第四十話 嫉妬と優しさの中に潜むもの
――――夕方・食堂
プリンがいるかどうか不安だったがそれは杞憂だった。
彼は食堂内で鳥肌が立つ言葉と態度を女生徒たちへ表していた。
彼はどこかのお嬢様に話しかけ、そのお嬢様は頬を染めて、周りの女たちは嫉妬の炎を瞳に宿す。
「君は乗馬が得意なのかい? なるほど、君が見せる美しさは乗馬から得られた体幹にあるんだね。自然な美に思わず目が奪われたよ。機会があれば、一緒に遠乗りでもどうかな?」
「そ、そんな、畏れ多い。でも、その機会、楽しみにしています」
「何、あの女。社交辞令を真に受けて馬鹿じゃないの? 今度嫌がらせてをしてやろうっと」
通りかかったメイドに声をかける。
「綺麗な髪だ。宝石の粒を織り込んだ宝糸のように輝いている」
「え、え、え……そ、そんなお恥ずかしい」
「なに真に受けてんの、下女の分際で。あとでいじめてやるんだから」
たまたま学食で食事を取っていた中年の女性教師に挨拶を交わす。
「警備のためとはいえ、騒ぎ立てて申し訳ない。だけど、あなたとこうして会えたことは幸運。普段では見受けられない、あなたの姿を見ることができたのだから。生徒を導くという重責を担いながらも、美しさの輝きを失わない女性としての誇りに大変感銘を受けますよ」
「……あ、ありがとうございます、殿下。もったいないお言葉です、ぽっ」
「先生、ガチ反応じゃん! 一番駄目なやつじゃん! 年の差を考えろ~!!」
と、言った感じでサイドレッドが言葉を発するたびに、愛憎が食堂内に溶け込んでいく。
これらをルーレンに観察させて、感想を尋ねた。
「どうです? サイドレッド様をどう見ますか? 因みにわたくしは今すぐ殺したいです」
「そ、それはおやめください……そうですねぇ、サイドレッド様のご様子。一見、浮薄でありますが…………」
ルーレンは黄金の瞳を光らせて、サイドレッドの心を覗き込む。
「どこか無理をしているような? いえ、なんらかの意志を持って? 申し訳ございません、これ以上はわかりかねます」
「いえ、十分です。わたくしもほぼ同意見ですので」
そう、プリン野郎の態度には違和感を覚える。
軽薄な男で片づけるのは簡単だが、その軽薄さに意味があるような……。
問題はその意味が何なのか? そいつをどう調べればいいのか?
それをどうしようかと思い悩んでいると、食堂の端にブランシュとその取り巻きたちの姿があった。
取り巻きはサイドレッドへ熱い視線を送っていたが、妹のブランシュは非常に冷めた目を見せている。
それは軽薄な兄の姿に呆れる目ではなく、殺意が籠るもの。
兄サイドレッドのせいで、愛するシオンは姉フィアに命を狙われることになった。
だから、彼女は兄を許せない……この感情は非常に利用できるもの。
食堂を見回す…………姉のフィアはいない。
(違和感はあるものの、とっかかりが何もない。多少危険だが、サイドレッドに近づいてみるか。懐に飛び込み、あいつを知る。その分、姉フィアの怒りを買うことになるわけだが……ん?)
サイドレッドがいる場所からどよめきが。
視線をそちらへ飛ばすと、一人掛けの席に着席していたサイドレッドに対して、頭を下げている眼鏡をかけた炊事の若い女性。
あの女は以前、サイドレッドにプリンを渡していた眼鏡の女性だ。
視線をテーブルへ動かす。彼の前に置かれたプリンが皿から零れ落ちているところを見ると、眼鏡の女性が料理を零してしまったようだ。
平謝りを繰り返す眼鏡の女性にサイドレッドは淡白で短い声をかけた。
「そこまで謝らなくていいから。代わりを持って来てくれるかな?」
「は、はい、失礼します!!」
眼鏡の女性は手早くプリンを片付けて、厨房へと戻って行った。
その彼女へ女生徒たちが悪意を向けようとし、サイドレッドは辺りを見回して近くにいた小動物のように愛くるしい女性を見て微笑む。
――そこで俺は気づき、すぐさまルーレンへ命じた!
