第二十八話 彼女は味方だから
――――寄宿舎二階・自室へ
ちょうど寄宿舎のど真ん中の部屋。以前もシオンはこの部屋を使用しており、学院を離れた後も手付かずでそのままだそうだ。
その部屋の扉は木製で飾り気などない。ただ、シオンの名が刻まれたクジラの形をしたネームプレートがぶら下がっているだけ。
なんでクジラなんだろうか。ここは海から離れた内陸部なのに……?
とりあえず、扉を開ける。
誰も室内に入っていなかったためだろうか、何とも息が詰まるような据えた空気が出迎えてくれた。
早々と窓を開けて風を通して、部屋前に置いてある校務員のおっちゃんたちが運んでくれた荷物を搬入→終了っと。
積もった埃たちを追い出し、寮に備え付けてある家具類に荷物類を納めて、ざっと室内を見回す。
あるのはベッド、クローゼット。窓傍に勉強机。
どれもこれもいかにも学生寮で使用するものといった簡素なもので、貴族様のイメージからは程遠い。
学院や寮の様子もそうだが、貴族や富豪が通うからといって内装を豪華に見せる気はないようだ。
ただし、部屋自体は広く、息苦しさなどは全くない。おまけにシャワー室とトイレは完備。
この手の寮は共用であることが多いが、これは大いに助かる。
風呂は大浴場で共同だそうだが、シャワー派の俺には関係ない。
西側に設置された窓に近づき外を見る。
日が傾き、空の色が茜色に染まり始めている。ってか、西日がガンガン入ってくるんですがこの部屋。そろそろ夏なのに……。
がくりとしながら顔を下に向けて外壁を見る。壁はつるりとしたものでとっかかりはなく侵入も脱出も困難。
だが、ここは二階で地面は土。脱出の際は壁に軽く体を擦って勢いを殺せば降りられないこともない。
視線を壁から風景へと移す。
蒼い瞳に映るのは、蔦で出来た胴長でアーチ状のトンネルがある庭。トンネルに絡まる蔦には白と黄色の花が咲いており、蝶がそばを舞っている。
(花かぁ。蜜に誘われた蜂たちが巣を作りそうで嫌だなぁ。おや?)
絡まる蔦の奥に鳥がいる。それは白の上に黒のブチ模様があるフクロウ。
そいつがこっちをじっと見ている。
(なんでフクロウがあんな所に? 巣でも作ってるのか? トンネルを通るときは糞に注意だな)
フクロウと見つめ合っていても仕方がないので、視線を外して窓傍の机に瞳を動かす。
机に使用感はなく小綺麗で、それには複数の引き出し。
その中の一つに、四桁の数字を組み合わせて開く南京錠が取り付けてあった。
この部屋は以前もシオンの部屋で手付かずのまま。
シオンが鍵を掛けっぱなしにして去ったのだろうか?
「シオンお嬢様、お洋服をクローゼットへ納めて、ベッドのシーツも新しいものに取り換えが終わりましたよ」
「あ、そうですの。ありがとうですわ」
「いえ、そんな。それよりもシオンお嬢様、どうされました? 机をじっと見ていたようですが?」
「……それはですね、汚れ一つない机を見て、机だけは新しいものと交換したのでしょうか? と思っただけですわ」
一瞬、この鍵のことをルーレンに尋ねようとしたが、シオンの部屋の一件がある。
シオンの自室にあった鍵で封じられた引き出し。
ルーレンはその引き出しの日記帳に手を加えようとした。そして、その痕跡を知った俺はルーレンへ疑いを向ける一因となった。
今回もこの封じられた引き出しに何かがあるかもしれないと思い、伏せて様子を見る。
彼女は机についてこう返す。
「それはないと思います。いずれシオン様が戻ってくるという予定でしたので、シオン様が離れて以降、誰も立ち入っていないはずです」
「そうですか……」
たしかに、この部屋の扉を開けた瞬間、長期間放置されていた空気を感じた。
質問を変えよう。
「出て行くときに、忘れ物の確認などはしたと思いますか?」
「その時にお付きをしていたメイドがしているはずです。それがどうかされましたか?」
「忘れ物の報告などは?」
「いえ、ありません。もし、ありましたらしっかりご報告してますし」
「それもそうですわね。ということは忘れ物もなく、この机は記憶を失う前のわたくしが大事に使っていたため、新品同様というわけですか」
「はい、以前のシオン様はとても物を大事にされる方でし――――申し訳ございません、何も今のシオンお嬢様が――」
「ふふ、別にいいですわよ……わたくしは粗雑ですし」
「――――っ!? で、ですから、そのようなつもりは――」
「と、ルーレンをからかうのはここまでにしまして」
「え?」
「繰り返しになりますが、忘れ物もなく、机は新品に見えるくらい大切に使っていただけですか?」
「はい、そういうことだと思います」
ここまでの話を反芻する。
最終確認は行っていたと思われる。忘れ物はなかった。報告すべきことはない。
では、この鍵で封じた引き出しはなんだ?
