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本を読み終わるころには日が落ち始めていた。この時間からでは会いに行けないだろうから、兄に会えるのは明日だろうか。後ろに控えるアンナにバレないように小さくため息をこぼす。
本を読んで疑問に思ったことを軽くメモをしていると夕食の時間になったようで声をかけられる。身だしなみを軽く整えられた後、私は食堂に向かった。
当然のように食堂に兄は居なかった。
料理は今日もワンプレート。慣れない私への配慮だ。早く部屋に戻りたい一心で手と口を動かしていると父が口を開いた。
「今日は本を読んでいたそうだな」
私は口の中のものを飲み込んで短く「はい」と答えた。
「何の本だ?」
「この国の地理について学べる本です。予習をしておきたくて」
「そうか。良いことだ。エミリアには私の後を継いでもらいたいからな」
「あら、まだ早いですわ。それは私たちの間に男子が生まれなかった場合でしょう?」
生まれないけど、と心の中で付け加える。私が知るはずもないことだから、もちろん顔には出さなかった。
「おはようございます、お兄様」
アンナたちが居なくなった隙に兄の部屋に向かう。辛抱強くノックしていると、諦めてくれたらしく扉を開けてくれた。
少し困ったような顔をしている兄に昨日書いたメモを渡す。
「お兄様、勉強を教えてくださらない?」
彼は困惑しているようだった。父に聞く方が確実だと思っているのか、「父上に聞いたら?」と勧められたが、逃げられる前に部屋に押し入る。机には本が積み重なっており、掃除が行き届いていないのか、埃を被っているところもあった。
「本がたくさん……。勉強家ですのね!」
「そ、そんなこと……」
彼は謙遜しつつ、強引に渡したメモを読んでくれた。しばらくすると、紙を引っ張ってきて絵を描き始める。
「ここの地形は――」
兄の説明はとても分かりやすかった。本を読んだだけで理解できるなんて流石だ。……私がこの兄を押しのけて当主になるのは普通に無理だと思うけどなあ。
「これで分かった、かな?」
「ええ、もちろん! とっても分かりやすくて、楽しく学べましたわ!」
私が勢いよく感想を言うと、彼は顔をほころばせた。
「良かった。僕はこれくらいしかできないけど、いつでも、いつでも聞きに来て」
「これくらい? そんなことありません!」
私は俯く兄の手を包み込むように握る。
「お兄様は自分の価値を卑下し過ぎです! もっと自信を持ってください! 誰にでもできることではありませんから!」
私の必死さが面白かったのか、彼は吹き出すように笑った。
時計を見ると、アンナが部屋に戻ってくる時間を過ぎていた。楽しくて時間を忘れてしまっていたらしい。
「ありがとうございました。また、会いに来ます」
さっとカーテシーをして急いで部屋に戻る。アンナには叱られ、兄の部屋にいた事まで話してしまったが、「秘密にします」と言ってくれた。予期せぬ協力者ゲットだ。
それから家庭教師が来るまでは毎日、来てからも隙を見ては兄の部屋に遊びに行った。兄はあらゆる種類の本を読んでいるようで、歴史も外国語も数学も全部答えてくれた。
悔しくて、ダンスの練習に連れ出してみたものの、始めて一週間ほどで三ヶ月練習した私のレベルを超えてしまった。副産物としてダンスの練習という名目で合法的に兄に会えるようになったのは嬉しかったけど、やっぱり複雑だ。
「お、お兄様にできないことはありますの……?」
「……色々あるよ」
ある時、私が冗談めかして聞くと兄は苦笑しつつそう言った。その言葉に対し、私は父の関心を得ることかな、なんて呑気に思っていた。
父は優しい人だ。兄を冷遇しているとは思えないほどに公平で民に慕われる良い当主だと聞いている。情に厚いが大切な判断は間違えない、と父の秘書が自慢げに言っていたことを思い出す。その父があからさまに拒絶する兄とその母。この家で暮らすうちに彼らの間に何があったのかを知りたいと思うようになった。
「お兄様、この事件が起きた背景が分からなくて……」
ある日、いつものように兄の部屋に入ろうとすると、部屋の中から話し声が聞こえてきた。兄の部屋には使用人もめったに近づかないし、話しかけることなんてしないのに。両親は食堂に置いてきたから二人でもない。気になって、悪いとは思いつつ聞き耳を立てる。効果はあるか分からないけど、本に書いてあった気配を消す魔法でも使ってみようかな。
「……黒」
黒、というのは話し相手の名前だろうか。猫かなあ、猫と戯れている兄は絵になりそうだ。
「……問題ない」
兄の声しか聞こえないが、部屋に入り込んだ小動物と話している訳ではないようだ。淡々と少し低い声で兄は誰かと話している。
「教団は貴方様の味方ですよ」
相手の声がやっと聞こえた。話し相手は何かの教団の人ってこと? 神官ならこそこそ会う必要がないし、この国周辺で主に信仰されているものは自分たちを教団とは言わない。おそらくマイナーなものを信仰している人だろう。
ゲームでは復讐のために国を滅ぼそうとしていたが、本当に理由はそれだけだったのだろうか。父への復讐なら侯爵になるだけでも十分可能だ。でもそうしなかった。もし、その裏に真の黒幕が居たのなら――。
そうだ、教団はゲームにも居た。教団はレオンの協力者として名前のみが出てくる存在で、見た目も目的も分からない。
「敵は……教団」
まずは相手の正体を知らなければ。とりあえず図書室へ走ることにした。
教団というぐらいだから、宗教系の本を読んでみるが、この国と隣国の国教のものしか置いておらず、新しい情報は得られなかった。
一週間探してみても見つからなくて諦めていたから、それを見つけたのは偶然だった。
それは地理の本の片隅に書いてあったコラム。かつて魔法が栄えていた頃に、邪神を封印したと言われる土地がこの国にあるというものだった。気になってその邪神に関わりがありそうな伝承を調べていたら、それを信仰する集団がいるという記述を見つけた。前提が間違っているかもしれないし、この本が嘘を書いてあるのかもしれない。それでも、半月以上かけて見つけたヒントだ。
「トピア教団。それが、この集団の名前……」
国家転覆のゴタゴタに紛れて封印を解きたいのか、邪神のように人の世をめちゃくちゃにしたいのかは分からない。ただ一つ分かるのは絶対に思い通りにさせたくないということだけ。
封印の立役者は王子と聖女と魔法使いと書いてあった。ヒロインは聖女の力を認められ学院に転入する。ゲームでエミリアにヒロインを排除させようとしたことがここで繋がった。
「お兄様に、国を滅ぼさせない」
黒幕がいるのであれば今までと同じだと駄目だ。ならば――。
父の執務室に行くのは初めてだ。わざわざ会いたくなかったというのが本音だけれど、仕事の邪魔をしてはいけないとも思っていたからだ。父は基本忙しいため、移動中を狙うより執務室に行った方が話を聞いてくれるような気がした。
「お父様。エミリアです。今、空いていらっしゃいますか?」
「ああ、入ってこい」
父は笑顔で私を迎えてくれた。
「どうした? 珍しいな」
「そうですね……。今日はお願いがあって参りました」
「ふむ」
父は私に続きを促した。その目は不思議そうに、少し嬉しそうにしている。
「私、強くなりたいんです」
準備段階で止めるつもりはあるけれど、最終的に信じられるのは己の力のみ。だから、教団とは無関係な上に、同じ相伝魔法を持つ父を頼ることにしたのだった。




