妙な噂・・・
正直、彼女の主観からするとその噂はそんな印象のもの。社長からは「そんな誘いがあったなら自分で選びなさい」と言われていた。
C・H郵便局の自動書記人形たちは、美人揃い。
代筆以外の仕事をしている噂がたっていることに気づいてはいたものの、彼女にとってはどうでもいい事柄であった。
そこにきてエドワードからの自分宛の手紙は噂に信憑性を帯びているような錯覚を起こす。監獄にいるエドワードがどうしてそのうわさを手に入れたのかも気になった。軍人に機械化がすすんでいる噂も立ち、神経をつなぐ機械義手すら世間では問題になっている。
ヴァイオレットは社長に諸々の不安を相談するために外出していた。
――命令ではなく、指示が欲しい。
そう思って、ヴァイオレットは自分の意外な感想にぱちくりと瞬いた。
ヴァイオレットにとって社長は信用に足る人物。いつでも相談に乗ってあげると言われていた。社長はいつも社長席の椅子に座ってくれている。事前に記しておくが、他意があったわけではないし、彼女に不思議な力があったわけではない。非番の日に相談を受け付けるシステムがあるのだ。社長直々に。
近々相談したいことは言ってある。いつでもいいよ、と返事をされた。ヴァイオレットは寄り道もせずに本局に向かった。
C・H郵便局の看板を見て、ヴァイオレットはベルの鳴るその扉を開けた。二階に向かうとカトレアがいて挨拶をした。今社長はお客さんが来ていて三階の自宅にいると教えてくれた。おまけにコーヒーを差し出して、良い匂いでしょう、と言われ、ヴァイオレットは急に鼻をすんすんとさせた。
「良い匂いがする・・・」
「ん?どうしたの?・・・ヴァイオレット?」
ふらふらと三階に上がり、鼻をすんすんんさせて夢見心地のヴァイオレットに幸運がなぜか味方をした。荒くあつかった扉が開いていて、そこから「良い匂い」の気配までたどり着いてしまったのだ。ちなみに彼は無香料の石鹸を使う、昔とは違う香水を使ってやってきた客人だった。
「男を自動書記人形として採用?ヴァイオレットに何かあったらっ・・・」
「まぁ、落ち着けよギル」
半開きの扉。
その後ろ姿を見つけ、しばらく呆けた彼女に社長であるホッジスがヴァイオレットに気づき、「あ」と発した。
「少佐っ」
そこにいたのはまさに、彼女が夢にまで見た男ギルベルト・ブーゲンビリア。背後からヴァイオレットに抱きつかれ、そして彼は唖然としていた。
「少佐っ」
「ヴァ・・・」
社長であるホッジスが「どうして連絡しなかった?」と聞いた。少しギルベルトに抱きついている束縛をゆるめ、ヴァイオレットは社長にひょっこりと顔を見せた。
「社長、相談があるんです」
「ヴァ・・・ヴァイオレット・・・」
ギルベルトはかなり驚いていて、うまく対応できない自分に気づくのも難しい状態らしかった。
「あっ。突然すいませんっ、少佐っ」
腕を放そうとした彼女の両手を、ギルベルトはむしろ掴むを選択した。片目に眼帯をしている彼の顔は精悍を保とうとしている。拾った頃よりも肉感的な成長をとげた彼女の感触を無意識に体感したのに気づいて更に動揺していた。
「私はもう少佐ではない・・・」
やっと発したその言葉に、親友であるホッジスが付け加える。
「黙っていてごめんね、ヴァイオレットちゃん。機械化軍人について話をしていた。義手も問題になって、ギルベスト軍を辞めるらしい」
「では何とお呼びすれば」
「ギルベルト」
「ギルベルト様・・・?」
発熱したかのような体温上昇に困っている親友を側に、ホッジスは半ば呆れている。
「ヴァイオレット、わたしは―・・・」
「聞いて下さい、私、お友達ができたんですっ」
「ともだち・・・?」
「はい!天文学者をしているんですよっ。そう言えば次に会うまでに星に詳しくなっておくと宣言しておきましたっ」
「そうか・・・」
「はいっ」
「私は君の両腕を奪ってしまった・・・」
ホッジスが、情緒で仕方ないと俺は思っていた、と付け加える。
「いいんですっ。ギルベルト様が生きていてくれたからっ」
「えっ・・・」
ヴァイオレットは社長に相談するために持っていた自分宛の手紙を示す。
「あの、社長、この手紙について相談を、と・・・」
「ほう、気になってはいたが誰に宛てたものだ?」
「私に宛てたものです。私が代筆しました」
「なるほど、その相談、ね」
「どうやって扱えばいいのか前例が経験上ありません。返事が欲しいと言われたのですが、なかなか思いつきません」
「なんて書いてあるの?」
「・・・それは・・・」
ホッジスがいぶかしがり、読むよ、と言ってヴァイオレットが持っていた手紙を受け取り、中身を開いて口に出して読んだ。
「『君は娼婦に落ちた』・・・なるほど」
「なにがなるほど、だっ」
ギルベルトのあげた大声に、正直、ホッジスは驚いた。冷静を保とうとしてはいるのだろうが、動揺している親友を前に言葉がなかなか浮かんで来ない。
「・・・落ち着け、ギル」
「ここの社員たちについて妙なうわさがたっているが、ヴァイオレット、君は娼婦の仕事をしているのかっ?」
束縛を解かれて対面した彼は、本気で怒っていた。まるでそれが子供のわがままみたいに見えて、ヴァイオレットは微笑した。
「私、娼婦ではありません。それから『愛してる』の意味が分かりそうです」
「・・・え?」
ヴァイオレットは目に涙を溜めて、ギルベルトの瞳を見つめた。
「私、ギルベルト様を愛しています」
「・・・なんだって」
「私、ギルベルト様を」
聞こえなかったのだと思って反芻しようとした矢先、ギルベルトからの熱い抱擁があった。彼は涙声で言った。
「よく、頑張っている。ホッジスからも聞いている」
ヴァイオレットは泣き出した。嬉しさからの涙だった。ホッジスが親友に、娼婦の噂は事実無根だ、と告げる。するとギルベルトは、分かった、と納得したように返事をした。
「ずっと隠れているつもりだった」
ヴァイオレットは顔を上げる。
「それは何故ですか?」
「君のためにならないから・・・少なくとも、そう思ったからだ」
「それは、間違いです」
「・・・ん?」
「自動書記人形としての仕事は充実していますし、辞めたくありません。ただ、ギルベルト様に側に居て欲しいです」
「それは・・・どうしてなんだ?」
「・・・愛しているから・・・です・・・」
うつむいて、赤くなっていく顔を隠そうとするヴァイオレットの様子に、ギルベルトは感動しているようだった。
――まるで普通の少女。
そして自分に対して、とても特別な少女であることをギルベルトは再認識してしまった。
――これで、いいのか?
