第四十七話 賢女に囲まれる愚男
サイドレッドは瞳に映った女性の名を怯えと共に形にする。
「な、なぜ、フィアが? 君は、君は、君は! ルーレンに殺されたはずじゃ!? 私は確かに聞いたぞ、鈍い骨の折れる音を!!」
この怯えに対して、フィアは制服についた埃をパタパタとはたき落としてから、軽く首元を握る。
「見ての通り、折れてませんよ、サディ」
「ど、どういうことなんだ、これは……?」
怯える彼へフィアは小さな笑みを見せて、傍に立つルーレンへ瞳を振った。
「ルーレン」
名を呼ばれたルーレンは自分の左手を前に出す。
「あれは首の骨が折れる音ではございません。私の人差し指が折れた音です」
そう言って、彼女は折れてだらりと下がる人差し指を見せる。
その痛々しい様を見たサイドレッドは体を後ろへと仰け反らせた。
「まさか、自分の指を……?」
俺もまたルーレンの指を見て顔をしかめる。
「何も折るまでしなくても。何か道具を用意できなかったのですか?」
「時間がありませんでしたから。それに、リアリティがあった方が良いかと思いまして」
「さぞ、痛かったでしょうに」
「そうですね、派手に音が出るように折ったのでかなり痛かったです。ですが、ドワーフの私の回復力をもってすれば数日で治りますから。それに、この程度の痛み、慣れていますし」
顔に痛みを一切表さず、彼女は微笑む。
ドワーフの彼女は差別されることが義務付けられた存在。
そのため、心の痛みはもちろん、肉体の痛みもまた、その小さな体に見合わぬものを今まで背負ってきたのだろう。
ルーレンはサイドレッドの青褪めた顔を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「それにしても、上手く騙せてよかったです。首を折る音よりも小さかったので、気づかれてしまうかと不安でしたが……夜のしじまが音を増幅してくれたようですね」
にこやかな笑みを見せる彼女をよそに、俺は心の中に恐怖を走らせる。
(こいつ、首が折れる音を知っているのか。やべー奴だな)
見た目は可愛らしいが決して油断できない相手。
傍に立つフィアもそう感じていたようだが、軽く頭を振って意識をサイドレッドへ向けた。
「ふふ、ルーレンから首を絞めつけられたあの時、不意に耳打ちをされたのは驚いたわ。真実のために死んだ振りをって。私がすぐに対応できたからいいものの、できなかったらどうするつもりだったの?」
この問いはルーレンではなく俺が答える。
「その程度の機転が利かないようでしたら用なしですわ。その時はルーレンは本気でフィアお姉様の首を折っていたでしょう」
「フン、言うようになったねシオン。まるで別人を見ているようだわ」
「姉様のおかげで自らを変える時間を戴けましたので」
「フフフフ、そう、感謝しなさい」
「クスクス、ええ、殺したいほどに感謝していますわ」
俺とフィアは笑い声を上げ合う。ルーレンは俺たちに折れていない方の片手をひらひらと振って、私はそんなことしませんよと言っている。
腹違いはいえ、俺たちは姉妹同士で命の奪い合いを行った事実を笑い飛ばす。
これにサイドレッドは一言、とても常識的な言葉を落とす。
「く、狂っている……」
「あら、わたくしたちがいる世界は常人では務まらない世界でしょうに」
「所詮、この人は皇族の肩書きを持つだけの人だから、このようなものでしょう」
「やはり、愛してはいないのですね?」
「当然、私が欲しいのは皇族という証だけ……どうして、愛していないと?」
「先程、わたくしがサイドレッド様を虚仮降ろしたというのに、ピクリともしませんでしたからね。多少なりとも愛があれば、死んだ振りをしているとはいえ、少しはそれらしい気配を見せるはず」
「はん、こいつを煽っていたのには、そんな意味があったのね」
