第五十一話 閉ざされた謎へ指先触れる
―― アズールの死には明確な意図があったはずだから――
この言葉の意味を期待したのだが、帰ってきたのはそれこそ雲を掴むような答え。
「詳しくはわからない。だけど、私たち兄妹は命を狙われている……気がする」
「気がする? 狙っている相手は?」
「それもわからない。ただ、父様はその相手を知っていて、恐れている」
「お父様が恐れる相手、ですか?」
「それに、何かしらの制約が課せられているご様子。これは勘だけど」
「そうですか。つまり、何者かがわたくしたち兄妹の命を狙い、お父様はその相手を知っているのに、制約があり動けない、のかもしれない。というわけですか?」
「根拠はないけどね……」
そう言って、フィアはぶるりと体を震わして自身の身体を抱く。
彼女に根拠はなくとも、屋敷から逃げ出したくなる勘働きはあったわけだ。
今の話を……ルーレンを中心に置いて考えてみる。
兄妹の命を狙っているのはルーレン。
セルガはルーレンとの間に何らかの制約があり動けない……おいおい、それだとアズール殺害をルーレンと知っているはずのセルガが動かない理由が生まれちまう。
では、ルーレンが何やら暗躍して、ゼルフォビラ家の血を根絶やしにでもしようとしている?
いや待て、ルーレンの背後に誰かがいる可能性がまだある――。
――ルーレンは味方――
不意に、頭に過ぎったシオンの手紙の文字。
(まさか、シオンの指示? シオンの復讐をルーレンが手伝っている? いやいや、そうなるとおかしい――いや、おかしくないのか。もし、ルーレンが全ての状況を把握していたら……もちろん俺のことも。待て待て、そこまで計画が立てられるなら、シオンが命を賭して俺に依頼する必要もないだろう。シオンはなぜ、俺に依頼をしたんだ?)
わからない――ようやく、ゼルフォビラ家の隠された秘密の隅っこに触れた気がするが、余計に頭がこんがらがってきた。
こんがらがる理由は俺一人の思考で物事を進めているからだ。
こういうときは他人の意見を聞いてみるのもいい。参考にする必要ないが、新しい思考を得るきっかけにはなる。
俺はフィアに顔を向けて、もう一度、アズールの件に対して尋ねる。
「アズールを手に掛けた犯人。お姉様なら誰だと思いますか?」
「スティラ、あなたの母親よ」
――即答だった。
しかしそれは、もはや犯行が不可能な相手。
「母はすでに亡くなっていますが? もしや、葬儀に遺体がなく生存説でも?」
「いえ、あったし、たしかに亡くなっていた。もちろん、遺体は偽物でもない」
「でしたら、どうしてスティラお母様とお思いに?」
「わからない。でも、生きていても不思議じゃない。そう感じさせる恐ろしさが……叔母様にはある」
スティラを語るフィアは震える体を鎮めようとぎゅっと強く自分を抱きしめる。
スティラの評価は概ね、取っつき易く魅力的な女性。だが、フィアにとっては恐怖を感じさせる相手。
もうこれ以上、こいつから情報は望めなさそうだ。
だが、いい。
残りはこいつよりも真実を知る人物に尋ねればいいだけだ。
俺はフィアに別れの挨拶を渡す。
「フィアお姉様、いろいろ参考になりましたわ。では、そろそろ」
「……そう。最後に一つだけ」
「なんでしょうか?」
「ルーレンに隙を見せない方がいい。あの日の夜、ルーレンの殺意は本物だった。耳そばで声を掛ける直前まで、私を殺す気でいた」
「そうですか……」
「だからって気をつけてなんて言わないけど。だって、あなたは……父様や叔母様に比肩し得る存在だから」
「それはまた、過大な評価で」
「これでも人を見る目は確かよ。あなたは一見、隙だらけ。でも、隙の奥に潜むナニカがあなたを化け物たらんとしている」
「化け物とは酷い言われようですわね……そのナニカとは?」
「それが理解できていれば、私はここにいない。今頃、お兄様方やあなたと同じラインに立っていたでしょうね。もう行きなさい。常人の私では、これ以上あなたとの会話は無理だから」
フィアはこちらの返事を待たずに、学院へと立ち去る。
俺はというと、彼女の背中を頭を掻きながら見ていた。
(俺が化け物ねぇ。そりゃあ、まさに過大評価ってもんだ。俺は地球では二流の殺し屋で半端もんだったんだぜ。だが、半端もんとはいえ殺し屋……貴族のお嬢ちゃんは殺し屋の殺気に当てられてビビっちまったんかねぇ。待てよ、そういや、二度ほど化け物と呼ばれたことがあったな)
