第二十六話 小さなお節介は……
「サイドレッド様、大変心苦しいのですが、事務の方を待たせているのでそろそろ失礼させて戴きますわ」
「復学の手続きかな?」
「はい。担当の方がいらっしゃるまで学院を見学していたのですが、その担当の方もそろそろ戻っている頃合いでしょうから」
「そっか、ゆっくり話をしたかったけど、私の方もそうはいかないし。それじゃ、また時間があるときに」
「ええ、是非とも」
「そうだ、忘れているだろうから良いことを教えてあげるよ。ここの学食のクリームプリンは下手な菓子店よりも美味しいからお勧めだよ。私も大好物で良く食べているんだ」
「そうなのですか?」
「ああ、人気商品でよく品切れしていてなかなか手に入らないみたいだけど……私は特権を生かしてね」
彼は笑みを漏らしながら片目をパチリと閉じてウインクを飛ばす。
イラっとするが、思ったより茶目っ気のある男なのかもしれない。
サイドレッドは何かを思い出したかのように、軽くポンっと手を打つ。
「あ、そういえば、良いお店があったな。もし、学食のプリンがなかなか手に入らないようだったら、最近できたお店のプリンをお勧めするよ」
「最近できたお店ですか?」
「ああ、万屋いなば五号店と言うんだけど」
まさかのイナバのお店。しかも五号店。
イナバは自分は旅人で、すぐに離れるというようなことを言っていた覚えがあるが、その言葉とは真逆に随分と腰を据えて手広く商売をしているみたいだ。
しかし、そのイナバの店は庶民の店のはず。それなのに、皇族であるサイドレッドは利用しているのか?
ルーレンに対する態度と言い、女性に優しいだけではなく自由奔放な奴なのか?
その彼は懐から紙と鉛筆を取り出して、イナバのお店の地図を書こうとするのだが……。
「お店までの地図を書いて渡しておくよ……おっと、この鉛筆じゃ書けないな」
鉛筆の芯が丸みを帯びている。それでも地図を書こうと思えば書けるだろうが、あれではふっとい線になって見にくくなってしまう。
鉛筆を懐へ戻し、代わりに万年筆を取り出す。
それはガラスの万年筆。
随分と洒落た一品をお持ちだが、価値から言えばライラから貰った万年筆の方が上だろう。
つまり、皇族よりもゼルフォビラ家の幼い三女の方が大きな贅沢を行えるということ。
皇族よりも金持ちの貴族か……関係の距離によってはおどろおどろしいものになっていそうだな。
と、俺が考えを巡らせている間に、サイドレッドはガラスの万年筆でさらさらっと地図を書き終えて、それを俺に渡してきた。
その彼へ笑顔を返す。
「ふふふ、これはご丁寧に感謝いたしますわ。機会がありましたら尋ねてみるとしますわ。それにしても、皇族の方とあって身構えてしまいましたが、サイドレッド様は親しみやすい方ですわね。失礼な物言いかもしれませんが」
この言葉に、サイドレッドは怪訝な顔を見せる。
「ふむ……」
「あら、どうされましたの? やはり、失礼でしたでしょうか?」
「あ、いや、ごめん。そうじゃないよ。ただ、本当に変わったなぁと思って」
「フフ、それは悪い方にですか?」
「そんなことはないよ。雰囲気や口調は変わって驚いたけど、こうやってたくさん話せて楽しいからね」
「あら、それだと以前のわたくしはつまらなかったのかしら?」
「あはは、以前の君も魅力的だったよ。うん、どちらの君も本当に魅力的だ。そういった意味では変わらないね」
こいつ、こちらの嫌味をあっさり躱しやがった。言葉を詰まらせるかと思ったのに。
俺は愛想笑いを浮かべて、固まって微動だにしないルーレンへ呼びかける。
「ルーレン? ルーレン、ルーレン?」
「あ、っと、その……」
「はぁ、仕方ありませんわね」
ルーレンの背後に回り~、両手の人差し指を立てて~、脇腹をちょんとつつく。
「えい!」
「ひゃう!? な、な、な、何をするんですか、シオンお嬢様!?」
「ようやく、固さが取れましたわね。事務所へ戻りますよ。さぁ、サイドレッド様へご挨拶を」
「へ、はい! あ、あの、し、しつれい――」
「えい!」
「ひゃう! もう、やめてくださいよ、シオンお嬢様! サイドレッド様の御前ですよ!!」
「ほら、普通に話せるじゃありませんか? はい、ご挨拶を。緊張したらまたつつきますわよ」
「そ、そんなぁ……」
ルーレンは情けない声を出すも、俺の突き立てた人差し指を見て観念し、数度の深呼吸を行うとサイドレッドに向き直った。
「すーはー、すーはー……サイドレッド様、失礼させていただきます」
「クスッ、ああ、またね」
俺は最後にスカートの端を持ち上げて軽い会釈を見せてから、ルーレンを連れてこの場から離れる。
皇族の第三子サイドレッド=ベロボグ=エターンドル――現時点でのこいつの立ち位置は、姉フィアの婚約者。
だが、その後、その立ち位置は大きく変わっていくことになる。
――――サイドレッド=ベロボグ=エターンドル
シオンとルーレンの背中を見送るサイドレッド。
彼は二人を琥珀色の瞳に映しながら、心の中で言葉を広げる。
(記憶喪失……まるで別人を相手にしているみたいだった。以前のシオンの方が……いや、今のシオンの方がもっと近づきやすい。うん、そうすれば以前のシオンよりも深く近い仲になれるな、ふふ)