「ふふふ、これで姉様とは利を目的とした良好な関係が築けそうですわ」
「まだ、あなた如き下女と組むと言った覚えはないけど?」
「そうですか? ですが、組んだ方がよろしいですわよ。そう思いません、ブランシュ?」
ブランシュの名を呼ぶと、傍の資料室の扉がガラガラと開き、腰にサーベルを携えた彼女が出てくるが――
「フ、全てを聞かせてもらいました」
「なんと言いますか……扉からガラガラというのはちょっとお間抜けっぽいですわね」
「あなたがここに潜んでろっと言ったんでしょ! 私だって兄様みたいに階上から出てくるとか、シオンみたいに廊下の闇夜から姿を現すとかの演出がしたかったのに~!」
「フフ、それはごめんあっさ~せ。それよりも、続きを」
「話の腰を折ったくせに……はぁ」
ブランシュは小さなため息を漏らすと気を取り直して、まずは兄・サイドレッドを睨みつける。
「皇族でありながら庶民の娘との縁を得るために、ゼルフォビラ家次女シオンを犠牲にしようとしたこと、しかと把握しています。さらに、今宵、独善的な欲望のため、ゼルフォビラ家長女フィアの殺害を試みたこと、しかとこの目で拝見させていただきました!」
彼女の姿を目にしたサイドレッドが驚きの声を上げる。
「何故、ブランシュが……? そうか、すでにシオンと通じて――あっ!」
彼は視線をルーレンへ飛ばす。
「なるほど、ルーレンの言葉――ブランシュ様への見方が変わる……君はシオンとブランシュを観察し、その関係性に気づいていたわけだ」
「はい、ブランシュ様の行為に苛烈さは増していましたが、何故かシオンお嬢様に対するご様子が妙でしたので。どこか、ご心配をされているご様子で……」
彼女の言葉にブランシュは眉を折る。
「あれ、嘘? バレてたの? ちゃんと演技してたと思うんだけど?」
「いえ、お見事なものでした。気づいたのはシオンお嬢様が苦しんでいる御姿を演技と理解しており、あの日の夜、何者かがそこの資料室に潜んでいる気配を感じておりましたが、それをお嬢様から支障なしとの表意を受けていましたので……このような小口を戴いていた故のことです」
「隠れていたことも知ってたんだ。おまけにこの洞察力……すごい。私の友人たちと違って、あなたは賢いのね」
「い、いえ、そのような、畏れ多い」
畏まるルーレンへブランシュは軽く微笑み、顔を兄サイドレッドへと戻す。
「では、話を戻しましょうか。兄様」
「ブランシュ……君は兄である私を裏切る気なのか!?」
「裏切る? 皇族に名を連ねながら情愛にかまけ、罪を重ねる者に差し伸べる手はございません。この、次代の魔法使いであり、皇族であるブランシュ=ブル=エターンドルがサイドレッドの罪を認めます。言い逃れは許されませんよ、サイドレッド」
「な、な……ぶ、ぶらんしゅぅぅぅ……」
妹から呼び捨てにされて、罪を突きつけられたサイドレッドは体をぐらつかせるが、階段の手すりへ手を置いて辛うじて倒れるのを拒否する。
その様子を見て、ブランシュは口の両端を上げて笑う。
サイドレッドは愛するシオンを犠牲にしようとしていた男。それを叩き潰せたのだ。
だから笑う。
今後、サイドレッドは妹であるブランシュに逆らうことなどできない。
彼女は口元を覆って口の形を正すと、次にフィアを睨みつけた。
「フィア様、これまでの裏での画策。全て、この次代の魔法使いであり皇族であるブランシュが把握しております。言い逃れは許されませんよ」
「――クッ! なるほど、ブランシュが保険というわけ? やるじゃない、シオン」
「おほほ、お褒めに預かり恐縮ですわ」
「でもね、それを覆すだけの力を私は持っている……」
冷たき赤黒の瞳を光らせて彼女は俺を睨みつけるが、それはもはや虚勢に過ぎない。
俺は無表情のまま語る。