一度目は、ナイフ使いとして一流であった少年時代。
僅か一年足らずの天下だったが、当時超一流と呼ばれていた殺し屋仲間から化け物と呼ばれた。
呼ばれたその化け物さんは腕を壊して二流に成り下がったわけだが……。
二度目は、組織の重鎮方に言われたな。
腕を壊して、治療を受けつつ、今後の身の振り方を考えていたとき、たまたま重鎮方が通りかかり、その中の一人が俺を見るなり。
『化け物の羽はもがれたか。運が良かったな、小僧。何も考えず組織に尽くせ』
これは今をもって謎の言葉。
化け物呼びするってことは、おそらく評価されていたはず。それなのに、羽がもがれて運が良かった? で、組織に尽くせ。意味不明。
ここで俺は頭を振る。
(もう、遠い過去の話。どうでもいいか)
過去から今に意識を戻して、ダルホルンへ向かうための馬車へ顔を向ける。
すると、馬車の屋根には……白い羽根に黒のブチ模様が付いたフクロウがいた。
「あら、あなたは蔦に巣を作っていた? どうされたの、こんなところで?」
「ほ~、ほ~」
フクロウは二度鳴くと、翼を広げて、学院には戻らず、青空の彼方へと吸い込まれていった。
「あら、巣立ちの季節かしら? どこに行くつもりなのでしょうね。ふふ、あなたはわたくしと違って、本当に自由で羨ましいですわ」
フクロウは蒼に溶け込み、俺はその姿を見失ったが、しばらくは夏らしい青々とした自由な空を見つめていた。
――馬車へ
別れを惜しみまくりなブランシュのハグから命からがらに抜け出して、ルーレンと共に馬車へ乗り込み、向かい合い座る。
俺はルーレンに考え事がしたいと言って話しかけないように頼む。
ガタガタと揺れる馬車は町を通り抜けて、街道へと向かう。
俺は揺り篭の揺れの合間に、波紋のように広がる思考を揺蕩わせる。
シオンの依頼。
虐待を受けていたはずなのに笑顔での復讐依頼。
シオンの身投げ。ルーレンへの疑い。
アズールの死。ルーレンへの疑い。
動かぬセルガ。
ゼルフォビラ家に戻ることを恐れるフィア。スティラを恐れるフィア。
俺は波打つ思考の中心に立つ彼女を見据える。
「ルーレン」
「はい、何か御用でしょうか?」
「動くな!!」
俺は懐から武装石を取り出して構えた。
体全身に殺気を迸らせて、それを武装石の隅々まで伝える。
ルーレンは自分に放たれる殺気を本物と感じ取り、こちらの指示通り微動だにしない。
ただ、唇だけを動かす。
「一体、どうされたのですか?」
「狭い馬車内では武装石を斧に変化させても、思うように動かせない。そう、自分で仰っていましたわね」<※第二幕 第四話>
「……なるほど、あの時の問いは、この時のためでしたか」
「仮に無理して武装石を変化させようとしても、それよりも速く、こちらが武装石をナイフに変化させてあなたの命を奪う。その程度の技量は身に着けていますから」
「ええ、そうでしょうね。マギーさんとの稽古。そして、あの日の夜。サイドレッド様に見せた動き。今のシオンお嬢様ならば可能でしょう。ですが、それは約束を破ることになりませんか?」
「約束?」
「シオンお嬢様は鞭を私に差し出して、こう仰って下さったではありませんか」
『ルーレン。今後わたくしはあなたへ暴力を振ることはないと誓います。ですが、もし、その誓いを破るようなことがあれば、この鞭でわたくしを打ちなさい』<※第一幕 第八話>
「と……」
「そう言えば、そのようなことを言っていましたわね。ですが、これは暴力ではなくて、生存に必要な武力行使ですわよ」
「シオンお嬢様は……あなたは本当に詭弁がお好きな方ですね」
ルーレンは体と同様に、心もまた微動だにせず淡々と答えを返してくる。
そこには、ちょこまかと動き、ちまちまと歩いていたいつもの愛らしい少女の姿はない。
「わたくしがこのような行動に出ても驚かない様子を見ると、いろいろと存じているようですわね。わたくしの知らぬことも」
「はい」
「では、話してもらいましょうか、ルーレン。あなたとシオンが、何を企んでいるのかを!!」
俺は武装石に殺意を集めて、問いいかんによっては命を奪うと警告を与えた。
しかし、ルーレンが返した言葉は――――彼女は柔らかく微笑む。
「お話しできません」
だった……。




