"前"侯爵
学院で生徒会長となり忙しくなるという時、継母――エミリアの実母が不倫したと聞いた。父はどうでも良いが、エミリアは心配だ。僕は久しぶりに実家に戻ることにした。
「お兄様! お帰りなさい。一年半ぶりですね」
久しぶりに会ったエミリアはとても綺麗だった。身長は伸び服装も大人びていたが、僕に対する笑顔は全く変わっていない。
僕はなんとなく今回の騒動の原因を察していた。僕を嫌っている侯爵夫人が消えて嬉しいのは誰か――そう、僕だ。きっと黒たちが根回しをしたのだろう。それに気がついてしまえば、エミリアの兄として上手く振る舞えなくなってしまった。
「気にしないでください、お兄様! お兄様も学院があるのに、こうして帰ってくださったのですから! 申し訳ないと思ってくださるのなら、時間があったら学院での楽しい話を聞かせてください!」
エミリアはそんな僕を気遣って、彼女の母とは無関係の話題を振ってくれた。
エミリアに合わせる顔がない僕は、逃げるように父の仕事の補佐を始めた。直接会ってもらえないため仕事は使用人たちを通して行った。事件が起きたのは帰宅二日目のことだ。その日は父が外出していると聞き、執務室に直接向かった。
「は……?」
そこには腹から大量の血を流す父と、ナイフを持ってそれを見下す黒がいた。
「おや、レオン様。ここに侯爵はいませんよ」
彼は普段通りの声で言った。父が外出中に行方不明になったという風に処理するのだと察する。この場で殺してしまうなんて彼にしては強引な手段だと思った。
一瞬だけ悩んで、僕は父を蹴飛ばしてみせた。
「おや、随分と不満があったようで?」
「凍らせておこうか? その方が片付けやすい」
父の顔を眺めながら、黒に聞く。
「では頼みましょうか、レオン様。いえ、もう侯爵様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「いや、僕はまだ学生だからね」
「おやおや、これは失礼しました」
黒はにやにやと笑いながら、窓から外に出た。
黒が完全に居なくなったことを確認してから、執務室の金庫を漁る。念のため魔法で隠しつつ。
やはり、金庫に血縁証明書が隠されていたか。検査日は父の態度が変わった辺り――そう、これは父と僕が血縁関係でないと証明するものだ。
残念な気持ちはない。それどころか逆に安心した。父が自分を見ないのは本当の子供ではないからだと分かって。
僕はその紙をビリビリに破いて暖炉に入れるとすぐに灰となって消えた。
パチパチと弾ける炎を眺めながら僕は教団について考えていた。一番の謎はどうして僕に取り入ろうとしているのかということだ。傀儡にするとしても侯爵の立場は少し弱い。国を思うがままに動かしたいなら、王族にした方が良いのは明白だ。王族に取り入ることが出来なかったからと考えるのは早計だろう。となれば、重要なのはラヴィーネ家ということになる。
ラヴィーネ家はごく平凡な侯爵家である。強い魔法使いだった初代を囲うため、侯爵家としての地位を与えたのが始まりとされる。現代ではパッとしない相伝魔法のラヴィーネ家だが、初代はどれだけ凄かったのだろうか。そもそも、冷気を操る程度の魔法は囲う必要があるのだろうか。
もし、"冷気を操る魔法"でなかったとしたら。ローゼギフト公爵家のように魔法を偽っていたとしたらどうだろうか。
ラヴィーネも相伝魔法を偽っていたとしたら? そしてそれが教団の目的に必要ならば? これならわざわざ僕の元へ来た理由になる。ローゼギフトの相伝魔法は強力――教団の目さえも欺けるほど――だ。だから、僕がラヴィーネ家のものだと疑うこともなかったのだろう。
母方の魔法を受け継いでいるかもしれないエミリアより、確実にラヴィーネの魔法を受け継いでいるはずの僕を欲するのは当たり前だが、もしも、僕がそれを持っていないと知られれば――。
「絶対に、隠し通す」
教団はどこにでもいる。エミリアを守るには屋敷に閉じ込めるのが一番だが、できればやりたくはない。教団関係者と親しくなりすぎることを防ぐには、婚約を制限すれば……。
確実に違うといえるのはローゼギフト公爵家の者だが、他の家を乗っ取るような家の男に近づいてほしくはない。そう考えて、自嘲した。そうやって理由をつけて自分がその枠に収まりたいだけじゃないか。
「ねえ、何にも聞いてないんだけど?」
「ベアトリクス・フォン・ラヴィーネを殺さなかった件ですか?」
その日の夜、何もない所に向かって呼びかける。案の定現れた黒はどうでも良さそうな口調で言った。
「それも含めて。不倫も君たちの仕込みかな?」
「殺す必要もなかったので。生かす意味もありませんがね。お望みならすぐに始末して差し上げますよ」
「必要ない。……放置しておけ」
そう命令すると、黒はまるで演じているように、恭しく礼をした。ベアトリクスには興味がないというのも理由にあるが、一番はエミリアに嫌われたくないから。今さらではあるが。
「他に聞きたいことがあるとすれば……侯爵を殺した理由、ですか?」
黒は僕の様子を見て、そう言った。
「家族ごっこを楽しまれているレオン様に代わって邪魔者を始末しただけです」
彼はどうでも良さそうに言って手元でナイフをくるくると回し始めた。遊んでいるだけにも思えるが、僕には「いつでも殺せる」という脅しに見えた。
「我々の計画を成功させるにはあなたの力が必要ですから、さっさと叙爵させたい訳です。侯爵は疑い深く、我々が付け入る隙がなさそうでしたので」
「そうか」
「……あっれえ? あなた、本当に情が移ったんですかあ?」
黒は僅かに下がった声のトーンから、僕の心を見透かすように言った。
「無視する父、虐める義母。そんなの、死んだ方が良いのでは?」
「……そうだろうな。でも、」
「はあ。甘くなりましたね。それはエミリアのせいですか? ……つまんねえの」
エミリアを呼び捨てにされて黒を殴りたくなる。左手で右手を抑えつけるように持つ。
「あのように殺したのは単に楽だったからですよ。彼は妻に裏切られたことが非常にショックだったようでしてねえ。ふふ、面白いくらいに事が進みましたよ」
黒は愉悦を隠しきれないといった様子で語り始めた。
「ベアトリクスの姿で男とデートするだけで、侯爵は不倫だなんだとすぐに騒ぎ立てて……。妻を追い出した上……心が弱った侯爵は側に護衛を置かないんですから! ははっ、愛してるだと言っても、偽物に騙されるくらいなら大したことありませんね!」
黒たちの変装技術は凄まじく、大して親しくない相手であらば簡単に騙せることだろう。そう感じていたのも表情に出たらしい
「ええ、もちろん。もちろん私たちの技術は素晴らしい。ですが、真実の愛とやらの前ではそれは無力らしいではないですか。ええ、そうですね。我らが神を騙ることなど誰にも出来ません!」
黒の口から教団が崇める"神"への思いが溢れ出す。僕はいつものことだと気にも留めず聞き流した。
「それで、エミリアはどうするつもり?」
「義妹を随分とお好きなようで。ご安心を。彼女には利用価値があります。大して邪魔にもなりませんし」
令嬢の一般的な利用価値というと、王子と婚姻させるつもりだろうか。……気分が悪い。何より、エミリアのためと言いながら、自分が彼女を取られたくないという気持ちが大きいということが。




