第四十九話 鳥籠の扉
残るは、俺とフィア。
フィアはさっそくアリシアについて言及してきた。
「認めないから」
「あれくらい認めないと先程みたいに自棄を起こされますわよ。それとも、お父様の妾とその子の存在が嫌で嫌でそれを引き摺っているのですか?」
「馬鹿にしないでもらえる。まったくないとは言わないけど、大事を前に、あなたの存在を気に掛けるなんてないわよ」
「では、どうして?」
「はぁ、所詮は下民。妾の恐ろしさを知らないようね」
「恐ろしさですか? 御教示願いますか?」
「簡単なことよ。アリシアとかいう女があいつの子を宿したらどうするの? しかもそれは、愛する女の子供。後々の世継ぎ問題でどうなることか」
「なんですか、そんなくだらない話」
「くだらない?」
俺は人差し指と中指と親指を揃えて、何かをぶら下げるような仕草を見せる。
「ここに鳥籠があります。それはそれはとても狭い鳥籠。いいですか、姉様。あの二人はもはや籠の中の鳥なのです。見てください、籠の中では小鳥たちが愛の歌を奏でていますわよ」
俺は存在しない鳥籠をぶら下げて、その中で寄り添う番いの鳥を見つめる。
「ですが、いくら愛の歌を奏でようと、飼い主はフィアお姉様……」
俺は見えざる鳥籠越しに、フィアの赤黒の瞳を覗き見る。
「たとえ、卵が産まれようと雛が生まれようと、それらは飼い主の思いのままでしょう。クスクスクス」
「――――あなた!?」
フィアは足を一歩後ろに引いて、体全身を仰け反らす。
これに俺は眉を折る。
「あら、どうされました? この程度のことで恐れる姉様ではないでしょう。なにせあなたは――――このわたくしを蹂躙し、命を奪おうとしたのですから……」
「あ、う」
「だから、もはや、いまさらのこと……まさかと思いますが、対象が赤子であれば躊躇してしまう程度の覚悟なのですか、姉様の皇族入りの思いは?」
フィアはさらに一歩、足を後ろに下げて、俺から距離を取ろうとしている。
さらにもう一歩と足を下げようとしたところで、彼女は踏み留まった。
「はぁはぁ、私の知るシオンじゃない。でも、その冷たい瞳に底知れぬ恐怖。スティラ叔母様に似ている。やはり、母と子なのね、あなたたち……」
これはまた意外な人物の名前が出てきた。シオンの実の母親スティラ。
だが、彼女の評判に冷たい瞳や恐怖などは聞いたことがない。
フィアは一体、スティラの何を知っているんだ?
「母と子ですか? スティラお母様の話は人伝てに聞き及んでいますが、悪いものはありませんでした。人を虜にするような方だったというのが主で。ダリアお母様さえもそう仰ってましたが?」
「たしかに、叔母様は魅力的な人間だった。私とて気を許せば虜にされてしまいそうなくらいに。だけど、時折見せる遠くを見つめるような視線。数少ないけど、私はあの視線を知っている。常人には持ち得ない遠望の瞳。条理を覆す瞳。父様が見せる瞳と同じで、人外の瞳」
「お父様と同じ?」
「同じだけど、違う。先程の赤子を例に出せば、必要となれば父様は苦悩の上で決断し、それを感情に表すことなく赤子の命を奪うことができる。スティラ叔母様は必要であれば迷うことなく赤子の命を奪う。いや、迷うどころか楽しむかもしれない」
「赤子の命を奪うことを楽しむ? それは随分と恐ろしい評ですわね。ですが、わたくしはそこに楽しみを覚えたりはしませんわ」
「そう? でも、目的があればできるのでしょう?」
彼女の問いに、思考を数瞬巡らせる。そして、答える。
「こう見えても、子ども好きなので、ぎりぎりまで回避しますわ」
「だけど、結局は――え?」
