第十六話 魔法
――――港町ダルホルンの西側の岬
氷蝕の魔法使いスファレから魔法を見せてもらうということで場所を移動。
移動した理由は二点。
屋敷内での魔法の行使をセルガが禁じている事。禁じているのは保安上のためだそうだ。
二点目は、どうせ見せるなら派手な魔法の方が良いというスファレ自身の要望。
そういうわけで場所を移動となったのだが、セルガは仕事のため屋敷に残り、お付きメイドであるルーレンもまた同じ理由で屋敷に残る。
つまり、俺とスファレの二人っきり。
一応、貴族の令嬢である俺の護衛は? と思ったが、世界最強と言われる魔法使いが供ならば、護衛としては申し分ないという判断らしい。
また、出掛ける前にルーレンとスファレが会話を行っていたのが、少々様子が妙だった。
彼と会話をしているルーレンの礼儀作法に一切問題ないものの、どこか淡白で、内心は毛嫌いしているように見えた。
スファレの方も、それを理解しているような素振りを見せる。
ここで魔法使いとドワーフの関係を思い返す。
ドワーフは人間に負けて、奴隷となった。その時に、国家や他種族の大事小事に関わってはならないという禁忌を破った二人の魔法使いが人間に手を貸している。
結果、ドワーフの国家は滅亡。禁忌を破った二人のうち一人は他の魔法使いにより処刑された。
ルーレンにとって、魔法使いはドワーフを滅びへ追いやった象徴のようなもの。
だから、態度を硬化させているのだろうか。
もしくは、二人のうち処刑されなかった魔法使いがスファレとか?
それについて尋ねてみたが、ルーレンは違うと答えた。
となると、単純に魔法使いが嫌いなだけだろうか?
そう思ったが、彼女のスファレに対する態度を見ていると、スファレ個人を嫌っているようにも見える。
とりあえず、ここまでで感じ取った人間関係を頭に描く。
セルガは魔法使いスファレと旧知の仲。
だが、反目している面も見え隠れする。
スファレはシオンの実の母であるスティラの友人。それがどれほど深い仲だったかはわからない。
ルーレンはスファレ個人を嫌っており、スファレもそれを理解している。
セルガとスファレの腹の底は見えにくく、また危険な存在のため追求しにくい。
スティラは亡くなっているので追求しようがない。だが、第三者からどんな人物だったか尋ねることはできる。
ルーレンに関しては行動そのものに怪しさを感じるが、俺に忠誠を示している。
彼女にならある程度、物事を尋ねることができる。
折を見て、母スティラと魔法使いスファレの関係について尋ねてみるとしよう。
ともかく、今は魔法についてだ。
俺とスファレはここまで別々の馬車に乗車して移動。そして、西の岬に立つ。
岬の先は断崖絶壁。下は海で、ごつごつとした岩の表面が波間に浮かんでは消えている。
スファレは両手を腰に置いて遠くを見つめた。
「うん、船が一隻もない。ここは海流の流れが複雑であまり船が通らないんだよね。おかげさまで魔法を使うのにはうってつけの場所」
彼の背後に立つ俺は、黒の羽に包まれた扇子を広げ、それを口元に当てて尋ねる。
「派手な魔法を使いたいと仰っていましたが、一体どのような?」
「あはは、氷蝕という通り名の通り、僕は氷系の魔法が得意なんだ。だから、岬から見える海を凍らせてみようかと思ってね」
「岬から見える海をですか……?」
俺は岬から海を臨む。
岬のそばは浅瀬のため、太陽の光を受けてエメラルドグリーンの海が広がり、遠くは深い青色の海が広がる。
その上には船一つなく、水平線の先まで青が続く。
それを凍らせるというが、どこまで凍らせるつもりなのだろうか。
セルガに促されて魔法を見たいと言い出したが、実のところ、個人的にも興味がないわけではない。
その興味には子どもが抱くような好奇心もあったが、大きく頭を占拠していたのは、敵か味方かわからぬ存在の力がどれほどのものか、という興味。
スファレはあやふやな視線で海を見続ける俺へにやりとした不敵な笑みを見せて、右手を前へ伸ばし手の平を広げた。
そして一言、魔法らしき名を唱える。
「純然たる凋落」
バレーボールほどの真っ白な球体が彼の手の平から海原へと飛び出して、そいつが海の上で弾けた。
その瞬間――――目に見えた範囲の海が完全に凍りついてしまった。
青の瞳に映るのは、どこまでも白い棚氷が続く光景。