メイドが気づいていれば、シオンに報告しているはず。
考えられることは大まかに五点。
メイドの不手際。ルーレンが嘘をついている。本当に知らない。何者かが侵入してカギを掛けた。そして五点目は――
「フフ、しっかり屋さんでしたのね、以前のわたくしは。わたくしならメイドに確認してもらった後でも、ペンの一つでも忘れていそうで、もう一度部屋に戻って来てしまうかもしれませんわ」
「もう一度……あ、そう言えば、以前のシオン様が仰っていました。学院を離れる直前で忘れ物を思い出したそうです」
「忘れ物?」
「はい、窓際の見えにくいところに花を飾っていたそうで、それを引き取りに」
五点目――誰にも知られないように、シオン自身がカギを掛けた。
「あら、記憶を失う前のわたくしと後のわたくしでも似たような部分はあるようですわね」
「……そうですね」
「ルーレン、荷物は全部納め終えたのかしら?」
「はい」
「でしたら、今日はもう何もありませんわね。あら?」
――きんこ~ん、かんこ~ん――
終業ベルが鳴り響く。
あと、二・三十分もすれば、今日の授業を終えた生徒たちが寄宿舎へと戻ってくるだろう。
ルーレンは畏まった様子を見せて、頭を下げる。
「私はそろそろ寄宿舎傍にある控えの建物へと移ります。御用の際は部屋に備え付けてあります、伝声管五番に。学院の受け付けは一番となっています。その他の番号は、伝声管の横に記載されていますので」
「ええ、わかりましたわ。あ、最後に食事は?」
「通常であれば共同の食堂か購買部で購入し食事を取ります。ですが、今日は特別に私がご用意いたします」
「では、今すぐに食事の方を運んでください。簡素なもので構いませんから。できるだけ早くお願いしますわ。他の生徒方が戻ってくる前にね」
言葉に優しさを乗せて、そう伝える。
ドワーフのルーレンが寄宿舎内をうろついていたら、他の生徒が面倒な反応を示すことは想像に容易い。
旅の疲れもあるし、今日はもう面倒事はごめんだ。
その本音を優しさという偽りで包み渡すと、ルーレンは自分に対する気遣いと判断して、礼を述べた。
「感謝いたします。それでは食事をご用意してまいります。簡素ですがご満足戴けるものを」
彼女はそっと扉を閉じると、早足に部屋から離れて行った。
俺は彼女の気配が消えたところで、鍵付きの引き出しへ顔を向ける。
「おそらく、シオンが封じたと思われる鍵付きの引き出し……番号のヒントもどこかにありそうだが……たしか、去り際に窓際の見えない場所に置いていた花を回収したんだっけか?」
窓に近づき、窓枠や近くの外壁を調べる。
「窓枠に……お、4の数字。あとは……どこだろうな? 探すの面倒だな……よし、やめた。自分で開けよう」
このタイプの鍵は内部に凸の形をした突起部分があり、四桁の正解番号には凹みがある。しっかり合わせると、突起部分が凹みの隙間に合わさり開く代物だ。
俺の指はとても繊細で、僅かな振動や歪みを感じることができるため、その特技をもってすれば、正解と不正解の微妙な差を感じることができて、わざわざ正解の番号など探さなくとも開けられる。
指で鍵をつまみ、ダイヤルを回す。
違和感があるのは、2・4・8・7。
数字を合わせると鍵は何の抵抗もなく開いた。
