第三十七話 き、気のせいだろう……
俺は軽く手をぱんっと打ってから話を戻す。
「あの、先程の話ですが、どうしてサイドレッド様は学院に? わたくしが思いますに、政治的な意味合いが含まれているようですが」
「そっか、気づいていたんだ。うん、その意味合いもあるよ。ゼルフォビラ家の影響力が大きいから、常にここに皇族ありと見せる必要があるし。特に学院には、国に影響力を持った貴族や富豪が多いからね。でも、他にも理由があるの」
「他の理由?」
「表向きは学院の警備のため。裏の理由は皇族の存在感を見せつけるため。裏の裏の理由は婚約者フィアに会いに来るため。だけど真は、あなたに会いに来るため」
「わたくしにねぇ……その学院の警備ですが、保安という面では学院内であってもゼルフォビラ家の長女フィアお姉様よりも、サイドレッド様の方が強い権限をお持ちですの?」
「うん、そうなるよ」
「な・る・ほ・ど……少し見えてきた」
「何が?」
「まだまだ形が虚ろですのではっきりとは。ですが、わかりましたら真っ先にお知らせしますわ」
「え、ええ、ありがとう……」
ブランシュは要領を得ないと言った感じで気の抜けた返事をする。
その間に、ここまでの話を頭の中でざっくりとまとめる。
フィアとサイドレッドは婚約関係。
サイドレッドはシオンに惹かれている。
シオンが邪魔となったフィアは彼女を排除しようと試みる。
それを知ったブランシュが横槍を入れて、シオンを追い出すと提案。
提案は受け入れられ、ブランシュは見事シオンを学院から追い出すことに成功して愛する者を守れた。
(愛する者を守る、か……フフ、変則的だが面白いやり方だな。もっとも、俺だったら素直にシオンが襲われる寸前まで泳がせて、そこで証拠を握り、フィアを追い詰めるが。ま、十代のガキに好きな人をおとりに使うなんてことは無理か。それにしても、皇族様が庶民出のシオンをねぇ)
俺はブランシュに問い掛ける。
「ねぇ、ブランシュ。どうして、わたくしを愛してるの?」
「え、何、急に?」
「いえ、出自の差が天と地以上に離れているわたくしに恋心を抱くなんて、何か余程のことがあったのかと思いまして」
「別に余程のことなんて……ただ、その…………一目惚れだったの……」
「そうなんですの?」
「うん、そう! そうなんだよ! 初めてあなたを見たとき、こんなに可愛い人がいるなんてびっくりしたの! どこかのお姫様かと思うくらいに!」
「お姫様はあなたでしょうに……」
「そうだけど違うの! その日からずっとあなたを目で追ってた。だけど、どう話しかけていいかわからない。とても内気な人だったから。へたに声を掛けたら怯えさせちゃうかもしれない。ただでさえ、私は皇族という立場で、他の貴族ですら私に気後れすることがあったから。おまけに、ゼルフォビラ家と皇族は、この学院と都市ではライバル関係だし」
「まぁ、そうでしょうね」
「だけど、だけど、だけど、仲良くなりたかった。おしゃべりしたかった。一緒に遊びたかった。でも、でも……近づくのも、怖かった」
先ほどまで元気よく言葉を弾けさせていたブランシュは声のトーンを急激に下げていく。
そして、秘めたる思いを打ち明ける。
「近づき過ぎたら、私の想いに気づかれちゃうかもしれない。女の子なのに、同じ女の子を好きになるなんて……嫌だと思われるかもしれない。そんな考えが心に宿ると、目であなたの姿を追うのも怖くなってた……でも……」
ブランシュはスッと俺のそばにより、僅かばかりの戸惑いを見せたかと思うと、次にはさっと手を伸ばして、俺の両手を握った。
「同志だったなんて、嬉しい!」
「え? あ、そうなるのか」
時を巻き戻して、ブランシュが資料室に訪れた時のやり取りを思い起こす。
『わたくしはご存じですの。あなたの本当の心を。そのために、ずっと悩んでいたことを』
『ブランシュ、あなたの気持ちが理解できるからです。誰にも話せず、胸の内だけで焦がし続ける苦い思いを』
『同じ苦しみを知り、悩みを知る者同士。互いに手を取り合いません? 庶民出であるわたくしと皇族のあなたを比べるなどおこがましいでしょうが。それでも、悩みを聞くことはできます。同志として……』
この会話、同じ同性愛者として悩みを抱える者みたいになってる……どうしよう? いや、いやいや、これはこれでかまわない。
以前、扇子を持つことで男を寄せ付けない効果があるならいいと思ったが、これもまた同じ。
同性愛者だと思われれば男が寄り付かな……いや、公表しているわけじゃないから寄り付くのか?
