第三十一話 プリンの悪人と女王
――学院へ訪れて五日目・夕食
手続きに不備が見つかったという一方が届き、その修正のため夕食の時間がズレ込んでしまった。
夕食を頂くため、寄宿舎の一階食堂へ。
時間がズレてしまったためか、廊下はいつもよりも閑散としている。
普段であれば、名もなきモブな学生どもがこちらへ話しかけることなく、学院から逃げ出したものの舞い戻ってきた俺へ好奇の目を向けてくるので鬱陶しい思いを抱いているところだ。
それに加え、食堂ではブランシュたちがスープをかけようとしたり、わざと椅子を蹴ってきたりと、細かな嫌がらせをしてくるので、その相手が面倒。
もちろん、そんなくだらない嫌がらせは全て躱しているが。
不備の修正は手間だったが、ここは一時とはいえ、それらの煩わしさから解放されたことを喜ぼう。
食堂へ向かうたびに生徒の姿は減っていく。皆、食事を終えて自室へ戻っているのだろう。
これなら気楽に食事を取れると思いきや、食堂の出入り口前に皇族の騎士サイドレッドがいた。
彼は左手にプリンらしき容器を持っている。上には無地の半紙で包まれた小さなスプーン。
どうやら彼は、皇族の特権を使い、学食で評判のクリームプリンをゲットしたようだ。なんて悪い奴だ!
その悪党は、学食に勤める眼鏡をかけた白い割烹着姿の若い女性と話している。
彼は俺の姿に気づくと、左手に持っていたプリンを背後に隠しつつ語尾を上擦らせた。
「いつもありがとう。このようにプリンを――あ、シオン!?」
「見回したわよ、皇族の特権。わたくしはまだ一度も味わっていませんのに……」
「あ、あは、あははは、これはまずいところを見られたなぁ」
どうも彼は、大の大人が学院の学食にまで出向いてプリンをゲットしている姿を見られたのが気恥ずかしいようだ。
それをジト~と睨みつけていると、眼鏡の女性が小さな笑いを生む。
「クスッ、プリンならもう一つだけ残っていますが?」
「あら、そうですの?」
「はい、プリン好きの殿下が定期的に訪れますので、学食が閉まった後も二・三個ほど残しているんですよ」
「まぁ、そうなんですの。サイドレッド様、そこまでしてプリンが欲しいのですか?」
「ゴホンゴホン、恥かしながら甘い物には目がなくて、つい……あの、そろそろ失礼するよ」
彼はそそくさとここから離れようとした。
しかし慌てていたのか、無地の半紙で包まれたスプーンを落としてしまう。
スプーンから半紙が取れ、こちらへ滑空して足元へ落ちた。
それを拾い上げようと半紙を指に挟んだところで、眼鏡の女性が声を上げる。
「あっ、そのままで。御不浄のものを殿下とお嬢様に拾わせるわけにはまいりません。すぐに代わりのスプーンをご用意します」
彼女は会釈をするや否や、食堂へと消えて、すぐに戻って来た。
そして、無地の半紙に包まれたスプーンをサイドレッドへ手渡す。
「どうぞ」
「申し訳ない。面倒を掛けて」
「いえ、もったいない御言葉です」
「次は気をつけてと。それじゃ、二人とも」
彼はそう言葉を残して、もはやプリンを隠すことなく両手で包み、寄宿舎の玄関へと姿を消していった。
眼鏡の女性はこちらへ向き直り、小さな会釈を行い問い掛けてきた。
「あの、お食事でしょうか?」
「ええ、事務手続きで遅れてしまい。食事は取れますか?」
「はい、大丈夫です。すぐにご用意しますね。もちろん、プリンも」
「クスクス、ええ、お願い致しますわ」
再び彼女は会釈を見せて、懐から手袋を取り出して、床に落ちた半紙とスプーンを拾い上げた。
わざわざ手袋するとは、実に配慮が行き届いている。
もちろんあとで手を洗うだろうが、素手で落ちた物を拾い、その手で食事を出されては気分を害する者もいる。
彼女は他者に対して十分な配慮を示せる女性のようだ。
学食内へ入る。
一人から四人掛けの丈夫な木造のテーブルに、それに付随した黒皮のシートが整然と並ぶ。それは古びた喫茶店のようで中々趣のある。
それは中身がおっさんだからそう感じるのであって、若い学生らがこの雰囲気をどう思っているかまでは知らない。この学院の趣味はとことん中年向きで、若者向きとは思えない。
いつもは一人テーブルに座るが、今日は誰もいない。
だから、広々とした四人掛けのテーブルに座り、食事を待つことにした。
俺は落ちた半紙に振れた人差し指と親指を擦る。
「ある意味、ゴミを触ってんだよな。まぁ、おしぼりが出るから良いか。それに……フフフ、プリン好きの皇子様を見かけたのは思わぬ収穫だった。まだまだ何とも言えないが、とんでもない爆弾なるやも……」
――――その後、寄宿舎・自室
連日のようにブランシュたちから頂いている花を花瓶に生けているルーレンが、ベッドにお尻を置いて両足を投げ出している俺に対して気遣う声を上げた。
「あの~、大丈夫ですか、シオンお嬢様?」
「ええ、問題なく。その様子ですと、学院の様子が伝わっているようですわね」
「はい、他のメイドの方から。あの、足は閉じてお座りください。よいしょっと」
「むりやり人の両膝を持って足を閉じさせようとするのはどうなんでしょう?」
