第十八話 貸し一つ
――――次の日・早朝・中庭
マギーと稽古。
それが終えた頃、黒のチェック柄が目立つ赤色のドレスを着たダリアが中庭へやってきた。
この数日で加減の方はすっかり良くなったらしく、アズールの死に嘆き、心を痛めていたはずの彼女の顔には血色が戻って来ている。
残されたライラのためにしっかりと食事を取り、睡眠も取っているようだ
彼女は釣り目の茶色の瞳で汗だくの俺を射止めると、緋色の長いウェーブ髪を左右へ振る。
「はぁ、妾の子とはいえゼルフォビラの娘ともあろう者が、なんという姿ですか?」
「あら、お母様。その調子ですと完全復活のようですわね」
「私の皮肉を快復の指標に使うのはおやめなさい! それよりも、何故このような騎士の真似事を?」
ダリアの問い――これは利用できると思い、さっそく話をでっち上げる。
「……守りたいからですわ」
「守りたい?」
俺は木刀を両手で強く握り締めて、それを見下ろす。
「わたくしは、ライラのように教養があるわけではありません。ですが、姉として何か力になりたいと願っているのです。それを模索していますと、わたくしには些少ながらも武の才能がありました。この才を生かせば、守ってあげられる。ライラも、お母様も……」
「シオン、あなたは……」
「たしかに、貴族の令嬢としては御見苦しいでしょう。それでも、これ以上家族を失うのは嫌なのです! 全てから守れるわけではありませんが、武術を養い、力をもって害を為そうとしている輩から家族を守れるようになりたいのです!!」
俺は青色の瞳を潤ませてダリアを見つめる。
アズールのことを絡ませて、失う悲しさと守る意思を見せてやった。
この姿に、彼女は言葉を虚ろに返す。
「そう、でしたの。そう、あなたも、あの事を気に病んで……」
ダリアは俯き、降ろした両手を重ねて、きゅっと握り締める。
アズールを想い、さらに自分とライラのことを想うシオンに対して、同じ苦しみを味わっているのだなと共感を抱いた様子。
アズールの事がなかったたら何を馬鹿なことをとでも返すだろうが、この程度で共感を得るなんてやっぱり心が弱ってんなぁ~、と俺は思った。
同時に、毎日のようにシオンをいじめ倒して鞭まで振るっていたくせに、そのことがすっかり抜け落ちている、支配者側の思考はこえ~なぁと思いました。
シオンの背中には鞭で打たれた傷痕が残ってんだぞ、こんにゃろ!
でもまぁ、自分勝手な奴の方が操作しやすくていいか。そいつが利になるものをぶら下げておけば動いてくれるし。
ダリアは軽く目頭を押さえて指を戻す。そして、多少だがいつもらしさを交えた言葉を残し去っていく。
「そういう思いがあるのでしたら、止めにくいですね。ですけど、やはりゼルフォビラ家の血を引く者としての意識は持つようにしなさい。シオン、あまり無理をしないように……」
これで朝に訓練していても、ダリアから何も言われることなくなった。
それに加え、表面上良好な関係を構築していける。
俺は手に持っていた木刀をマギーへ返そうとしたのだが……。
「マギー、これをお返し――」
「うううう、そんな思いがあったから、稽古をつけてくれてと言ってきたんすね! そうっすよね、辛いっすよね。うううう」
「マ、マギー? どうして涙を……?」
「俺も悔しんすよ。俺が傍にいたのにアズール様を……俺も学はないけど、せめて腕を磨いて、外敵からシオン様を守れるように頑張りますね!」
「あ、はい、頑張ってくださいまし」
この女、腕は立ち、思ったより頭も回りそうだが、中身は単純だな……。
――――稽古を終えて、自室へ向かう。
昨日、一昨日と来客や報告書などがあったため、午後までは休み。
午後からは家庭教師イバンナの授業。かったるい。
さて、休みの間まで何をしようか。
当座の目標は、この屋敷の乗っ取り。そういうわけで、未来のために情報収集及び家人との交流をすべきだろうが……寝よう。