(まさか!?)
「ルーレン、今すぐサイドレッド様に体当たりをかましてきなさい! あ、怪我をさせない程度にですよ!」
「はい、かしこま――――え!?」
「いいから、早くなさい! あなたに害は及びませんから! 早く!!」
「え、え、え、はい!」
ルーレンはパニックに陥りながらもサイドレッドに勢いよく体をぶつけた。
それにより、サイドレッドは椅子から転げ落ちて間抜けな姿を晒す。
ルーレンは素早く頭を下げる。
「も、申し訳ございません!! 急いでいまして前を見ておりませんでした!!」
急な出来事にサイドレッドは尻もちをついた状態で言葉なくルーレンを見上げている。
周りの女生徒たちもぽかんとしていたが、やがて喧騒が曇天のように覆い始めた。
「な、何をしているの? メイド風情が殿下にぶつかるなんて?」
「ドワーフのメイド? 奴隷の分際でサイドレッド様になんて無礼な真似を!」
「サイドレッド様、お怪我は!? あなた、何をしたのかわかっているの!?」
ざわざわから、がやがや。そして、ギャーギャーという非難に代わり、女生徒たちはルーレンを罵り始めた。
ルーレンは周りをきょろきょろとして、半泣き状態で体を縮め、怯えた様子を見せる。
そこでようやく我に返ったサイドレッドが立ち上がり、彼はルーレンを庇った。
「みんな、落ち着いてくれ。私に怪我はない。それよりも、ルーレンの方こそ大丈夫だったかな? 怪我は?」
「ありません。サイドレッド様、お怪我はなくとも痛めた場所などは?」
「あはは、まったくないよ。それよりも……」
彼はルーレンの瞳から零れ落ちそうになっていた涙を人差し指ですくう。
「君を泣かせてしまったことの方が心痛むよ。君の月のように美しい黄金の瞳に涙は似合わない。愛らしい笑顔こそが良く似合う」
「そ、そんな畏れ多い」
「畏れ多いのは私の方だよ。滑らかな褐色の肌に浮かぶ黄金の月。美の女神と称しても遜色のない姿に思わず熱浮かされてしまう」
「お、おやめください。私はドワーフです。サイドレッド様からそのようなお言葉を戴く価値もない存在」
「そんなことは決してないよ。君には人間にはない美しさがある。いや、ドワーフだからこそ、持ち得ることのできる愛らしさに美しさ。二つの美が重なり合い、私の瞳はその佳麗に酔う……」
彼は美辞麗句の波を生み、ルーレンの頬に優しく触れた。
その姿を目にした女生徒たちの嫉妬は天を衝き、それは悲鳴にも似た声を上げさせた。
「はぁぁあぁ! あのドワーフ、サイドレッド様にあんなことを!! 羨ましい」
「ふざけないでよ! いくらサイドレッド様がお許しなろうと、今のはさすがに!! それにずるい!」
「そうよそうよ! メイドの、それもドワーフの分際で、サイドレッド様に無礼を働き、許され、甘いお言葉までかけて頂けるなんて! 許せない!!」
いくらサイドレッドが許すと言っても、ドワーフメイドに与えられた皇族の過剰な優しさに、女生徒たちの嫉妬は収まる気配を見せない。
その様子を見て、俺はにやつき、確信を得る。
(やはりな。では――!!)
俺は足早にサイドレッドへ近づき、彼の名を呼ぶ。
「サイドレッド様!」
「え?」
――――バチン!!
俺は片手を大きく振り上げて、彼の頬を打った。
彼は打たれた左頬に自身の左手を当てる。
誰もが思い描くことすらできなかった展開に、皆、無言を纏い、声を発する者はいない。
その中で俺は、頬を打たれ惚けるサイドレッドへ憤怒を露わとする。
「サイドレッド様、お話があります――いますぐご同道を!」