「そのような座り方をされては、肌着が見えてしまいます」
「スカートは長めですから、この程度大丈夫ですわよ。それにここには、それを見るような人もいないでしょう」
「誰もいない時こそ淑女であるべきなんです!」
「も~」
「も~、ではありません。シオンお嬢様は貴族の令嬢として――」
「はい、話を戻しましょう! ブランシュ様についてですが……」
「なんでしょうか?」
「どういった方なんです?」
「そのようなこと畏れ多くて、私如きがお答えすることはできません」
「フフ、これは貴族の令嬢としての命令です。答えなさい、ルーレン」
「も~」
「も~、ではありませんわ。ほらほら」
促すとルーレンは小さな溜め息を漏らし、如何にも仕方がないといった様子で言葉を出した。
「大変な努力家でございます。皇族の血を重んじ、その血に恥じぬよう日々邁進されておられます」
「いじめは血に恥じないんでしょうか?」
「そのような問いをされても畏れ多くて私は何も返せません。ともかく、魔法使い候補としても、毎日のように夜遅くまで魔法の訓練をされているそうですよ」
「なるほど……面白い」
「面白い、ですか?」
「ええ、大変面白い話を聞けました。ありがとうですわ、ルーレン」
「はぁ? お役に立てたのであれば幸いですが……そう言えば、フィア様にはご挨拶はされたのですか?」
「あ、すっかり忘れてましたわね。そう言えば、学院長にも会ってませんわね」
「学院長は急用でしばらく不在だそうですよ。ですが、フィア様は……こちらへ来て五日も経っていますのに、ご挨拶もまだとは……さすがに問題かと」
「だって、姉と言われましたも今のわたくしからすれば会ったこともない他人のようなもの。ついつい、忘れがちになってしまいますわよ」
「会ったことはなくとも、姉と妹という立場がございますでしょう。ですが……お会いになられても……それでも、礼儀は通しておかないと」
「ん?」
この小さな疑問の声に、ルーレンは深々と頭を下げて回答を拒絶した。
これはゼルフォビラの家族内の話。
それも内容は、あまりよろしくなさそうなもの。仕えるメイドとしては皇族の表層を語るよりも憚れるようだ。
(しゃーない、一度顔を見ておく必要もあるし、明日一で挨拶しに行くか)
――――次の日・寄宿舎・早朝
ルーレンが用意した朝食を急いで胃に掻き込み、ルーレンを伴うことなく俺一人で高等部に在籍する姉フィアがいる三階へ。
因みに、昼と夜は寄宿舎の食堂で食事を取り、朝は各自のメイドたちが用意した食事を頂くことになっている。
おそらくこれは、遅刻防止のためではないだろうか?
自立を促す校風のわりには甘い部分がある。
そんなこたぁさておき、三階へ訪れた俺は姉が滞在する部屋へ向かおうとしたのだが、廊下の奥からその姉の名を呼ぶ声が響いてきた。
「フィア様、おはようございます」
「早朝からお会いできて光栄でございます、フィア様」
「これはフィア様、ご機嫌麗しゅう存じます」
と、あちらこちらからフィアに対する挨拶の連呼が続き、誰もがフィアへ頭を垂れて、瞳を動かし姿を追う。
この様子から、フィアという女は高等部を掌握している思われる。
俺は声たちが集まる一点へ瞳を寄せる。
皆から名を呼ばれるモノを瞳に入れた途端、ゾッとした寒気が背筋に走った。
彼女は母ダリアと同じ緋色の長いウェーブ髪を靡かせ、僅かに赤色が溶け込む黒の瞳を揺らし、名を呼ぶ者たちへ柔らかな笑みを見せる。
だが、笑顔に隠された下にはセルガと同様、感情の端を感じさせず、とても冷たくさざなみ一つ立てない、凛然とした揺ぎ無き意志を纏う。
氷に閉ざされる感情を封じた肉体には、俺とは色違いの漆黒の学生服を纏い、彼女はただ静かに歩む。
黒赤の瞳はやや釣り目でダリア似だが、瞳に宿る風格はセルガそのもの。
顔は大変美しく、多くの瞳を止めてしまうものだが、どこか彫刻的で無機質な美を伝える。
俺は彼女の佇まいをこう評する。
――絶対的支配者・女王、と。
(こいつは参ったな、強敵そうだ。ブランシュなんかよりも皇族感がありやがる。できれば、敵に回さない方が良さそうな相手だが……)
俺はフィアの進路を遮らぬよう廊下の端に寄り、声をかけた。
「フィアお姉様、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。五日前に復がく――――」
フィアは一瞥すらなく、廊下を歩んでいく。
背の半分を隠す緋色のウェーブ髪を見送り、俺は腹の中で鼻息を飛ばす。
(フン、完全無視か。なるほど、あいつの中で俺はいない存在ってわけか。ま、それならそれで動きやすい。女王様にちょっかいを出されてはやりにくいからな。一応筋も通して、姿も確認したし、帰るか)
鞄を取りに戻るために二階の自室へ戻る。
その途中でシオンのことを考える。
(皇族という絶対に逆らえない相手からいじめを受けて、同級生に無視されて、姉からは存在すら認められないエリート貴族が集まる学院へ通う庶民の娘。さすがにここまでくると逃げたくなるわな。フフ、俺としては楽しめそうだ)




