第十九話 籠の中の鳥
――――二日後
昨日のうちに魔法使いスファレは帰ったようだ。
あいつ、何をしに来たんだろう?
本当に見舞いに来ただけだったのか?
いや、そんなはずない。セルガは魔法に興味を示せと促し、スファレは去り際に謎めいた言葉を残していった。
この行為にどんな意味があるのか?
残念ながら、彼らが意図するものはわからない。
この屋敷と関係のある連中の行動や思惑は、まるで霧に隠されているかのようで全く見えない。
おかげさまで、殺し屋として二流でずぼらな俺でも多少は慎重になれるわけだが。
しかしだ、慎重になれても主導権が自分にないってのは非常にヤバい。そもそも、主導権を握っている奴が誰かもわからない。
そんなわけで、危険そうなので逃げるよう――と、行きつく先はここになる。
ま、今のところまだまだ死の気配を感じないので、シオンへの義理のために留まってやるが……。
さて、考えてもわからないことはいったん忘れて、朝食後、またもやセルガに呼び出しを喰らう。
ここ数日、妙に気に掛けられているがいったい何だろうか?
俺が俺ではなく、シオンそのものだった時代は無視されていたようだが、どうやら今の俺は彼の興味対象になってしまったみたいだ。
ここ最近は目立つようなことばかりをしているからな。もっとも、目立たないと発言権も得られないから、それは仕方ないが……ともかく、セルガの執務室へ。
――執務室
「学院に戻りなさい、シオン」
開口一番、とんでもないことを耳にぶつけられた。
部屋にはセルガだけではなく、小さな丸眼鏡をかけたグレイヘアの家庭教師イバンナも立っている。
彼女は呆然とする俺へこう言葉を渡す。
「記憶を失った当初はどうしたものかと思いましたが、この二か月ほどで学力はぐんぐんと伸びて、以前のあなたよりも上がったと言えます。今のあなたならば、名門フォートラム学院中等部でも十分通用すると太鼓判を押しますよ」
「がくいん……」
そう言えば、セルガは一週間ほど前にこんなことを言っていた
『家庭教師のイバンナから報告を聞いているが、学業は順調のようだな』
『ええ、記憶喪失以来、色々と忘れていましたが、少しずつ覚え直すことができてなんとか……楽器は苦手ですが』
『ふむ、ならばそろそろか。あちらに動きがありそうだからな』
『はぁ、何のお話ですの?』
『それはイバンナと相談してから話すとしよう』
あの時の会話は、シオンを学院へ戻す算段だったのか!?
そういや、元々シオンは学院で寮生活をしていたのに、いじめに耐えられず戻って来たのだったっけ?<※第一幕・第八話>
で、今の俺の様子と成績を併せ見て、戻すことにしたのか? しかし、それにしては少し奇妙な……?
学院に戻したら数年は拘束されて、レースから遠ざかるんだぞ。
それなのにどうして、ザディラの会社見学などさせる? 魔法使いスファレと顔合わせをさせる?
このおっさんの行動原理がわからん……いや待て、思い返した会話に怪しげな一文が混じっていたな。
それは――『あちらに動きがありそうだからな』の一文。
動きとはなんだ? 学院で何かが起こるのか? それはなんだ?
疑問符が脳内をくるくる回るが、情報がなさ過ぎるため、これに頭を悩ませても意味がない。実際に行ってみて確かめるほかなさそうだ。
ただ問題は……そうなると、俺は十代のクソガキと混じってお勉強をしなきゃならないってことだ!
世の中には子どもに戻ってやり直したいという願望を持っている人間はごまんといるが、俺はその中には該当しない。
たしかにクソッたれな人生で学校すらまともに行けなかったが、いまさらやり直すなんて、面倒この上ない。
しかも、中身は四十のおっさん。おっさんが十代の若者を相手にするなんて、話が合わなすぎて苦痛以外なんでもないぞ!
もし、俺が望むとしたら、それは若い肉体を得て自由であることだ!
それなのに学校。名門だか何だか知らんが堅苦しそうな場所。おまけに精神年齢がクソガキ塗れの中等部……あれ、中等部? 俺、四十なのに……中等部程度の学業なら通じるって、情けない頭だな、おい!
