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私はうっすらと前世の記憶がある。
前世は日本で暮らしていた女性。ゲームが好きでジャンル問わずにやっていた。普通の、特に面白みもない人間だ。細かいこと――自分の名前や暮らしていた町のことは分からない。
今の私は新しい人生を日本ではない土地で生きているから、詳しいことを忘れたことはむしろ良いことだと思っている。
生まれた時から父の姿はなかった。責任感の無い駄目男だと思っていた。母は「あなたのお父様は侯爵様だから、忙しくて会えないのは仕方がないの」と言うが、本当かどうかは怪しい。母が捨てられていないと思いたいだけなのかもしれない。
母は実の子に引かれているとは知らず、「彼は私の運命の人なのよ」と夢見がちな少女のように言う。……子供もいる大人が恥ずかしい。そう思っていた時期もありました。
「今日からここが君たち親子の家だ」
"お父様"はそう言って私と母を大きな屋敷に連れてきた。今まで、父の存在を母の妄想だと思っていたから驚きを隠せずにいた。
「ふふふっ。今日から私は侯爵夫人でこの子は侯爵令嬢……。本来いるべき場所にやっと戻れるのね」
母は扇子で顔を隠していたが、笑顔は全く隠せていなかった。そんな母の様子を見て、"お父様"も笑った。
「侯爵を継ぐ者は君との子にしたいところだが……。あの女が男児を産んだ。……エミリアは第二子である上に女児だ。その上後妻との子供だから、継承権を持つことは難しい」
「では、放棄させれば良くって?」
「放棄だと?」
「ええ。本人が継ぎたくないと思う状況を作ったり、不祥事を起こさせたりすれば良いのです」
十歳になってもいない子供の前で話して良い内容ではないと思うんだけど……。私は口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「形式上、息子だからな。挨拶だけはしなくてはならない」
"お父様"は苦虫を噛み潰したかのような顔で言った。彼の合図で成人男性の二倍ほどはある大きな扉はゆっくりと開いた。
「あいつはどこにいる。呼んでこい」
「……ここにおります、父上」
執事と思われる男性の陰から私と同じくらいの年齢の男の子が出てきた。
照明の光を受けてきらきらと輝く紅の髪。顔は長い前髪に隠れているが、瞳も髪と同じく鮮やかで、顔立ちが整っていることも分かる。
私の目に映る彼は、読み聞かせてもらった絵本の中の登場人物にも劣っていない。いや、どんな漫画やゲームの中のどのキャラよりも輝いていた。端的に言えば恋に落ちた。一目惚れだった。これが運命なのかもしれないとさえ思ってしまった。
これから兄になる人に惚れるなんて私も私だ。しかし、なぜだろう。彼のことをどこかで見たことがあるような……?
「さっさと挨拶しろ」
「……レオン・フォン・ラヴィーネです。よろしくお願いします」
「彼女は私の妻のベアトリクス・フォン・ラヴィーネ。この子は娘のエミリア・フォン・ラヴィーネ。年齢はお前の二つ下だ」
母から父の名字を聞くたびにデジャヴを感じていたが、今その正体がわかった。
私は彼らのことを、前世でプレイしていたゲーム"君に贈る○○"で知っていた。
"君に贈る○○"は見目麗しい殿方と恋愛をし、国の危機に立ち向かうゲーム。基本は乙女ゲームだ。
攻略対象たちと仲を深める前半パート、仲を深めた彼らと共に国を救う後半パートに分かれていた。先ほど兄になったレオン・フォン・ラヴィーネは後半パートに出てくるキャラクターで、ゲームのラスボスだ。
ゲーム中の彼は実母は死に、後妻には虐められ、父からは関心すら向けられず、妹とは会話もしない、孤独の人だった。
彼は次期侯爵として期待されているという希望を心の支えとして生きていたが、ある日「エミリアに継がせたい」と言う侯爵の言葉を聞いてしまう。それをきっかけに彼は侯爵夫妻を手にかけ、侯爵となり、認めてくれなかった全ての者に復讐をする、というストーリーだ。
前半パートのルートによって、少し変わってくるが、国を滅ぼすという彼の決意だけは共通している。後半パートにはバッドエンドもあって、実際に国が滅ぶエンドがいくつもある。……何度失敗したことか。
そんなゲームでの私――つまりエミリアの立場というと、サポート兼妨害キャラだ。前半パートでは好感度を高めると助言をしてくれる頼もしいキャラ。弱気で引っ込み思案でありながらも、大切な人のためには行動力を発揮する頼もしいキャラクターで、彼女の魅力に惹かれるプレイヤーも多かったはずだ。
後半パートでは前半のようにプレイヤーの良き友としてサポートしてくれる……と思った多くのプレイヤーを裏切った。彼女は兄のレオンのためにプレイヤーを傷つけ、妨害し、ルートによっては国の機密情報を横流しする。
