第四十六話 ルーレンの深謀
サイドレッドは答えが足らぬと更なる問いを重ねる。
「たしかに私の気持ちと行動を把握していたようだね。だが、まだわからないことがある。どうして、私がルーレンを利用すると思ったんだ?」
「簡単なことですわよ。あなたが残忍で卑怯な人間だからですわ」
「なに?」
彼は珍しく眉間に皺を寄せて、美しい顔を崩した。人間、指摘されたくないことを正面から言われるとつい顔に表れるもんだ。
俺はさらに眉間の皺を深く刻んでやろうと言葉を続ける。
「あなたは愛する女性のために、わたくしをフィアお姉様の犠牲に捧げようとした。その内容が凄惨であることを理解していたのに。さらに、決して自らは手を汚さず、フィアお姉様が行動に出る機会をじっと窺っていた。つまりあなたは、自分の目的のためならなんだってできる人間であり、卑怯な人間だということ」
「うぐぐ……しかしだ! これらは全て予測に過ぎず、私がルーレンに頼まない可能性だってあったはずだ!」
「予測を確定させるためには、そう誘導すればいい。その一つが、噂」
「噂?」
「あなたとフィアお姉様の婚約話です。出所不明とはいえ、婚約話が周囲に広がり、結婚の時期が周知の事実となりかねないことに焦りを覚えたのでは?」
「そうか、あの噂は君が……」
「これであなたから冷静さを少しでも奪うことができればと思いまして。さらにもう一つ。ルーレン?」
俺は横たわるフィアのそばで控えているルーレンへ顔を向けた。
彼女は軽い会釈を見せてこう答える。
「もし、サイドレッド様がご提案されないようであれば、私が提案を促す、もしくは自らが提案をしておりました」
「なっ!?」
「それに付随しますが、今宵、サイドレッド様が自ら御出になられるよう提案したのは私でございますよね?」
「たしかに、フィアの死の確認と遺体処理の際、私がいた方が良いと君は言ったが……これは、私を殺害現場に招き入れるため! なるほど、そうか……君は私を嵌めたのか!?」
「嵌める、ですか? それについてはお互い様でございましょう」
「なに?」
「フィア様殺害後、サイドレッド様は事故死に偽装する仰ってくださいましたが、後日、私を逮捕して殺人の罪をすべて押し付けるつもりだったのでは?」
「――え、いや、それはっ……」
ルーレンは僅かに顔を上げ、黄金の瞳から輝きを閉ざし、昏くサイドレッドを見つめる。
瞳に囚われ、言葉を乱す彼をおいて、ルーレンは彼の抱いた思惑を言葉として表していく。
「私はドワーフであり、ゼルフォビラのメイド。日頃から差別を受けているという動機もありますし、シオンお嬢様を御守りするためという動機もございます。それに何より、下賤なドワーフだからこそ都合が良かったのでしょう、サイドレッド様?」
「な、何を言って……」
「誤魔化しはおやめください。私がこの件についてサイドレッド様と協力したとお話しても、下賤なドワーフの言葉など誰も聞く耳を持ちません。皇族の貴方様から比べれば、私の声など虫の鳴き声以下。あらゆる点で、私はあなたにとって都合の良い存在だった」
彼女の言葉通り、ルーレンには動機があり、真実を語っても誰も信じない。
切り捨てるパートナーとして、これほど最良の相手はいない。
だからこそ、サイドレッドはルーレンにこの話を持ち掛けた。持ち掛けることができた。
その上、治安は彼の支配下……事故死に留めることもできるが、邪魔なパートナーを容易く切り捨てることもできる。
この、サイドレッドの心の内幕を、ルーレンはしっかり読んでいた。
彼は事故死で済まさず、協力者である自分を葬り去るだろうと。
ルーレンはここで小さな笑みを見せる。
「ですので、そのことを今宵利用させていただきました」
「え?」
「先程サイドレッド様が申されました、フィア様の死の確認と遺体処理。通常であれば、拒絶するでしょう。ですが、拒絶すれば、奸計に私が乗ってこないかもしれない、と貴方は考えた。それに相手はドワーフ。何か不都合があっても皇族である自分には、その罪は届かない……と、お考えになったのでしょう」
「き、きみは!? それほど深く……」
深淵とも言える謀を前に言葉を失ったサイドレッドへ、ルーレンは謝罪を丁寧に渡す。
「申し訳ございません。皇族であらせられるサイドレッド様にこのような非礼を。ですが、私はシオンお嬢様のお付きメイドですので……」
ルーレンは薄い笑みを口元に浮かべ、深い会釈を行った。
その行為が癪に障ったのか、サイドレッドは声に怒気を乗せる。
「だが、やはりわからない! どうして、ここまでの連携ができる? 君たちは連絡を取り合っていなかったはずだ。私は君たちを監視していた。朝食時に運んでいたワゴンも確認させていた。伝声管だって監視していた。それとも、私の知らぬ連絡手段が?」
「あらあら、やはり監視していたのですわね。そう思いまして、あの日の食堂以降、連絡など一切取っていませんわ。それ以前に、このような計画自体立ち上げてません。すべては成り行きで誕生させたもの」