「はあぁぁぁぁぁぁぁ~」
まったくもって感情を制御できずに、室内に風を巻き起こすほどの巨大なため息を吐き出す。
イバンナはその態度にご立腹の様子で、瞳を三角に釣り上げた。
「シオンさん! あなたは時折、令嬢らしからぬ態度を表しますね。不満があったとしても華麗に意志を見せなさい」
「華麗に見せても、不満は受け入れてもらえませんのよね?」
「当然です。これは決定事項ですから」
「はあぁぁぁぁぁ~」
またもや、ため息が吐き出た。
これにセルガが問い掛けてくる。
「それほどまでに嫌か?」
「ええ、まあ」
「何故だ?」
「それは……」
(ガキに混じって勉強なんかしたくないわい! とは言えないし、どう言い訳したものか? そういや、シオンはいじめを苦に戻って来たんだっけか? それを理由に――)
「同輩に粗暴な行為をされていたようだが、今のお前なら問題ないだろう」
先回りされてしまった……。
それどころか、追加で釘まで刺される。
「問題ないどころか、やり返すくらいしそうだがな。だが、相手が相手だ。慎重に事を運ぶように」
「相手が相手? 記憶を失う以前のわたくしを追い詰めた相手は誰なのですか?」
「皇族であり、次代の魔法使い候補であらせられるブランシュ=ブル=エターンドル様だ」
いじめ相手がまさかの皇族。しかも、魔法使い候補と来た。
皇族に魔法使い候補が誕生したと最近聞いたばかりだが、いじめ相手だったとは……。
相手は伯爵であるこちらよりも遥かに位は上であり、皇族の魔法使いという貴重に貴重を重ねた雲上人。
シオンは厄介な相手に目を付けられていたと見える。
下手な手出しなんかできない。のだが、セルガの言葉。
――慎重に事を運ぶように――
抵抗するなとは一言も言っていない。
こいつ、今の俺が皇族の魔法使い候補相手にどう立ち回るのか見物でもする気か?
なんにせよ、相手は皇族……手強いが、扱いようによっては面白い手駒にできる可能性もある。
あまりひどいいじめだったら、秘密裏にキュッと絞めるしかないが……。
どのみち、名門フォートラム学院へ行くことは決定事項のようなので、皇族と懇意になれるかもしれないと前向きに考えるしかない。
俺は諦めて日付を問う。
「かしこまりましたわ、お父様。それで、いつからでしょうか?」
「明日だ。以前とは違い、今回は身の回りの世話と護衛のためにルーレンを学院へ同行させる」
明日……会社見学といい、少しは余裕を持たせてくれ。
また、以前とは違いという言葉から、以前はルーレンとは別の従者を連れて、シオンは学院に通っていたようだが……今回の従者はルーレン。
ルーレン――あいつの腹の中は全く見えない。
弱弱しく従順に見せかけて、シオンのためにアズールを殺害する少女であり、シオンを殺害しようとした痕跡を見せる少女。
そんなのが今以上にずっと俺のそばにいるわけだ。
さらに、セルガは自分の息子を殺した相手だと知っているのに、そんな少女を同行させるという。
この意図はなんだ?
セルガがだんまりなのは謎のまま。
何か弱みを握られているか、世継ぎレースにどこまでも口出す気はないのか?
しかし、ルーレンが危険な存在だとわかっているはず。
それなのに娘の護衛につけるということは……以前も少し考えたが、彼は俺とルーレンが通じていて、アズールを殺害した仲間だと思っているのだろうか?
そうなると、世継ぎレースに口を出さない部分が補強されて、セルガが口出しをしてこない理由が強まるが……冤罪は良い気分じゃないな。
だが、今の俺は手足を自由に動かせる立場じゃない。
ゼルフォビラという籠の中でしか生きることを許されていない少女。
差し当たって、籠の中の鳥として生き残れるように頑張ろう。
俺はセルガの提案を飲むしか選択肢がなく、明日から学院へ向かうことになった。