俺は頭をくいっと傾けて、はてなマークを浮かべる。
するとそこに、ブランシュがとても暗い声を立ててきた。
「ねぇ、同志なのは嬉しんだけど……シオンには、好きな女の子がいるの……?」
彼女はダークブルーの瞳に輪をかけるように闇を乗せて、そっと囁く……何やら、怖い。
「好きな女の子、ですか?」
「私じゃないんだよね? ねぇ?」
「えっと、その……」
「もしかして、一緒に連れてきたメイドのドワーフの子?」
「え!? いえ、違いますわよ」
「それじゃあ、誰なのシオンの好きな子は? 私の気持ちを知ったのに、シオンの相手を教えないのはずるい」
それはどういう理屈なんだ? しかも、好きな子がいる前提で話が進んでるし……。
ブランシュはただ無言で光宿らぬ瞳を見せ続ける。そこに殺気はないが、返答次第では殺されそう。
ここで下手にはぐらかそうとすれば、明日の朝刊の主役になりかねない。
仕方ない、ここはあいつに犠牲になってもらおう。
「いま、すよ」
「誰!?」
「マギーという、わたくしの屋敷に勤めるメイドです」
「マギー……」
「元傭兵でして、わたくしの剣の稽古をしてくれていましたわ」
「剣の稽古。それじゃあ、シオンが強くなったのはそのマギーって女のおかげ。だから、愛してるの?」
「愛するとは違うような……憧れ、みたいな感じですわよ」
「憧れるほど愛してるんだ」
「え? 会話がおかしい……」
「そっか、そうなんだ。いいなぁ、そのマギーって女。シオンを独り占めにできて」
「なんだか、話がどんどんそれているような。あの、今のわたくしと以前のわたくしとではかなり違いがあると思いますが、それでもわたくしのことを?」
この問いかけに、ブランシュは寒気が走るような柔和な笑顔を見せた。
「フフフ、記憶を失っても、性格が変わっても、シオンはシオン。何も変わらないよ」
「じ、自分で言うのもなんですが、それだとまるっきり変わっているような」
「ううん、変わってない。こうやって手から伝わる温もりは以前のシオンと同じだし」
「以前のわたくしの手を握ったことあるんですか?」
「ない。でも、私にはわかる。愛しているから」
「え、ええ、そうなの?」
「口調は違っても声の質は同じ。微笑む顔も同じ。だから、同じなの……」
ブランシュは俺の両手を握ったまま、何かを確かめるように強弱を変えてにぎにぎと何度も両手を触るよう握る。
だんだんこいつのことが怖いどころか、やばい奴なんじゃないかと思い始めてきた。
俺はこいつに飲まれかけている。このままではいかん。話の向きを変えよう。
「ブランシュ。今後のことで話がありますわ」
「今後? はっ、私たちの将来!?」
「違う! いや、ある意味そうですわね。あなたはこのままいじめを続けてください」
「え、どうして……あ! そっか、そうじゃないと」
「ええ、フィアお姉様に気づかれてしまいますから。そうなれば、お姉様が何を仕掛けてくるかわかりません」
フィアは自身が皇族となり、権勢を振るおうと考えている。
そのためには腹違いの妹の命などなんとも思っていない。
つまり俺は、この学院で最も力を持つ相手から命を狙われているわけだ。
そんな状況下で、何の準備もなしにフィアから命を狙われては対処が難しい。
だから今はまだ、ブランシュがいじめを継続していると見せかけないと……。
彼女もまた愛に酔っていたが、そのことにはすぐに気がついた。やはり、皇族とあってか頭の回転は速いようだ。
さて、これからの問題はフィアとなるが……。
(皇族入りが関係した争い。これは相当ヤバい。少しでも気を抜けば、命を奪われかねない。なにせ、学院全体が敵となる可能性があるわけだしな)
自分の立場の危うさに気づき、冷や汗が額に浮かぶ。
俺はブランシュに強く釘を刺す。
「お願いですから、いじめの手を抜かないようにしてくださいませ。わたくしの方も今後は平気な様子など見せずに、辛い思いを表に出しますから」
「いいの?」
「良いも悪いもありませんわ。ともかく良案が浮かぶまでは、いじめの継続を。いえ、前以上に激しくして構いません」
「前以上に……だけど……」
ブランシュは迷いを見せる。
以前とは違い、自分の想いを渡して、さらには互いに通じ合うものがある仲となった。
しかしそれにより、愛する者を守るために心を氷で覆っていた冷たさが溶け出してしまったようだ。
このままでは非常にまずい。
だから彼女に、再び覚悟を宿らせる芝居打った。
俺はブランシュを強く抱きしめる。
「ブランシュ!」
「きゃっ!?」
「お願いですからわたくしをいじめて。たとえ、どんなに辛いいじめをされても、あなたの本当の気持ちはわかっています。だから、ブランシュのことを嫌いになるなんてありません。私のためにお願い、ブランシュ」
「シオン……わかった、私、心を鬼にしてあなたをいじめる。いじめる、いじめる……あなたを、いじめるからぁ……」
悲痛な言葉を交え、彼女は俺の胸に顔を埋める。
よし、これで当座はしのげそうだ。
胸元からブランシュの籠った声が上がる。
「すーすーすー、はぁはぁ、やっぱり体臭も以前と変わらない。昔隠した時に嗅いだ体操着の香りと同じ……すーすーすー」
何かいま、すっごく怖いことを聞いた気がするが? 気のせいだろう、うん!