その行動は全てレオンへの恋心から来たものだった。しかし、彼女はレオンへ想いを告げることは一切ない。なぜなら、その言葉が兄を困惑させると思っているから。その結果、彼女は最後まで都合の良い駒としか見られていなかった。……そんなの、悲しすぎる。私はレオンが好きだから、好きになってもらいたい。たとえその感情が妹だとしても。
私は利用するだけ利用して捨てられるモブキャラなんて御免だ。
彼に私の存在を認知してもらうこと、国を滅ぼそうなんて考えられなくすること。それが私の使命だ。今、後妻が迎えられている時点で彼の実母は亡くなっていることは確定している。だからその孤独は完全には埋められない。だけど、「エミリアが居るし、国を滅ぼすまでは行かなくて良いかな」と思ってさえくれれば良い。
「よしっ!」
案内された自室で気合を入れる。
「お嬢様? どうなされたんですか?」
「お嬢様って言われるのは慣れないわ……。エミリアって読んで欲しいのだけれど。あ、あなた名前は?」
「アンナと申します。お嬢様」
黒髪の彼女は立場もあるのか、名前では呼んでくれなさそう。見るからに真面目そうで、規則はきっちり守るタイプっぽいし、これは仕方ないかな。無理強いするのは良くないし。
「どんな部屋があるか教えて? アンナさん」
「私に敬称は要りません。どうぞアンナと呼び捨てになさってください」
無理強いはしないと決めたけれど、レオンに会うためには別だ。ごめんね。アンナさん。
「まだ、この階は案内してもらっていないわ」
「その……。使用人の居る部屋を案内するわけにもいきませんから」
「気になるわ。お願い?」
渾身の上目遣いでおねだりする。前世を含めるととっくに三十路は過ぎている女がこんなことをしていると思うと恥ずかしくて穴に潜りたくなる。でも、ここで私が折れるわけにはいかない。
「アンナさん。少し見るだけでも良いから」
「ですから、私に丁寧に接する必要はありませんよ」
「案内してもらえたら……そうするかも?」
「……分かりました。ご案内します」
折れてくれたアンナがゆっくりと歩き出す。
日当たりの悪い屋敷の端の部屋にレオンの部屋はあった。物音がしたのに何も言わずに通り過ぎようとしていたので、聞いたところ、「ここがレオン様のお部屋です」と彼女は言った。その言葉は淡々としていて、感情は籠っていない。仮にも嫡男なのに、この仕打ちは酷すぎる。
「いらっしゃいますか? お兄様」
聞こえるであろう音量のはずだが返事はない。レオンが出歩ける場所なんて屋敷にはなかったはずだから、きっとこれは居留守だ。ふふふ、これくらいで諦めると思ったら大間違いよ!
鍵は閉められていて開かないし、アンナも合鍵は持っていないだろう、管轄外だろうから。ならば仕方がない。権力(?)を使わせてもらおう。
「そこに居るんでしょう? 開けてくれないとお父様に言いつけます」
父をチラつかせたことで鍵は開いた。私は遠慮なく扉を開け、中にいるレオンにカーテシーを披露する。
「エミリアと申します。父からも紹介がありましたが、私からも挨拶をしたくて。お兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「はい、エミリア様……」
「お兄様、私に様は要りませんし、敬語でなくて結構です。今日から家族になるのですから。どうぞエミリアとお呼びください」
「ぼ、僕は真実の愛? を奪った人の子供で、君が本当の子供、で。立場が違うから敬語なんです。その、エミリアこそ、敬語を使わないでください」
胸が締め付けられる。それは彼が愛しいからではなかった。この言葉を彼に吐かせてしまったことへだった。
父と母が真実の愛? 冗談でしょう。後妻である母の方が愛を奪った側になるはずなのだから。彼の両親は政略結婚で、二人の間に愛はなかったとしても、正妻との子供の彼こそがこのラヴィーネの血を引く由緒正しい子供だ。その点で言うと、私こそが偽物だ。
レオンに文句を言う人たちはラヴィーネ家の特徴である銀髪を受け継がなかった点を挙げているのかもしれないが、そんなこと知るか。私はあの紅の髪色が好きだ。
「じゃあ、私が敬語をやめるから、お兄様も敬語をやめて」
「そ、そんなの無理です! 父上が……」
「私の我儘なんだから、お兄様が気にする必要はないです!」
「……そんな、代わりに怒られるようなことしないで良いのに」
「そうよ、それ!」
私は彼を指さして言った。想像より大きな声が出てしまったから驚かせてしまったかもしれない。それに、人を指差すのは良くないことだ。気をつけないと。
「今みたいに話してほしいんです。長居してしまったからそろそろ戻りますね」
かなり困らせてしまったけど、少しは仲良くなれたかな? ああ、でも私は扉を開けるために恐喝まがいのことをしたから嫌われてしまったかもしれない。仲良くなるって難しい。