「成り行き!? そんな馬鹿な真似できるわけが……連絡も取れず計画も立てず、これほどまでの連携ができるわけが! まさか、君たちは心のつながりのおかげで、連絡を取り合うことなくとも、分かり合えたとでも?」
「そうわよ……と言いたいですが、違いますわ」
「では、どうやって?」
「単純に…………わたくしとルーレンとあなたでは、格が違うだけのこと。ウフフ」
「――なっ!?」
「クスッ、わたくしたちは連絡を取り合わずとも、互いの思考をトレースし合い、何を考えているか読み、行動しただけのことですわ。ルーレン、サイドレッド様へあなたがトレースした思考を説明してあげなさい」
サイドレッドの琥珀色の瞳がルーレンへ寄る。
彼女はその瞳に敬意を表し、小さな会釈を見せると俺の思考を語り始めた。
「まずは、食堂での騒動のその後。シオンお嬢様は私に対して過剰なほどの愛情を言葉として表して下さいました。そこで、私たちが思い合っていることをサイドレッド様にお伝えする必要があると思い、私もそれに応えました」
「ああ、君たちは互いに思い合っていた。それこそ愛する者同士が結びつくように。あれは、演技だったのか?」
「演技ではございません。シオンお嬢様は大切な主。忠誠を誓うべき主君。愛ではなく、忠実なる部下として主であるシオンお嬢様を大切に思っています」
ルーレンは感情の変化を見せることのない、凍りついた黄金の瞳をサイドレッドへ見せる。
その姿に彼は身震いを見せつつも、辛うじて言葉を纏う。
「ブ、ブランシュのいじめを見て、君は悲しんでいた。その首謀者がフィアであることを知って憤っていた。全て、知っていたことなのか?」
「いえ、一切存じておりません。ですが、ブランシュ様の嫌がらせ程度で今のシオンお嬢様が挫けるわけがありません。ですので、あれは落ち込んでいる演技だと見抜くことができました」
「演技……」
「そして、演技とわかれば、ブランシュ様への見方も変わってきます」
「ブランシュへの見方?」
ここでルーレンはこちらへちらりと視線を振ってから、サイドレッドへ戻す。
「ふふ、この種明かしはまだ先の方がよろしいようですね。ともかく、サイドレッド様が頬を打たれて日、この階段で何者かの気配を感じておりましたが、その方が誰なのかがわかりました。それで関係性が見えてきたのです」
「何の話をしている?」
この問いにルーレンは微笑むだけ。
彼女は戦士。俺がブランシュの気配を見抜いていた以上、ルーレンも見抜いていて当然。
ただ、誰が潜んでいたのかまではわからなかった。
わからなかったが、いじめに苦しんでいる演技とブランシュへの興味。これらが、あの日の夜の気配をブランシュに繋がらせて、ルーレンはブランシュのやらせに気づいた。
彼女は微笑みを崩さぬまま、フィアへと話を繋げる。
「次に、降って湧いたかのようなフィア様が首謀者という話と、今宵の提案をサイドレッド様から頂きます。ここですべてが繋がりました。シオンお嬢様が望んでいることが……」
ルーレンは物言わぬフィアへちらりと瞳を振り、サイドレッドへ小さく頭を下げる。
彼は俺たち二人によってまんまとフィア殺人計画を抱かされ、そして証拠まで掴まれたことに歯噛みを見せた。
俺は閉じた羽根扇の先をビシリとサイドレッドへと向ける。
「あなたは中々頭の回る方でした。ですが、肩書きこそ皇族などという立派な物を刻んでいますが、所詮は小人の域を脱しない。わたくしたちとあなたとでは、才気の器に、天と地の差がありますのよ。ふふ、おわかり?」
俺は今までこいつに抱いていた気色悪さをぶつけるように馬鹿にしてやった。
サイドレッドはこれに拳を握り締めて怒りを露わとしている。
もっとも、今のは別に、こいつのこのしてやられた姿を見たくて煽っただけじゃないが……。
サイドレッドは何とか自分を落ち着かせようと、固めた拳でドンと荒ぶる心を殴る。
そして、軽い咳き込みを見せて、無言のフィアを見て笑う。
「ゴホンゴホン……フッ、たしかにしてやられたよ。まんまと自分の手を汚すことになった。だが、それは君たちも同じじゃないか。ルーレンはフィアを殺害した。君たちもまた、罪人」
「ふふふ、そうですわね。お互い罪人同士、これからは仲良くして行きましょう。皇族の方とお近づきになれて嬉しいですわ」
「もしや、君の狙いは皇族の私の影響力なのか?」
「ええ、そうわよ……と言いたいですが、それも違います」
「え?」
「皇族の力は大変魅力的ですが、あなたでは物足りない。ですので、今後は別の方の皇族の力を借りたいと思っています」
「別の? ブランシュことかい?」
「ブランシュももちろんそうですが……もう一方、いらっしゃるでしょう?」
「もう一人? それは――?」
――未来の私のことを言っているのね、シオン――
不意に聞こえてきた女性の声にサイドレッドは体を固めた。
そして、唇の先だけを震わせて、錆びた歯車が不快な音でも奏でるかのようにギシギシと首を動かし、声が聞こえてきた背後へと顔を向けた。




