第二十九話 あの女が噂の……
――次の日、早朝
俺は身支度を整えて、全身を映せる鏡の前に立ち、上から下へと視線を降ろして鏡に映る自分を見つめる。
白いブラウスに赤黒のラインの入ったセーラーカラーという大きな襟。その上に焦げ茶色のジャケットを纏う。ジャケットは開けぬよう、二個の金色ボタンで止めてある。胸元には剣と槍と弓が重なり合い、そこにオリーブっぽい花が絡みついた校章。
花で平和を表して、そいつで武器を包み込んでいるのだろうか?
胸元には茶色のリボン。下はチェック柄のスカート。黒のハイソックスに黒色のローファー。
伝統を重んじる学院とあって、かなり地味めの学生服だ。
ルーレンが食べ終えたばかりの朝食を片付けながら声をかけてくる。
「お似合いですよ、シオンお嬢様」
「…………ありがとうですわ」
「あれ、そのご様子……何か私、失礼なことを口にしてしまいましたでしょうか?」
「いえ、そんなことありませんわ」
俺はルーレンをちらりと見て、すぐに鏡に映る自分へ瞳を戻す。
青み掛かった黒の直毛の長髪に、青が溶け込む丸みを帯びた黒の瞳。
十四歳の割には出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる中等部二年の少女。
その中身は四十のおっさん。職業はうだつの上がらぬ殺し屋で、自宅では基本パンツ一枚。
そんなのが女子中学生のコスプレをしてる……。
「フッ、世も末……」
「シオンお嬢様?」
「いえ、なんと言いましょうか……世の儚さというか、虚しさというか、これはどうなんだろうと思いまして」
「えっと、学生服がお気に召さないということでしょうか?」
「広義では、そうかもしれませんわね。ま、痛々しさは忘れてることにしましょう」
「はぁ? あの、そろそろお時間ですよ。鞄を」
渡されたのは、勉強道具が入ったレザー製の鞄。
形は主に地球の女子中学生が使用している昔からある古風なタイプ。長方形で二本のベルトを金属の留め金で閉じるタイプ。
というわけで、四十のおじさんは女子中学生に化けて、少年少女と交わり青春を謳歌するために学院へ向かう。
「ふぅ……では、行ってまいりますわ。ルーレンはこの後どうされますの?」
「お部屋のお掃除を行います。そのあとは他のメイド方と一緒に、寄宿舎内と学院内のお掃除です」
「それは残念。今日は初日の早朝からイベントを見ることができるかもしれませんのに」
「イベント?」
「起こるかどうかは半々ですけどね。それに半分を引いても、おバカじゃなければイベントを躱されるか、わたくしが被害を被るんですけど」
「何の話でしょうか?」
「ふふ、こちらのこと。そういえば、掃除の方は業者に任せていないのですわね?」
「はい。私たちメイドはお仕えする主方が授業を受けている間はすることがありませんので、お手隙に、私たちが寄宿舎や学院のお掃除をすることが伝統となっています」
「伝統という名の搾取ですわね」
「お願いですから、返答に困る御言葉はおやめください」
眉をひそめながら言葉を返してくるルーレンへ、俺は小さな笑いを立てて返す。
出会った当初は身分差を前に遠慮が過ぎていたが、ここ最近はその遠慮が小さくなっている。
以前は不意に手を上げただけで体を硬直させていたものだが、今はそういった様子をあまり見せない。
これは打ち解けたのか、こいつの計算なのか?
元のシオンとはどういった様子で付き合っていたのだろう?
