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「ヴィシュヌ様、これなのですが、初めて作ったので上手く出来ているか見て欲しくて」
どれどれ、とヴィシュヌ様は私の作った鞄を調べ始める。手に取って眺めては魔法を通して調べてくれている。
「ソフィア、初めてにしては上出来だよ。魔石を使った方法を選んだんだね。作る時にもう少し魔力を一定に保ちながらこうやって流して空間を広げるともっと良い」
そう言いながら、ヴィシュヌ様は鞄の歪な部分を直してくれたわ。嬉しい。ヴィシュヌ様に直して貰った。
「ヴィシュヌ様、ありがとうございます。大切にしますね。あと、ラファルの大きさなのですが、どうしたら良いですか?」
「ソフィアならもう出来ると思うよ。シェナに貰った本の後の方に書いてあるから熟読するようにね。そうだ、私からソフィアに」
ヴィシュヌ様は私に向き合うように立ち、祝福の呪文を唱えた。
……凄い。ヴィシュヌ様の魔力を肌身で感じたの。
「ヴィシュヌ様、あっ、ありがとうございます。嬉しいです。私、この街に戻りたい。ヴィシュヌ様と一緒にいたい、です」
私は思っていることを口にすると、ヴィシュヌ様はフッと笑いリボンの付いた鈴をくれた。
「ソフィア、何かあればこの鈴に魔力を通して鳴らすんだ」
「これは?」
「これを鳴らせば君が私を呼んでいると知ることができる」
「ヴィシュヌ様、いいのですか?」
「ああ、もちろんだ。ソフィアのために駆けつけよう」
ヴィシュヌ様と知り合ってほんの僅かしかない。
けれど、私には衝撃的だった。
全てが夢のようなこの街でヴィシュヌ様や街の人の優しさに触れて、受け入れてくれている。
この街の人は誰もがヴィシュヌ様を慕っている。私も、できるのであればこのままヴィシュヌ様と共に長い時間を過ごしていきたい。
「ソフィア、これからソフィアは人より長い年月を過ごす事になる。いつでもこの街に戻って来なさい。待っているよ」
「はい」
しんみりしていると、ヴィシュヌ様はそっと私を抱き寄せ、額にキスを落とす。驚いて見上げると、ヴィシュヌ様は微笑んでいた。
「……ヴィシュヌ様」
「ソフィア、レオン達が待っているよ。行ってらっしゃい。早く戻っておいで」
「はい!行って参ります」
私はラファルと共に玄関で待つレオンお兄様とテオお兄様の元へ向かった。
「シェナさん! 短い間でしたが、ありがとうございました!」
「レオン達と仲良くね」
手を振って見送ってくれたわ。
私達は街の外へ出て結界を抜けると途端にレオンお兄様とテオお兄様は私を挟みぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
「お兄様、苦しいわ」
「あぁ、本物のソフィアだ。やっと会えた。ずっと探していた。もう離さない」
お兄様達は私がどこか飛んでいってしまうのではないかという不安から抱きしめながら歩こうとする。
そんな中、ふと疑問に思ったことを口にした。
「お兄様、このままオリヴェタン侯爵家に転移するのですか?」
「いや。距離もあるし、近くの街で宿を取るつもりだ。今迄の事、これからの事を話そう」
レオンお兄様はそう言うと、近くの街まで転移し、宿を取った。
「お兄様、どうして一部屋なのですか?」
「ソフィアとこれから結婚するのだから気にしなくて大丈夫だ。別になにかする訳でもないし、心配しなくていい」
何か解せぬ思いがするわ。
部屋に入るとベッドが二つある。
「それでは、レオンお兄様は右のベッドを。テオお兄様は左のベッドをお使い下さい」
「ソフィアはどうするんだい?」
「私は床で寝ます」
そう言ってラファルの鞄からテントで寝る時に使っていたロングクッションと枕代わりのクッションを出すと、お兄様達は目を見開いていて驚いていたわ。
「ソフィア、床で寝ても平気なのか? それと、その鞄、どうなっているんだ?」
私はラファルを元の大きさに戻すと、空気を読んだかのようにラファルはロングクッションを囲うように座ると、羽根を布団代わりに、と言わんばかりに広げてくれた。
愛い奴め。ラファルを撫でながら兄の問いに答える。
「お兄様。私は家を出てから殆ど野宿で過ごしておりましたの。これくらい平気ですわ。それに、こうしてラファルと共に寝るのも大好きなんです」
レオンお兄様もテオお兄様も苦い顔をしているわ。
「ソフィア、辛い思いをさせたな。もう心配は要らない」
「お兄様達、何か勘違いしていませんか。私、別に野宿するのは辛くありませんでしたわ。いつも私にはラファルが寄り添ってくれていましたから。
むしろ、旅は私にとってとても楽しいものでしたのに。私が辛かったのは邸での生活です。理由があったにせよ、誰も私を家族として庇って下さいませんでした。
声も掛けて貰えず、食事も共にしない。サラにお茶を掛けられても知らん顔。今更追いかけられても私の気持ちは氷漬けになったままなのです。
私が一度侯爵家に戻ろうと決めたのも、もう一度向きあおうと思ったのも……ヴィシュヌ様が背中を押してくれたからです」
レオンお兄様もテオお兄様も青い顔をして固まっている。でも、これは今の私の正直な気持ち。
それにもう、貴族に未練はないわ。
誰に頼ることもなく自分一人でしっかり立っていられるもの。
私はラファルの羽根の中に潜りこみ、目を閉じながら口を開いた。
「なので、私はラファルと床で寝る事くらい、辛くありません。それではお兄様、おやすみなさいませ」
「っ!! ソフィアっ! ごめん。ごめんよ。俺達が一番ソフィアを傷付けていた。ごめん」
ラファルは近づいてくるお兄様に威嚇音を立てる。私はひょっこりとラファルの羽根から顔を出し、
「……。お兄様、言い忘れていましたわ。お兄様は侯爵です。貴族であるお兄様達は私との婚約を白紙にして婚約者を邸に迎えたのですし、新たな御令嬢をお探し下さいませ」
そしてまた顔を引っ込める。
やはり心の何処かでもう辛い思いはしたくないと叫ぶ。
あの時のお兄様達の態度が、家族の表情が、今でも私の心の傷を抉る。
考えるだけでじくじくと傷口がいえぬままだ。思い出したくない。
邸に帰りケジメを付けた後、私はまた旅に出よう。