ふと、過る疑問。
そこに、ホッジスが言った。
「それだけでいいのか?ふたりとも?」
「「え」」
ため息を吐いたホッジスは、「両想い」とキーワードをくれた。
「両想い・・・だとしたら、とても素敵ですっ」
「そうなのか?」
「はいっ」
「じゃあ、どうしたらいいんだ・・・」
女に困ったことはないが、恋愛をしたことがないギルベルトは自分の本心から側にいる親友に助けを求めた。親友に振り向く。
「どうしたらいいんだ」
ホッジスは「結婚したら?」と言う。
「それでいいのか?」
「不服があるのかい?」
「いいや、ない。ヴァイオレットがそれでいいなら、嫁にもらいたい」
「別にそれでいいじゃん」
「そうなのか?ヴァイオレット?」
彼女は泣きながら、「それがいいです」と言った。
「料理や裁縫まで習っていると手紙に書いてあったな・・・」
ヴァイオレットは誇らしげに微笑んだ。
「『氷の薔薇姫』を一緒に観たいですっ。ロングランしているんですよ」
「ん?」
「私がモデルなんだそうです」
「ほぅ。いいだろう。今からか?」
「今度でいいですっ」
ホッジスが涙を指先で拭った。
「最近、表情がくるくる変わってさ、可愛さ倍増だよ」
「だ、そうですっ」
「うんうん」
「それでいいですかっ?」
「それでいい」
「この仕事を辞めたくないけど、ギルベルト様のお嫁さんにもなりたいですっ」
「分かった、それでいい」
「はいっ」
ギルベルトはホッジスにヴァイオレット宛てに用意された手紙を自分に渡すように促した。受け取ったその手紙をふたつに裂いて、そこらに投げて捨てた。
「エドワード、ありがとうっ」
ヴァイオレットがそう言うと、「誰なんだエドワードって?」とギルベルトは不思議そうだ。彼に「いいんです、私のことを少し知ってる危ないお兄さんです」と彼女は言う。
「そんなもんにヴァイオレットはやらんぞ」
「じゃあ結婚をしろ、って」とホッジス。
「分かった、結婚するっ」とギルベルトは言うと、ヴァイオレットを抱き上げ、肩にかついだ。
「えっ?」
「もらう」
そう言って部屋を移動し始めるギルベルトが、親友に振り向く。
「あっちの部屋」
「ああ、ヴァイオレットちゃんが同意するなら使っていいよ」
「分かった。とりあえず運ぶ」
そう言って「あっちの部屋」へ移動したあと、
――
――――・・・
ヴァイオレットはのちに産休を取ることになった。
子育てはもっぱらギルベルトが行い、時代が変わって良かったと度々言った。
軍人の機械化について、神経をつなぐ義手すら懸念されたので軍を辞める理由になった。
ギルベルトの兄であるディートフリートからの連絡が最大のきっかけだった。
彼はこう言った。
ふたりっきりの兄弟だ、ギル、お前は軍を辞めろ、俺がブーゲンビリアの家を継ぐ。
あの女と結婚でもしたらいい。
言っておくが、ブーゲンビリアの名前も捨てなくていいからな。
愛してるよ、ギル。
俺はいつか死ぬまで、生きるから。
お前は俺のできない事ができる気がする。
軍を抜けても。
機械化軍人の懸念についてと身内の都合を理由に今すぐ軍を辞めろ。
・・・そして今やギルベルトは「パパ」である。
子供の人数や名前・性別を明かすことは情緒と言うもので、できない。
ただ、彼女は結婚をしても、自動手記人形の仕事に勤めたことは記しておこう。
この作品の仮の題名 ヴァイオレット・エヴァーガーデン物語
作者名候補 ヴァイオレット・エヴァーガーデン
この章の書記
【 ヴァイオレット・ブーゲンビリア 】