出会った時の様子を見るかぎり、身分差を弁え、数歩引いた関係っぽいが……。
残念ながらそれを質問する余裕はなさそうだ。
「シオンお嬢様、お時間が」
「まだ余裕はあると思いますが?」
「始業十五分前には教室にいませんと。貴族の令嬢として、息を切らせながら教室に駆け込むなんてもってのほかです」
「……さいですか」
こいつは何故か、貴族の令嬢に夢見がちなところがある。
それはかなり強い思いで、議論の余地なしと強制してくる。
だから俺は諦めの言葉を漏らして、早めに学院へ向かうのだった。
――寄宿舎から学院までの道
寄宿舎から学院まで赤レンガの小道をゆっくり歩いていく。
急かしてきたルーレンには悪いが、諸事情あり初日は遅めの方が良い。
その途中で幾人かの学生が俺をちらちらと見てくる。
学院から逃げ出した庶民出の妾の子が舞い戻ってきたことが気になる連中がいるようだ。
よくよく思えばセルガも酷なことをする。
ゼルフォビラ家は上位貴族にあたる。寄宿舎も特別で同じく上位貴族の者ばかり。それどころか皇族までいる。
さらには、プライドが高くシオンを決して認めない姉のフィアもいる。
そんな場所に庶民出の妾の子が放り込まれるなんて、たまったもんじゃない。
いじめがなかったとしても、まともな神経じゃこんなところには居られない。
俺はふと立ち止まり、今考えたことを小さく反芻した。
「まともな神経、か……ふふ、まともな人生を歩まずにまともな生き方もしなかった奴の言うセリフじゃないな……ま、いっか。行くか、じゃない、行きますわよ」
俺は言葉を閉じて、学院の全景を蒼い瞳に取り入れる。
(さて、昨日の仕込みがどう功を奏するか? それとも不発で終わるか? 自爆するか? 楽しみだね~)
――――学院へ
学院へ着き、まずは個人ロッカーへ向かう。
そこに重たい教材が放り込まれているので、時間割に合わせてその都度そこから必要な教材を取り出す。
あとは私物なんかもロッカーに入れたりする。
今日はまだ向かう必要はないのだが、向かう用事があるので向かう。
ロッカー近くまで来るとがやがやと騒がしい声が波のように寄せてきた。
俺は人込みをかき分けてロッカーへ近づく。
そこにあったのは――無理やり扉をこじ開けられて、鍵を破壊されたロッカー。中身は廊下にぶちまけられて、私物は水浸しで教科書類は破かれている。
俺はそれらを見て力なく数歩歩き、肩をがくりと落とした。
すると、そんな俺の姿を見て、クスクスと笑い声を漏らす二人の女生徒の声が聞こえてきた。
そちらへこそりと瞳を動かす。
栗毛の三つ編みの女に、細長眼鏡をかけたそばかす女。
どちらも底意地が悪そうな表情を見せて、こちらを見て肩を揺らし笑う。
俺は彼女たちを見て、軽く鼻で笑った。
その時だ――
「ど、どうして!! どうして私のロッカーがこんなことに!?」
一人の女生徒が飛び込んできて、散乱した道具の前でへたり込んだ。
そして、半泣き状態でなんでなんでと繰り返し、友人と思われる者が彼女を慰めている。
それを見た先程の底意地の悪そうな女生徒二人は、驚きに笑い声をのどに詰まらせて咳き込んだ。
俺は壊されたロッカーの扉を両手で持って、ロッカー本体に立て掛け直そうとする。
その際、ロッカーの名札の紙を、手早く壊されたロッカーの隣にあるロッカーと入れ替えた。
入れ替えた名札にはシオンの名が書かれてあった。
そう、俺は昨日、このロッカーを見たとき、いじめた奴が歓迎の印に何かしらをしてくるんじゃないかと考えて先手を打っていた。
それは自分のロッカーと隣のロッカーの名札を入れ替えること。
はっきり言ってこの仕掛け自体はかなり大雑把なもので、バレたらバレたでいいやというもの。
まず、元の持ち主が名札が入れ替わったことに気づく可能性が高い。
だが、持ち主は名札を確認することなくいつもの習慣で自分のロッカー使用したため、名札の付け替えには気づかなかった。
次に、いじめ側の行動。
名札を確認してロッカーを開ける。
しかし、中身はシオンの物ではない。何しろ、中身はずっと学院に通っている生徒の使い古された物ばかりだからな。
そうであるのにあの女生徒たちは、名札がシオン、イコール、シオンのロッカーとしか考えずにロッカーをめちゃくちゃにした。
このことから、あの二人はさほど賢くないとみられる。
もう少し賢ければ様子がおかしいことに気づき、且つ、隣が本当のシオンのロッカーと気づいてめでたくいじめを完遂できただろうに……。
綻びだらけの策だったが、習慣でロッカーを使用した女生徒と、観察眼の欠片もない二人の女生徒のおかげで面白イベントになった訳だ。
涙を流し続ける生贄となった少女に心の中で詫び、俺は二人の女生徒の後ろに控える女へ瞳を向ける。
背はやや高めで俺の頭半分くらい高い。金の髪から毛先は黒い赤へと変化していくグラデーションの髪色。
神秘さを感じさせるダークブルーの瞳。
その神秘さとはかけ離れた、妖艶さを纏う悪魔の如き美しさ。
行き交う人々が彼女を見れば、美の中に鳥肌を立たせ寒気を覚えるだろう。
彼女は俺の視線に気づき、とても柔らかい笑顔を見せた。
それは暖かくもあり、冷たくもあり、己の意識とは無関係に魅入ってしまいそうな笑顔。
明らかにそこらの女生徒とは違う、厳かな威風。
(あいつだな。あいつがシオンをいじめていた――)
皇国サーディア第五皇女にして魔法使い候補――ブランシュ=ブル=エターンドル。




