第四十八話 形なき選択
哀れな皇族サイドレッドへ葬斂の言葉を贈る。
「わたくしには、あなたと組むか姉と組むかの選択肢がありました。そして、選んだのは姉」
俺はちらりとルーレンへ瞳を振る。
彼女は俺が漏らした小さな一言――『選択肢が消えますわね』。<※第二幕 第三十九話>
この一言だけで、俺がサイドレッドではなくフィアを選ぶと理解し、この罠を仕掛けた。
彼女の聡明さは大変心強い。同時に、その聡明さが刃となり襲い掛かるかもしれないと思うと鳥肌が立つ思いだが……。
瞳をサイドレッドへ戻し、静かに言葉を歩む。
「姉を選んだ理由は様々ですが、一番の理由はあなたにとってはとても意外で納得のできないものとなるでしょう。おわかりになります?」
床に崩れ落ちているサイドレッドは顔だけを上げて、問いに答えを返す。
「支配者としての器か? それとも影響力?」
「いえいえ、そのような半端な俗っぽさではありません。それ以上に俗っぽいことです」
「それは、一体?」
「それは――運です」
「運?」
俺は畳んだ扇子で彼の懐を差す。
「まずは鉛筆の存在」
「鉛筆?」
「初めて出会った時、あなたはプリンが好きだとアピールした。それはアリシアさんと会う口実を隠すため。アリシアさんと会っているのはプリンが目的で彼女ではないとね。ですが、続く小さなお節介があなたから運を奪ったのです」
「お節介? あの時は……」
彼は過去の記憶を探り、しばし思考を巡らせる。
そして、言葉を漏らす。
「まさか、お店を紹介したことかい?」
「ええ、そのとおり。あなたは私から好印象を得ようとしたのでしょう。そのため、美味しいプリンのあるお店を教えた。その際に、鉛筆を取り出しために、わたくしの記憶の片隅に丸みを帯びた鉛筆の存在を植え付けさせた……これ、初めからガラスの万年筆を取り出していれば、あとに続く半紙の溝に気づかなかったかもしれない。ですが、あなたは誤って鉛筆を取り出した。この運の無さに驚きます」
「うぐ、だが、そんなことだけで運がわるい――」
「これだけじゃありませんのよ。あなたがアリシアさんからプリンを受け取った日、わたくしはたまたま事務方に呼び出されて食堂へ訪れるのが遅くなった。ほんの僅かでも時間がズレていれば、わたくしはあなたと出会わなかった。しかし、出会ってしまった。この運の無さ」
俺は黒羽の扇子を開き、口を隠して溜め息を漏らす。
「はぁ、この運の無さはまだ続きます。その後、あなたはスプーンの先を覆っていた半紙を落としてしまう。落とすだけならまだしも、わたくしに拾われてしまう。まったく、どこまで運のない方なのかしら?」
「そ、それは偶然が重なっただけじゃないか!?」
「ええ、まったくそのとおりです。ですが、その偶然がさらに重なりますのよ」
「さらに? まだあるというのかい?」
「ええ、わたくしはルーレンにあなたのことを観察してもらおうと思いまして、彼女を伴って食堂へ向かいました。その時はまだ、あなたが食堂にいるかどうかはわかりませんでした。ですが、もしいたら、この時点であなたと組むのは絶対にありえないと思っていました」
扇子を閉じて、ぽふりと手のひらを叩く。
「そして、残念なことに、あなたはいた」
「だから、そんなものはたまたまで――」
「さらにそこで、プリンを溢すという運の無さも重なります。それにより、わたくしはあなたとアリシアさんとの仲に気づいた…………サイドレッド様、逆にお尋ねしますが、これだけの運の無い方を、あなたはパートナーに選びたいと思います?」
「そ、それは、だから、そんなあやふやな――!」
「偶然も重なれば必然ですのよ。あなたの運の無さは本物です。たしかに目に見えない力であり、あやふやな事象でしょう。ですが、わたくしはぎりぎりの場面に立たされた時に、あなたの運の無さによって追い詰められそうな感じがしてとても不安なのです。だから、フィアお姉様を選んだ」
「そんな、くだらない……理由で……グググッ」
彼は振った覚えのないダイスの出目の悪さだけで、俺がフィアを選んだことに納得できずに籠った声を漏らす。
これが一番の理由なのは変わらないが、これだけだと少々かわいそうなので二番目の理由も渡してやろう……ますます追い詰めることになるかもしれないけどな、フフ。
「それでも一応、形あるまともな理由もありますのよ。フィアお姉様は皇族入りという向上心豊かな野心をお持ち。あなたのように愛などにかまけて、情に踊るような真似は致しません。だから、あなたを選ばずに、フィアお姉様を選んだ。という点もあります」
「かまけてだと? 愛は誰にとっても必要なもののはずだ。それなのに!」
「ええ、その意見には同意しますわ。ただし、あなたが皇族で無ければですが。皇族である以上、様々な制約があり、義務がありましょう。それを放棄することは許されない」
「皇族であっても心はある。それまでも否定するというのか?」
「否定したのは、あなたご自身ですわ」
「なんだって?」
俺は羽根扇を広げ、壁の穴を塞ぐ白い布の先に向ける。そして、その向こうに広がるであろう景色を見つめた。
「皇族という名に囚われ、自由であることを恐れた。あなたが愛の力を信じるならば、鳥籠から飛び出して、アリシアさんと駆け落ちでもすればよかったのですわ。できなかったのは、自分の心よりも皇族の立場を選択した結果」
「かけおち……そんなこと、できるはずが……逃げられるはずが……」
サイドレッドは廊下に爪を立てて、今になっても愛よりも皇族の力を恐れている。
彼はたとえ無謀であっても、手に入れたいもののために戦うべきだった。
そうであれば、俺は評価した。
しかし、それを行う勇気はなく、ここにあるのは、臆病で、運からも見放されて男の姿。
そんな奴はいらない。
俺はそう判断した。
だが――
「アリシアさんとの仲は認めても良いでしょう」
「え?」
「シオン!!」
サイドレッドの小さな声に続き、すぐさま姉フィアの声が届いた。
彼女はさらに口を開こうとしたが、俺は自身の口元に人差し指を置いて、黙ってろと強く瞳をぶつける。
それに彼女は不承不承をありありと見せるが、息を飛ばすだけに留めてこれ以上声を上げなかった。
俺は崩れ落ちているサイドレッドを見下ろす。
「アリシアさんを妾に迎えなさい」
「本当に、構わないのか?」
彼はちらりとフィアを窺う。
「安心してください。必ずや、フィアお姉様を納得させてみせますから。ただし、今後余計なことを考えないように」
「ああ、アリシアと共に居られるなら、そんなこと考える気はないよ」
「ええ、そうしなさい。でなければ、あなたの叛意の報いは、愛する者が受けることになりますわよ」
「あ、ああ、わかったよ。そんな思いは抱かない。だから、アリシアには――」
「はい、何も致しません。さて、話もまとまりましたので、ルーレンとブランシュはサイドレッド様に付き添い、送ってあげてください」
「シオンお嬢様はどうされるのですか?」
「そうよ、まだ何か用があるの?」
「ええ、少しだけ、姉様と話を……」
俺はフィアに小さく瞳を動かしてから二人に視線を投げて、廊下の闇へ向けた。
二人はこくりと頷き、足取りの覚束ないサイドレッドを支え、闇の中へと姿を消していった。