報告書を作り上げた時の疲れが抜け切れてないので。
あくびを交えつつ廊下を歩く。
するとその途中で、ピンクの飴玉の包装紙みたいなツインテール髪をしているシニャと出くわした。
彼女は廊下の飾りとして置かれている花の入った花瓶の取っ手を掴んでいる。
「ど、ど、ど、ど、どうしよう~。接着剤で何となるかなぁ?」
怯えた口調を漏らし、取っ手を握ったまま花瓶から離す。
取っ手と花瓶は分離。
「いっそのこと、丸ごと別のものに変えて。たしか、倉庫に花瓶があったはずだし」
「みましたわよ~」
「ひっ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 拭いてたらなんかポロって! って、誰!?」
「わたくしですよ」
「シ、シオン様!? あわわわわ、あの、これはですね――」
「花瓶を割ってしまったようですわね」
「割ってません! 取っ手が取れただけですぅ~」
「同じことでしょう。それで、こうなった場合はどうするのですか?」
「それはメイド長に報告して、怒られて、最悪解雇かもです。解雇されなくても、お給金から天引きされるかもです」
「見たところけっこうお高そうな花瓶のようね。仕方ありません。わたくしが不注意で割ったことにしなさい」
「え!? でも!」
「構いません。その代わり、貸し一つです」
「貸し、ですか? ですが、どのようにお返しすれば?」
「急いてお返しは求めていませんわ。何か困ったことがあった時に、頼りにさせていただきます」
「それって、実質貸しでも何でもないのでは? 私じゃ、シオン様の困ったことの助けにならなそうですし」
「かもしれませんわね。ふふ、あなたのとっては気楽でいいでしょう」
「そうですが……でも、あとでダリア様からシオン様が責められたりしませんか?」
「そのような心配はしなくても結構ですわよ。ほら、早くメイド長へ報告を」
「は、はい、ありがとうございます」
シニャは取っ手の取れた花瓶を持って廊下をパタパタと走っていった……廊下を走っては駄目なのでは? あの調子からみて、シニャというメイドはかなり慌て者のようだ。
彼女の姿が消えたところで、心の中で声を立てる。
(メイドに良い印象を与えつつ、この報告を聞いたダリアが以前のように罰しに来るのかどうか。中庭の様子だと、苛烈な罰はしなさそうだが。現状の距離を計る、念のための試しってわけだ)
「さて、戻りますか」
俺は花瓶を失った孤独な台をちらりと見て笑い、二階にある自室へ戻るべく階段を目指して歩いて行った。
――――花瓶を持ったシニャ
彼女は途中でルーレンと出会う。
ルーレンは取っ手が取れた花瓶を見て、眉を折る。
「またですか?」
「またって言わないで!! しょうがないじゃない」
「たしかに、シニャさんだと仕方ないですね」
「冷たい……そうだ、シオン様が自分が割ったことにしていいって言ってくれたんだよ」
「シオンお嬢様が? シニャさんはそれを受け入れたんですか?」
「うん」
「駄目でしょう……」
「シオン様が言ったことだもん! だから、メイドとして従わないとねっ!」
「もう~」
「代わりに貸し一つって言われたけど。じゃ、私はメイド長に報告に行くから」
パタパタと走って立ち去ろうとするシニャ。
それに対して、廊下を走らないようにと声を上げようとしたルーレン。
しかし、シニャは途中で足を止めて、振り返る。
「貸し一つと言えば、ルーレン。覚えておいてね。私のおかげでマギーが助かったことを」
「――――っ! ええ、最悪な貸しができてしまいました」
「クスッ、敵対関係だからって踏み倒そうとしないでよ。じゃあね」
シニャは立ち去り、残されたルーレンは後悔の念を声として表に出す。
「マギーさんを助けたかった。そして助けられた。だけど、その代償は大きい。すでにセルガ様を心配できる立場ではございませんが……私のせいで、セルガ様の敗北がまた一歩、近づいてしまった」




