第四十一話 ルーレンはわたくしにとって!!
急な出来事を前に皆の思考が追いついていない。
その間に俺はサイドレッドの手を無理矢理引っ張り、ルーレンを引き連れて現在工事中で立入禁止の看板が置いてある三階の階段踊り場へ訪れた。
ここならまず人は来ない。
周りに人がいないことを確認する……一人、気配を感じるがそれは放っておいて、俺はまだ正気ではないサイドレッドへ話しかけた。
「いつまで頬を押さえてますの? 痛くはなかったはずでしょう?」
「え、ああ、そうだね。頬を打つと言うよりも撫でた感じだったし」
この会話にルーレンが小さな驚きの声を上げた。
「え? ですが、バチンというすっごく大きな音が?」
「あれは自分の手を打った音ですわよ。こんな風にね」
俺は手を振り上げて、ゆっくりと手の平をサイドレッドの顔近くまで動かし、そこから素早く、もう一つの手の平へと振り下ろした。
「と、このように、頬に軽く触れてから勢いよく振り下ろして、自分の手の平を叩いて派手な音を出しただけですわよ」
「そうだったのですか? あまりにも素早い動きで気づきませんでした」
「あなたからは死角でしたからね。さて、サイドレッド様。なぜ、わたくしがあのような真似を行い、ここへあなたをお連れになったかおわかりですか?」
俺は青い瞳を昏く揺らめかせて、明確なる殺意を籠めてサイドレッドを睨みつけた。
この視線はシオンの姿としてはあるまじき、殺し屋である俺の視線だ。
今、この時は、俺という内面を隠さずに少女では生み出せない殺意を見せなければならない。
サイドレッドはこれに、足を一歩、後ろへと下げた。
いくら皇族とはいえ、まだまだ経験の浅い二十代前半の青年。
不意に向けられた殺気に為す術もなく、恐怖が意識とは無関係に足を後ろへと動かした。
俺は殺気を僅かに鎮め、固まるこいつの口を緩めてやる。
「もう一度、問います。どうして、わたくしがあのような真似をしたのかおわかりに?」
「い、いや、皆目見当もつかない……」
「そうですか。ならば、はっきりとお伝えしましょう。あなたの軽薄な振る舞いが、わたくしの大切な友人であるルーレンの命を危機に晒したからです!!」
俺はルーレンをぎゅっと抱きしめた。彼女はこれに一瞬驚き体を硬直させたが、瞳を左右に振るい、この行為の意味を考え、すぐ悟り、縋るように俺を抱きしめ返した。
俺はルーレンの頭を優しく撫でてから、サイドレッドを再び睨みつける。
「あなたは大勢の方々から慕われています。中には強過ぎる思いを抱いている方々も。そのような方々は、あなたが誰かに向けた優しさに嫉妬し、向けられた相手に無体な真似を働いています。そのことにお気づきにならなかったの!?」
「そ、そうだったのか……そうか、それは済まない」
「済まないでは済まないのですよ!! 今回、あなたはその軽薄な優しさをルーレンへ向けた。口には出したくありませんがルーレンはメイドであり、ドワーフ。軽んじられる存在。そのような存在が嫉妬渦巻く中で、皇族であるサイドレッド様からの恩寵を戴けばどうなるかおわかりになるでしょう!!」
「それは……」
「下手をすれば、亡き者にされる可能性だってあります」
「さ、さすがにそこまでは……」
「あります! 証拠はわたくし自身! 過去のわたくしはいじめを思い悩み、学院を去った。その後、崖から身を投げています!」
「え!?」
「公表では事故とされていますが、あれは自殺です。記憶を失う前のわたくしはそこまで追い詰められていたのです。いじめの理由の中には、あなたからの優しさも含まれています。あなたに悪意はなくとも、あなたの優しさに嫉妬した学生たちがわたくしのいじめに加担していた」
俺はルーレンをぎゅっと抱く。ルーレンはというと、視線を僅かに逸らして下を見るような仕草を見せた。
彼女はシオンの身投げの理由を利用されたことが不快だったと見える。
その不快の内容が、自身の手による殺人であったためか、はたまた、シオンを想い、彼女の不遇を理由に使われたためかはわからないが。
何も答えを返すことのできないサイドレッドはただ立ち尽くしたまま。
俺はさらに強くルーレンを抱きしめる。
「だけど、わたくしはルーレンに救われた。記憶を失い、その後、身の置き所のない立場を知ったわたくしを、ルーレンが支えてくれた。この子がいたからこそ、今のわたくしがあるのです! だから、ルーレンはわたくしにとって、友人であると同時に恩人。絶対に別つことのできない、繋がりが存在するのです!!」
この強い言葉に応え、ルーレンも俺を強く抱きしめ返して、俺の顔を見つめようと顔を上げる。
「シオンお嬢様……もったいない御言葉です」
「もったいないなんて、これは当然の言葉です。わたくしにとってルーレンは誰よりも大切な人だから――家族よりもね」
「私もです。シオンお嬢様は誰よりも大切な方。私が全身全霊をもってお守りいたします。もう、けっして、あのようなことは……」
ルーレンは途中で言葉を切って、俺の胸に顔を埋めた。
切った言葉の中身は身投げについてだろうが、俺は『あのようなことは……』という言葉の続きが気になった。
あのようなことは、の続きはなんだろうか?