不覚にも俺は、フィアの問い掛けにとても悲し気な顔を見せてしまった。
今の子ども好きという返しは意外と本音だった。正確に言うと、不遇な子どもに甘いだが。
俺は虐待を受けて育ったせいが、不遇な子どもに甘い傾向があった。
だから、そう言った子どもたちを傷つけなければならない仕事はしたくなかったし、受けても極力影響がないように務めた。
それでも、回避できないとなれば――。
表情を冷たく凍らせて、答えを返す。
「ええ、非常に残酷で残念ですけど、必要なら奪うことになるでしょう」
この答えを聞いたフィアは軽く眉を上げたかと思うと、瞳を左右に振る。
「どうされました、フィアお姉様?」
「あなたは……スティラ叔母様に似ていないかも」
「え?」
彼女は下顎に手を置いて、こちらには届かぬ声で呟きを漏らす。
「父様にも似てない。目的があれば何ものも行えるけど、今のシオンはまったく違う存在。もっと、恐ろしい別の……」
「姉様?」
「あ、なに?」
「それはこちらの言葉ですわ。何かぶつぶつ仰っていたようですが?」
「大したことじゃない。ともかく、父様やあなたや叔母様やお兄様方のような覚悟までできないから、私は降りるの。皇族入りという形でね」
「それはもったいない。雰囲気だけなら女王のようでしたのに」
「王の振りはできても王にはなれない。身の程は知っているつもり。私はあなたのような化け物を相手に、身を守るのが精一杯だから」
フィアは軽く肩を竦める。
そこからは、女王を誇っていた女の覇気を全く感じられない。
まるで憑き物が落ちたかのように、普通の少女がそこに居る。
フィアは廊下の奥を見つめる。
「そろそろお開きにしましょう。私は皇族入りをしてあなたの後ろ盾になる。あなたは秘密を漏らさないように約束する」
「ええ、お願いしますわ」
「ま、せいぜい頑張りなさい。お兄様方の不興を買わない程度には援助してあげるから」
「姉様、急にどうされたのですか? 何か変ですわよ。つい先ほどまで、言葉の中にはわたくしに対する嫌悪感が詰まっていましたのに。今はそんな気配もなく、むしろどうでもいいという感じで」
「あなたにとって、私の嫌悪感や差別感情はない方が良いのでしょう」
「それはそうですが……」
「なら、いいじゃない。必要なことはしてあげる。だから、あなたも必要以上に私に近づかない。これでいい?」
「ええ、十分ですわ」
「そ、じゃあ、そろそろ戻る。サディのことは――」
「こちらで対処します。アリシアさんのことも含めて」
「ええ、任せた」
「あ、最後に一つだけ」
「なに?」
俺は闇に消えたサイドレッドの影に視線を投げて、フィアに戻す。
「卵や雛鳥を磨り潰す趣味がないのでしたら、姉様の子どもが生まれてから行動なされては?」
「……本当にあなた、変わったわね」
「それは褒め言葉でしょうか?」
「好きに受け取って。それに、その程度のことは考えているから余計なお世話よ」
「あら、そうでしたか」
(アリシアさん逃げて~、っと、彼女にはプリンを貰った礼があるから、その日が来たら蜘蛛の糸くらいの手助けをしてやるか。サイドレッドは自分で頑張れ)
「シオン、話はそれだけ?」
「ええ」
「そう……それじゃ、失礼するわ」
フィアは頭を左右に振り、如何にも疲れたといった様子を見せる。
そこには、毅然としていた女王の姿は全くない。
彼女は無言のまま歩み、廊下の闇に姿を溶け込ましていった。
残された俺は、急激なフィアの変化に戸惑いを覚える。
(突然、どうしたんだろうな? 急に毒気が抜かれて。毒気はあんたの魅力の一部だと思うが……魅力半減だぞ。それにしても、なんで?)