「全てが表沙汰になれば、不利なのは姉様でしょう。あなたには皇族入りの目的があるわけですし。プライドのために、野心を捨てますか?」
この言葉に、フィアは鼻を大きく鳴らして――白旗を上げた。
「フン! 何を望むの、あなたは?」
「その問いに答える前に、姉様に問わなければならない質問がありますわ」
「それは?」
「皇族入りの意図です。世継ぎレースに参加するつもりはおありなのでしょうか?」
この問いに、彼女はこれでもかと顔をしかめた。
「馬鹿馬鹿しい、そんなものに参加したくないから皇族入りを目指したの。この街は特別だけど、中央に行けばゼルフォビラ家の影響力は格段と低くなる。私は、ゼルフォビラ家から離れたいの」
答えを返したフィアはプイッとそっぽを向いた。
当初の予想通り、彼女は世継ぎの椅子ではなく皇族の椅子を狙っていた。
だが、今の答えの中には気になる一文が混じる――それは、ゼルフォビラ家から離れたい。
その意味は気になるが、今はこの話の決着が先だ。
俺は両手を軽くパンと打つ。
「ウフフ、良かった。でしたら、気兼ねなく姉様に後ろ盾を頼めますわ」
「後ろ盾……まさか、シオン? あなた、お兄様方に対抗する気なの!?」
「ええ、そうわよ」
「馬鹿なことを。敵うわけないのに。それに……」
「なんですの?」
「なんでもない」
「そう? それで、お返事は?」
「選択肢はないのでしょ。腹立たしいけど弱みを握られた私は見下していた下女の後ろ盾にならざるを得ない」
「その腹立たしさを飲み込んで利となるものに意識を集めてください、姉様」
「利益を得られるのはあなたがレースに勝てばでしょ。まったく、間接的とはいえ、お兄様方を敵に回すなんて」
「そう、弱音を吐かずに、未来の皇族としてドーンと構えてくださいまし」
この言葉に、階段の手すりに体を預けていたサイドレッドが大きく反応を示した。
「待ってくれ! フィアが皇族? まさか、相手は私なのか!?」
「当然でしょう。あなたは姉様を殺害しようとした弱みを握られ、姉様と結婚。皇族となった姉様は弱みを握られたわたくしの後ろ盾。当然の帰結ですわ」
「そ、そんな……フィア! 君はそれでいいのかい!? 今まで散々見下していたシオンの言いなりになるんだぞ!!」
「皇族のブランシュまで抱きかかえられては選択肢などないでしょう。彼女は魔法使い候補。第五皇女だけど、特別な存在。私としては皇族入りができるなら、誇りは削り取っても構わない」
「そんな、そんな、そんな、待ってくれ、待ってくれよ。そうなると私は、私とアリシアは――」
愛する女性と引き裂かれようしている男は体をゆっくりと崩していく。
そんな男へ俺は必要な慈悲を与えようとしたのだが――誇り高きフィアが言ってはならぬ無慈悲な言葉を漏らす。
「当然、別れてもらう。私の夫に妾など、絶対に認めない」
「うぅぅぐぅぐぐうぐぐぐっぐぐぐぐぐぐああああああああああっ――――ならばいっそ!!」
苦悶の声を吐き出し、彼は腰に提げていたレイピアへ手を置いてそれを引き抜いた――――だが、そこから先は俺たちが許さない!
ルーレンが素早く懐に潜り込み、彼の手を殴りレイピアを叩き落とす。
ブランシュがサーベルの刃を首元に当てる。
そして俺は、閉じた羽根扇の先を、彼の喉元の皮一枚に置いた。
三人がほぼ同時に、彼の動きを封じたのだ。
俺は刃と扇で体を拘束されたサイドレッドへ微笑む。
「フフフ、剣の腕は中々のもののようですが、わたくしたち三人の前では力不足のようですわね」
「う、が、君までも、これほどの腕を……」
「マギーという凄腕のメイドに鍛えられましてね」
「こ、こんな、こんなはずじゃ……」
彼はゆっくりと体を崩していく。それに合わせて、俺とブランシュは武器を退ける。もちろん、警戒心は残したまま。
完全に崩れ落ちて、一言も発せない彼へ最後の言葉を手向ける。




