第三十四話 本質は生真面目で努力家。だからこそ……
がむしゃらに攻撃を仕掛け続けていたブランシュが模造刀をだらりと下げて、大きく肩で息をする。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、はぁ、あ、あ、ぜぇ、ぜぇ」
「お疲れのようですわね。そろそろ、やめませんか、ブランシュ様」
「……ふ……けるな」
「はい?」
「ふざけるな。ふざけるな! 私は誉れ高きエターンドルの血を引く皇女ブランシュ! 私の心に敗北の文字はない!」
ブランシュは大きく剣を振って、ピタリと止める。
そして、中段の構えのまま荒ぶった感情を鎮めるために深呼吸を行う。
「す~は~、す~は~、す~は~」
呼吸を重ねるたびに、あれほど激しく上下していた肩の動きが小さくなっていく。
俺は、誇りなどという重石を足にくっつけた皇女の姿を見て、腹の中でせせら笑う。
(ククククク、なるほどなるほど。ルーレンの話ではかなりの努力家だったな。そして、己の血を強く意識している。それはそれは大層な重圧がお前には載っているだろうな。これで、こいつの攻略の糸口が見えた)
深呼吸を終えたブランシュは瞳に戦意を乗せて、俺の瞳をまっすぐ射貫く。
そこには、不思議な手加減をしていたいじめっ子の姿はない。
皇女でありながら誇り高い戦士として、俺へ挑むつもりのようだ。
(ただのいじめっ子と思いきや、やはり人の上に立つ存在。気高き心とやらも持っているわけだ。ま、敵の目の前で深呼吸しているようじゃ駄目駄目だけどな。実戦だと死んでるぞ)
俺は構えていた模造刀を僅かに揺らし、わざと隙を見せた。
すると、ブランシュはそれを好機と見て、まんまと俺の懐へ飛び込む。
そして、頭をめがけて打ち込もうとした――が、彼女の視界は180度回転して、とても柔らかく、体育館の床に背中から倒れ込む。
天井を見上げて惚ける彼女へ、俺が上から覗き込み、人差し指と薬指を揃えて彼女の首元を切るようにそっと撫でた。
「はい、わたくしの勝ちです」
「え、え、え? 何が起こったの?」
「あなたを押し倒しただけですわよ」
「おし、たおした?」
「ええ、あなたがわたくしの眉間を勝ち割ろうとしたところで、わたくしは模造刀を捨てて素早く左横に回り、あなたの足を引っかけつつ、左腕を使い、あなたの右肩と左肩を覆うように置いて押し倒したのですわよ」
「嘘よ……私は何も見えなかった……」
「ウフフ、屋敷に戻って以降、マギーという元傭兵のメイドと訓練を重ねましたからね。自分で言うのもなんですが、町の悪漢程度なら相手にする自信はありますわよ。あなたのようなお嬢様なら言わずもがな、ですわ」
そう言って、彼女の頭を撫でる。
すると、ブランシュは顔を真っ赤にし、奥歯を強く噛み締めて、激しく両目を瞑った。
頭を撫でたのはまずかったか? この行為が彼女のプライドを傷つけてしまった。
その後、ブランシュは気分が優れないと言って体育館の隅に寄り、授業を見学。
残りの俺や生徒たちは、その日のカリキュラムに興じるのであった。
――――放課後・日が沈む前
ブランシュは取り巻きたちと共に部活動が終えた体育館の一区画を借りて、一人、模造刀ではなく木刀を手に持ち、素振りをしている。
その様子を、俺はこっそりと覗き見していた。
木刀を握る彼女の手には血が滲む。それだけの回数、素振りをしていたという証拠。
運動着姿で汗だくになっているブランシュへ、取り巻きの一人が止めに入ろうとするが……。
「ブランシュ様、もうそれ以上は!」
「邪魔です!!」
「ですが!」
「私はシオンに負けたのよ! あのゼルフォビラ家に!! 皇族としてこれほど情けないことがあると思う! だから、次こそは勝たないといけないの!!」
「ですが、ご無理をされてはお身体に障りがございます!」
さらに、もう一人の取り巻きも止めに入る。
「そうですよ! ただでさえ、毎日の魔法の訓練でお疲れ気味なのに。剣の稽古など増やされてはお身体が!」
「黙りなさい!! 私は皇族! 敗北は許されない! さらには、未来の魔法使いという期待も掛けられている。学業も、武術も、魔法も、どれ一つ劣るわけにはいかないの!! 皇族として!」
「「ですが!!」」
「黙れと言ってるじゃない!! これ以上私の邪魔をするなら、あなたたち二人とも学院から追い出してやるから! わかったら、早くどっかに行って! 邪魔だから!!」
このブランシュのヒステリックな叫びに、二人の取り巻きは口を閉じ、タオルと飲み物を傍に置いて、体育館を後にした。
覗き見をしていた俺は愉快愉快と、内に留まり決して外には漏れ出ぬ笑い声を上げる。
(クク、ククク、アハハハハ、ルーレンから話を聞いた時、そうかもと思ったが、やはりそうだったか。ブランシュは皇族という立場と皇族の魔法使いという期待を受けて、その重圧に苛まれていたんだな。それで、その捌け口をシオンに求めた)
型もなく、ただ感情的に木刀を振り回すブランシュをちらりと見る。
(この街と学院において、ゼルフォビラと皇族はライバル関係。シオンはそのライバルの娘でありながら、ゼルフォビラの保護が届かぬ存在。捌け口としてはかっこうの的だったわけだ)
無様に踊る皇女様から視線を外して、これからを考える。
(ここまでわかったらあとは利用するだけだな。取り巻きに対する態度を見るかぎり、ブランシュは彼女たちを心の頼りにはしていない。だったら、俺が心の頼りになればいい。彼女の心の拠り所になればいい。彼女を理解し、寄り添い、必要とされる存在に……)
今回の話……いじめ。
何やら面倒だと思っていたが、蓋を開ければ単純な話。
重圧に押しつぶされそうなお嬢さんが、その捌け口にいじめを行っていた。
だから俺は、その重圧を軽くしてあげられるように寄り添えばいいだけ。
相手はすでに心が弱っている存在。ほんの少し心の扉を開かせてしまえば、あとは感情が雪崩を打って飛び出してくる。
その止まらぬ感情を受け止めて、理解し、温かく包み込む。
そして、俺という存在が頼れる友人であると彼女の心へ刻み込む……。
(ちょろい話だな。あっさり読み解けてしまった。へ、ガキってのは単純だぜ)
俺は自分の名推理っぷりと、感情を制御できないガキへ笑いを手向ける。
(ククク、これで皇族様を取り込めるな。まだまだ小娘だが、気位の高さは悪くない。今後の成長を見込める。こいつは、大きな手駒になりそうだ。クク、フフフフ、フハハハハ!!)
と、俺は余裕余裕と笑い転げていたが――自分という存在を自惚れていた。
今でこそ、伯爵の娘なんていう肩書きを持っているが、俺はうだつの上がらぬ二流の殺し屋だったおっさん。
そう、自惚れる要素なんて何もない。
そうだってのに、相手がガキだと思い、物事を単純に考え過ぎていたのだった……。