あのようなことはさせません? あのようなことは致しません?
前者なら自殺を止めたかった。後者なら……殺害しようとしてやめた?
いやいや、短文から深堀し過ぎだ。それに、今はルーレンのことよりサイドレッドのこと。
こいつをうまく誘導しないと……。
俺はルーレンを抱きしめたまま意識をサイドレッドへ向ける。
「ですから、ルーレンへ危害を加えようとする者は、その意思に善意や悪意があろうとなかろうと、どのような身分の方であろうと許しません。ええ、絶対に許さない! おわかりになりましたか、サイドレッド様?」
「あ、ああ、君の気持ちはよくわかった。たしかに私は短慮だったみたいだ。今後は気をつけよう」
「ご配慮に感謝を。こちらも皇族であらせられるサイドレッド様にご無礼を働き、申し開きもございません。望むならば、わたくしの命を――――」
「いや、それには及ばない! こちらが悪いんだ。責められるのは私だ」
「そうですか。寛大な御心に、重ね重ね感謝を」
俺は抱きしめていたルーレンを離す
「ルーレン、しばらくはわたくしに近づかないように。サイドレッド様の頬を打ったことで、皆様の激情は私に向かいましたが、共にいればあなたにまでその激情が向かいますから」
「そんな! 私はシオンお嬢様をお守りするために、ずっとあなたのそばにいるためにここにいるのですよ。それなのに離れろとはあまりに――――あっ」
俺は悲痛な叫び声を上げるルーレンの唇に人差し指を置いて言葉を封じた。
「ありがとう、ルーレン。わたくしを思ってくださるその思いは大変嬉しいです。ですが、わたくしもまた、あなたを守りたいの」
「私だって!」
「うふふ、安心しなさい。以前のわたくしと違い、あの程度のいじめや嫉妬なにするものぞ、ですわ。あなたがくれた強さのおかげでね。だから、信じて。あなたがくれた強さを受け取ったわたくしを……」
「シオンお嬢様……かしこまりました。しばらくはお嬢様へ近づかぬように努めます。ですが、お嬢様に危害が及ぶようであればっ、私はどのようなことをしてでも!!」
ルーレンは体全身に殺気を纏い、黄金の瞳に赤黒い光を宿す。
その気迫は、幾重もの命を奪い、血と臓腑に塗れる闘の庭を渡り歩いてきた俺が、思わずたじろいでしまうもの。
(こ、こいつ……まだ十四だよな。一体、今までどんな人生を歩んできたんだ? 何人の命を奪ってきたんだ? っと、こいつに気を取られるな)
俺はルーレンを優しく撫でながら、サイドレッドの様子を窺う。
彼は戸惑った様子を見せているが、琥珀色の瞳には怜悧な光を宿し、俺とルーレンをこそりと観察していた。
さすがは皇族。馬鹿じゃない……そう、元より馬鹿じゃない。あの軽薄さだって馬鹿じゃない証拠。
そして馬鹿じゃないからこそ、大馬鹿な真似をするはず。いや、しなくても、そこへ追い込む。
腹の中で薄く笑い、ルーレンとサイドレッドへ声をかけた。
「ルーレン、あなたは先にお帰りなさい。サイドレッド様も少し遅れてから。わたくしは少し頭を冷やしてから戻ります」
俺はルーレンへ目配せをする。
ここから先は互いに情報のやり取りが行い難い。そのため、お互いに思考をトレースし合いながら、計画を形作り、完遂を目指すことになる。
普通だったらこんなあやふやで無茶苦茶なやり方はしない。
だが、俺は知っている。こいつがとんでもない天才であることを。
だから、凡人の俺が考えることくらいならば、すぐにトレースできるはずだ。
ルーレンはぺこりと頭を下げて、名残惜し気な雰囲気を表しつつも、何者かが潜んでいる気配に小さく意識を飛ばす。
俺が扇子を軽く左右に振ると、彼女はその気配から意識を遠ざけて、ここから去った。
しばし間を開けて、サイドレッドの方も立ち去った。
今、ここに残るのは俺……と、もう一人。