今までの会話を思い返すが思い当たる節がない。
(弱みを握られて観念した? その程度の玉ではないと思うが……わからん。わからんが、今は良しとするか。こっちもさすがに疲れたしな)
――ブランシュによるシオンいじめから始まった物語。
ブランシュはさらに苛烈ないじめを行うであろうフィアからシオンを守るために、いじめて学院から追い出そうとしていた。
フィアは皇族入りの目的のために、妹であるシオンを凌辱しようとしていた。
それを知りながらサイドレッドは見て見ぬ振りをするどころか、シオンに優しく接することでフィアの悪意を加速させていた。
その彼も俺とルーレンの罠に嵌り、アリシアのみを残し、傀儡となり果てた。
今宵は俺の一人勝ちと言っても過言ではない。
俺が手に入れたものはこれら。
皇族の後ろ盾。それも二人も。ブランシュと姉フィア。
そして、皇族サイドレッドの弱みと姉フィアの弱み。
おまけにブランシュの愛――これ、怖いからなんとかしないと。
あれ? 一人勝ちじゃない気がしてきた……ま、まぁ、ほぼ一人勝ちということで。
ともかく、これでようやく世継ぎレースのスタート地点に並べた。
相手になるのは長男と三男。
女王であったフィアさえも避けて通る二人。
どのような男たちであろうか?
ま、どんな男たちであったも勝利して、依頼主であるシオンの復讐を成し遂げないと。
問題は今に至っても復讐内容が見えないこと。
今回の件で言えばシオンは、姉フィア・ブランシュ・サイドレッドに恨みを抱いている可能性がある。
もし、彼女たちが復讐相手の本命ならば、依頼を果たさせてもらわないとな。
それまではせいぜい利用しよう。
また、同時に逃げ道の確保が得られそうだ。
自分の身に危険が迫れば、ブランシュの情愛を利用して逃げることも可能になった。
ようやく、あらゆる点で形が整ってきた。
さて、次に行うは……。
俺は天井を見上げる。
(もうそろそろ、夏の長期休暇。学院に一か月ほど滞在して屋敷にとんぼ返りか。その休暇の間に、ダリアとライラとの仲を深めて、ドワーフたちやマギーと交流を行わないとな。いや、その前に)
俺は扇子を素早く振るい広げる。
(ルーレンがサイドレッドの武器を叩き落とした時、俺にはあいつの動きが見えていた。実力はまだまだルーレンの方が上だろうが……素早さだけなら何とか対抗できそうだな)
瞳を白い幕が掛かる壁の大穴へ向ける。
隙間からは月がちらりと見え、そこに鳥が舞い、鳴く。
「ほ~ほ~」
「ん、あれは……フクロウ? ふふ、お前は自由に空を飛び回れていいね~。俺はまだ籠の中の鳥なのにな。だが、そろそろ、鳥籠の扉を開ける頃合いか」
俺は小さく言葉を落とす。
「頃合い……ルーレンから真実を聞き出す」
――――足早に立ち去るフィア。彼女は焦燥に駆られていた。
(冗談じゃない冗談じゃない。ゼルフォビラ家の呪いから逃れたくて皇族になろうとしていたのに、シオンがあんな化け物に。まるでスティラ叔母様のように……いや、それよりも恐ろしい!)
彼女は後ろからシオンが追って来ていないかちらりと背後を見る。
(あれは何者よ? 記憶喪失だけじゃ説明できない! あれから感じた死の気配はスティラ叔母様や父様よりも異常なもの。その気配だけならお兄様方よりも濃い!)
自室へ辿り着き、扉を開けて、カギを掛ける。
(赤子。さすがに殺せない。だけど、お父様なら床に叩きつけることができるでしょう。そして苦悩を隠して心を殺す。叔母様なら床に叩きつけて頭を踏み潰せるでしょう。そして、先に続く常人には見えない何かを楽しむ。だけど、今のシオンは――)
「心の底から赤子を慈しみ、哀しみ、泣き、床に叩き落として、潰す。そして、次の瞬間には、それらをあっさり忘れ去る。感情を零から百と完璧に操る……化け物。あれは人間じゃない」
フィアは両手で顔を覆う。
「これが恐怖。あれほど見下していた相手のはずなのに、私は恐怖に屈してしまった。私にはもう、支配者として振舞う資格はない。下々と同じで、強者に怯える存在に成り下がってしまった……」




