第四十四話 どうして守ってあげなかったのですか!?
――――寄宿舎・茜色の空が黒に浸食されていく逢魔が刻
シオンの姉であるフィアは赤色が溶け込む黒の瞳から学友の姿を外し、緋色の長いウェーブ髪を靡かせて自室の扉へ顔を向けた。
そこで、扉の隙間に手紙が差し込まれてあることに気づく。
彼女は白く嫋やかな人差し指と中指でそれを挟み、慎重に封を切り、中にあった手紙に瞳を落とした。
文章を読み進める彼女は、誰もが畏れに心を氷漬けにされる勝者の笑みを見せる。
フィアは一度周囲を見回して人の気配がないことを確認すると、手紙を懐に仕舞い、闇が閉ざす廊下へと姿を消していった。
――――
フィアは人の目に触れられないように歩き、手紙に指示されてあった場所へ向かう。
そこは、壁に大穴が開き、工事のため人が近づかない階段前の廊下。
彼女はそこで立ち止まり、闇に閉ざされた廊下の奥へ声を投げ入れた。
「サディ(※サイドレッドの愛称)、何の用? 手紙には婚約について詳しく話を詰めたいとあったけど、何もこんなところで……あら、あなたはだ~れ?」
闇から小さな影が揺らぎ、姿を現す。
姿を伴った闇はスカートの両端を軽く上げて恭しく頭を下げた。
「フィア様、ルーレンでございます。サイドレッド様の名をお借りして、私がお呼び立て致しました」
これにフィアは不快な表情を隠さず見せたが、すぐに表情から色を消してルーレンへ問う。
「それで、メイド風情が皇族の名を騙り、この私を呼び出した理由は? 内容いかんによっては命で贖うことになるわよ」
「それは、こちらの言葉でございますよ、フィア様」
「……あなたは、何を言っているの?」
「フィア様、あなたがシオン様の尊厳を踏みにじろうとしたという話は真実でございましょうか? それで足らねば命を奪おうとしたのは真実でございましょうか? ブランシュ様を操り、自身の手を汚さずにシオン様を学院から追い出そうとしたのは真実でございましょうか?」
「なるほど、まるで犬のようね。どこで嗅ぎ付けたのやら……」
「それは肯定の意でございましょうか?」
「ええ、そうだけど。それがどうしたの?」
ルーレンは真っ白なエプロンの裾を両手で握り締めて全身を震わせる。
「腹違いとはいえ、シオン様は妹でございましょう。何故、そのような非道な真似を? 本来ならば、元庶民として居場所が定まらぬシオン様を姉であるあなたが守ってあげるべきでしょう!」
「下らない。あれが私の妹? 下民の子が? 笑わせる。アレはお父様の下らぬ過ちで屋敷に住みつくことなった物乞い。そのようなおぞましき存在を私の妹などと呼ぶとは……ルーレン、あなたはどういうつもりなの?」
フィアは心からも瞳からも熱を消し去り、場を厳寒に凍らせる。
彼女から伝わる恐怖はセルガに近しいもの。
ルーレンはごくりと唾を飲み込み、恐怖に心を氷漬けにされそうになった。
しかし――――フィアはセルガではない!
セルガに近しい雰囲気を纏おうとも、彼の圧から比べれば児戯に等しい。
ルーレンは黄金に輝く瞳に激情を送り込み、寒さに怯える心へ熱を伝える。
「フィア様はシオン様を妹と見ておらず、価値のない存在と見ておられるのですね」
「価値のない存在? いいえ、それ以下よ。アレはサディの心を奪おうとした。皇族入りを果たすために大切な道具を奪おうとした。屑の分際で!」
「そうですか、それがフィア様の本音なのですね…………残念です」
ルーレンはフィアにゆらりと近づく。
フィアはルーレンが纏う殺気に気づき、急ぎ踵を返そうとした。
「あなた、本気!? 私はゼルフォビラ家の――」
「お静かに。はしたのうございますよ、フィアお嬢様」
「クッ――――ウグッ!?」
背を向けて逃げ出そうとしたフィアの背後にルーレンは回り、右手で彼女の首元を押さえ、もう一方の手で口を塞ぐ。
しかし、背が足らぬため、口全体を覆うほど手は届かず、フィアの口端から息が零れ落ちる。
「だれはぁっ、だらはぁ、いないの」
そこから零れる言葉は歯抜けのようなもの。これではどこにも届くはずがない。
ルーレンは、彼女の耳そばで声を立てる。
「フィア様――――――――サヨナラです」
――――ゴキリ、というなんとも不快で肌が粟立つ鈍い音が闇に響く。
ルーレンはゆっくりと膝を折り、優しくフィアを床へ降ろして寝かせた。
彼女はシオンへ非道を行った敵だが、同時に主でもある。
だから見せた慈悲。
ルーレンはフィアの懐から手紙を引き抜いて立ち上がり、仰向けに横たわる彼女へ小さな会釈を見せる。
そして、穴の開いた踊り場から屋上へと続く階段へ顔を向けた。
「終わりましたよ、サイドレッド様」
「ああ、見届けたよ。ルーレン」
階上から姿を現したサイドレッド。
彼は階段を、一歩、一歩と柔らに踏み歩き、ルーレンのそばに立った。
「申し訳ない。汚れ仕事をさせてしまい」
「いえ、シオンお嬢様のためですから」
「ああ、これで彼女を守れた。もう、フィアから命を狙われることはない」
「サイドレッド様、お時間がもったいのうございます」
「ああ、そうだね。手早く事を終わらせたい」
彼は顔を上げて階段の踊り場を見る。そこにある壁の大穴をちらりと見るとすぐに顔を戻し、一歩、横たわる無言のフィアへ近づこうとした。
そこに、声が響く。
「フィアお姉様の遺体を壁の穴から階下にある機材の上に落とし、事故に偽装するわけですわね」
「――――え!?」
サイドレッドはねじ切れんばかりの勢いでルーレンの背後に広がる闇に対し、開き切った瞳をぶつけた。
そこから、彼女が姿を現す。
「見てましたわよ、全てを。この、シオン=ポリトス=ゼルフォビラが……」