「はい、楽勝。しっかしこの指、泥棒事でしか役に立たねぇな。さて、中身はなんだ?」
引き出しを開く。中には二つ折りの半紙が一枚。
手に取り、折を開く。
そこには、殴り書きでこう書かれてあった
――ルーレンは味方――
「………………なんともはや。どういうことだ、これは? まさか、ルーレンの自演? いや、それはないな」
俺は半紙に書かれた文字をなぞる……殴り書きだが、筆圧がシオンの日記帳の後半部分。激しい感情をぶちまけていた時の荒れた文字の筆圧と類似している。ルーレンの筆圧ではない。
半紙に書かれた文字をじっと見る。
「シオンは依頼相手がこの学院に訪れることを予測してメッセージを置いた? その相手が安易にルーレンに尋ねることなく、隠された番号を見つけることを予測して? さらに、復讐を託した相手が、現時点でルーレンを敵か味方かの判断に悩んでいることまで予測している? なんだこれは?」
疑問を一つずつやっつけよう。
学院へ訪れる予測――学院へ行けと命じたのはセルガ。
シオンは、セルガが自分を学院に戻すと予測していた?
もしくは……考えたくないが、セルガは俺がシオンではないと知っており、元のシオンと彼は、何らかの協力関係で何らかを為そうとしている?
ルーレンを伴い学院へ戻ってくる予測――最初は別のメイドだったのになぜ、次はルーレンと一緒に来ると予測できたんだ? ルーレンとセルガとシオンは通じているとか?
さらに鍵のことをルーレンに尋ねず、俺が番号を見つけることの予測――これは、この程度の判断と洞察力がない者には用はないと言ったところか……番号を探すのが面倒で自分で開けたけどな、フッ!
依頼を託した相手がルーレンの存在に疑念を抱いている――これもまた、託した相手の洞察力を信じて予測していた?
「駄目だ、わからん。ましてや、何らかの協力関係に何らかを為そうとしているって……なに言ってんだ俺は? それは、なんにもわからんってことじゃねぇか。まいったなぁ、こいつは……」
ここに来て俺はいまだ、シオンの復讐相手もわからず、ゼルフォビラ家に秘められた謎を何一つ解き明かしていない。
「あ~、二流にはつらいぜ。こんなにも頭を回さないといけない謎解きはよ。こんな短文じゃなくてしっかりとしたメッセージを残しとけよ、シオンのお嬢ちゃんよ」
視線を半紙の文字へ向ける。殴り書きの文字。時間がなく慌てて書いたとみられる。
「ルーレンの立ち位置を伝えるだけでやっとだったってことか? ルーレンには、この手紙の存在を知られたくないと見受けられるが……味方は味方でも、全幅の信頼は置けない。ということか? はぁ、結局疑ってかかるしかねぇな。手紙を信じる限り、味方である以上、いきなり命を奪いに来ることはないと見ていいか」
――コンコン
「シオンお嬢様、お食事をお持ちしました」
ノック音とルーレンの声。
半紙を握り潰し、懐へ納め、シオンを纏う。
「どうぞ、ルーレン」
許可を得たルーレンが銀のトレイに食事を載せて入ってきた。
ちょこちょこと歩いている彼女を見て、心に声を響かせる。
(もしかしたら、俺はピエロを演じているのかもな。手っ取り早いのはこいつに話を聞くことだが……こいつに殺意があれば、今の俺では殺されてしまう。問える条件が整うまでは我慢だな)




