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「いらっしゃい、ラヴィーネさん」
馬車から降りるとローライトさんが出迎えてくれた。
「お招き感謝します、ローライトさん」
「メアリーで良いですよ。家名だとアレと被ってしまいますもの」
「分かりました、メアリーさん。どうぞ、こちらもエミリアと。それと、話しやすいようにしてくださいませ」
「ありがとう。そうさせて貰うわ。さあ案内するわ、エミリア」
メアリーに連れられ屋敷の三階に上がる。ヒロインの部屋は三階の最奥にあるらしい。まるで隔離されているようだと思いつつ、歩いていると叫び声が聞こえた。
「無理! こんなの覚えられるわけないじゃない! 癒しの力を振りまくだけでいいんじゃないの!?」
「……この有様で。恥ずかしいですわ」
どうフォローしようか悩んでいると、扉が勢いよく開く音がして、中から出てきた少女と目が合った。
彼女は私を見て目を丸くした後、隣を見て青ざめた。その動きは少し大げさで可愛らしい。彼女の動き一つ一つが人を引きつける魅力があるのだろうか、しばらく向かい合ったまま動けなくなっていた。
肩につかないほどの長さの栗色の髪はふんわりとカールしていて、ぱっちりとした目は光が当たり輝いている。まるで、ゲームの中からそのまま飛び出したかのようだった。
「はじめまして、ヒカリさんですか?」
「はっ、はい! はじめまして!」
彼女は私が名前を知っていたことに驚いたようで、狼狽えつつ返事をしてくれた。
「ヒカリ。挨拶すらまともにできないの?」
「だって、急に……」
「メアリーさん、ここは私に。ね?」
このままではメアリーの心労が増えるだけだろう。割り込むように言うと、彼女は「ありがとう」とだけ言って戻って行った。
「改めまして。私はエミリア・フォン・ラヴィーネと申します。お名前を聞いても?」
「はい。あーえっと……ヒカリ・ローライトと申します?」
「よろしくお願いします、ヒカリさん。学院入学前に親睦を深めましょう――と言いたい所ですが……」
ちらりと彼女の後ろを見る。そこには怖い顔をした家庭教師らしき女性が立っていた。
「ラヴィーネ様、せっかくですが……」
「よければ、私も一緒に受けても良いでしょうか? 多少なら私も教えられますし……」
向こうにも話は通されていたのだろう。二つ返事で許可された。ヒカリは勉強をサボる口実がなくなってしまったためか、残念そうにしていた。
「エミリア……さんは凄いね。私には全然分からないのに」
今日の分の授業が終わった後、ヒカリは私に弱音をこぼした。
「私は少し早くに始めただけです」
「そっか……。私、まだまだ勉強できないのに、学院に通えるのかな……」
「問題ありません。計算も読み書きもできているでしょう?」
「暗記とか、礼儀作法とか、分からない事だらけで……」
「完璧である必要はありません。しばらくは元平民であることを盾にしてしまえば良いんです」
「ふふ……そんなこと初めて言われた」
ヒカリの表情は軽くなったように思える。聖女らしくあれと言われて辟易していたのかもしれない。
「でも、入学までにできる限り覚えましょう。後で苦労しますよ」
「……えー」
ヒカリは頬を膨らませて不満を表現した。
それからも私は定期的にローライト邸に足を運び、ヒカリに会いに行った。何回か通うと、より打ち解けてきて、勉強以外のことも話すようになった。
最初は勉強から逃げようとしたり癇癪を起こしたりしていた彼女だったけれど、最近はそんな様子を見せない。もしかしたら慣れ親しんだ場所を離れる寂しさや不安があの形で表れていたのかもしれない。
「よく復習できてますね、流石です」
妹がいたらこんな感じなのだろうかとぼんやりと考えていたら、彼女の頭を撫でてしまっていた。やっていた科目がよく兄に教えてもらっていた地理だったというのも関係しているかもしれない。何とも言えない顔でヒカリが「あのさ……」と切り出した。
「前から思ってたんだけどさ、エミリアってブラコンだよね」
「……!?」
突然そう言われ、驚きのあまり固まってしまう。何かを口に入れていたら吹き出してしまっていただろう。危なかった。
「ブラコンって下町言葉で兄弟が大好きって意味なんだけど……」
「い、いえ、意味を知らなかった訳ではなく……。突然どうされたんですか?」
「これ、教えながら微笑んでいたでしょ」
ヒカリは教科書を指差しながら言った。
「エミリアが寂しげに笑うのって、兄関連の時だけなの。私、意外と周り見てるから」
彼女はにやりとしながら私を指差し――慌てて手を引っ込めた。人を指さしてはいけないと言われたことを思い出したのだろう。
「これにも兄関連の話があるのかなって、違う?」
「ありますが……」
思い出すのは兄と出会った時の頃。勉強を教えてもらうという名目でしつこく会いに行っていた。……今はそんな名目は必要ないのか。
「わーごめん、しんみりしてる!?」
大げさな動きで慌てふためくヒカリを見ながら紅茶を飲む。彼女に心配させないように切り替えよう。
「あ、分かった。そのお兄ちゃんのこと、好きなんでしょ。恋愛的に」
予想外の言葉に、今度は本当に吹き出してしまった。確かに私は恋愛的に兄が好きだ。一目惚れしたくらいだから。だけれど、どうして突然その話を……。私がしんみりしているのを叶わない恋に悩んでいると勘違いしたってこと……?
飛ばしてしまった紅茶をヒカリにも手伝ってもらいハンカチで拭き取る。その間も彼女は興奮したように私に詰め寄ってくる。
「えっ、えっ、まさか、本当に? わー! 真面目系に見えて案外やるね!」
「……勉強に戻りましょう」
「私はエミリアの味方になるからね!」
「勉強しますよ! すぐに!」
恥ずかしいからさっさと話題を打ち切って勉強に戻らせた。その後、彼女はかなりの期間その話題を引きずっていた。貴族令嬢の娯楽は案外少ないから、娯楽として恋バナをしているというのは分かるし、私も恋バナは楽しい。けれど、一方的に話すのはどうしても恥ずかしい。……学院に入学してヒカリに好きな人ができたら根掘り葉掘り聞いてやる……!
夏休みが終わる頃には、ヒカリとかなり仲良くなれた。もちろん、この屋敷に来るたびに顔を合わせるメアリーとも。彼女はヒカリと距離を置くことができたからか、前よりは嫌いではないらしい。それによって二人が対話する時間が生まれ、ヒカリの「困っている人は全員助けるべき」という考えは変わらないけれど、自分の力が及ぶ限りという注釈が付いて、その力をつけるための勉強にだいぶ乗り気になったらしい。元々二人は悪い人ではなかったから、心の余裕が生まれたことによる効果だろう。
季節は巡り、今は春。生徒会の仕事にも慣れ、兄は卒業し――ヒカリが転入してくる。ゲームのストーリー通りにはならない、と思っていた私を嘲笑うかのように、入学イベントは起こったのだった。