まるで、ここが北極か南極かと思わせる光景が突然現れたのだ。
スファレはこんな馬鹿げた力を産み出しながらも、いつもの飄々とした様子を崩していない。
俺は魔法という奇跡が生み出した光景を前に声が朧となる。辛うじてシオンの仮面を纏いつつ……。
「む、むちゃくちゃ……ですわね。ルーレンから話を聞いていましたけど、たしかに、町を一つ消滅させるだけの力をお持ちのようで」
「あはは、びっくりしてくれたかな? 今のはちょっと気合を入れたからね。普段はここまで大規模な魔法を唱えたりしないんだけど。おかげで、しばらく大きな魔法が唱えられないよ」
「見たところ、お疲れの様子には見せませんが?」
「疲れはないけど、大規模な魔法を唱えた後だと、魔法を産み出す素が枯渇するんだ」
「魔法の素? マナとかいうものですか?」
「まな? なにそれ?」
いかん、ついゲームや漫画などに出てくるワードを使用してしまった。彼の様子を見るかぎり、マナというものは存在しないようだ。
俺は一度話をずらそうと話題を変える。
「あの、どうして一人の人間がこれだけのエネルギーを行使することが可能なのでしょうか?」
「え? へ~、面白い問いをするね~」
彼は俺を舐めるような視線で見つめてくる。
今の質問、何か不味いことでもあったのだろうか?
俺は自身の記憶喪失設定を生かしつつ、謝罪を交えることにした。
「何か不快な思いをさせてしまったのでしたら申し訳ございません。なにぶん、記憶を失っているため、常識と非常識との線引きがあいまいな部分がありまして、時折、相手方を戸惑わせてしまうことがありますの」
「いやいや、不快なんて別に思わないよ。ただ、変わった質問だなって思っただけで。普通、魔法は奇跡の力として受け止めて、深く追求する人がいないからね。シオン様は学者肌なのかもね」
「そうでしたか。てっきり、あまりにも馬鹿げた質問してしまい、困らせてしまったのかと思いましたわ」
「そんなことないよ。それじゃ、質問の答えなんだけど、魔法を行使するためには、魔力と魔法の素が必要なんだ」
「魔力と魔法の素は別物なのですか?」
「そだよ。魔法の素は魔法の力を産み出す素。これには使用者自身の細胞が使われているんだ。まずは魔力を使い、その細胞の一部を純粋なエネルギーへ転化する」
「転化って……まさかと思いますが、質量をエネルギーへ変えているのですか?」
「ああ、そだよ」
まさかの質量とエネルギーの等価性かよ!
つまり、E=mc2。
エネルギーは、質量に光速の二乗を掛けたものに等しい。
と言われてもピンとこないだろうから、一言で言えば、僅かな質量でも膨大なエネルギーが秘められているということ。
よく例えられるのは、一円玉(1グラム)を全てエネルギーに変化させれば、90兆ジュールのエネルギーが得られるというもの。(1ジュールは0.24カロリー)
もし、一円玉を全てエネルギーに変化できれば、22万トンほどの水を0℃から100℃にまで沸騰させることができる。
ただし、その一円玉をエネルギーへ変換するためのエネルギーが膨大のため、単純にエネルギーは得られない。
地球だと、これらは核分裂や核融合といった方法で膨大なエネルギーを得ているがここでは違うようだ。
それを、スファレが説明する。
「魔力を使い、自分の細胞の一部をエネルギーに転化して、さらに転化されたエネルギーに魔力を注ぎ、方向性を決めるんだ。産まれたエネルギーに属性を与えて、火の魔法にしたり水の魔法にしたりってね」
こちらでは魔力という存在が媒体となり、質量をエネルギーに転化している。さらにその魔力は、転化したエネルギーに味付けもしているようだ。
1グラムで90兆ジュールものエネルギーを産み出す魔法。
広島型原爆で放出された熱量は54~63兆ジュールほど(諸説あり)。1グラムで原爆のエネルギーを超える。
魔力を使いどうやってエネルギーを産み出し、方向性を決めているかまではわからないが、これほどのエネルギーであれば海を凍らすことなど造作もないことだろう。
同時に、一人の人間がこれほどのエネルギーを産み出せる理由もわかった。
彼はこう説明を続ける
「全てのエネルギーを転化できてるわけじゃないから、実際は使用細胞量の割には威力が落ちるんだよね。それに、利用できる細胞の種類も限られているんだ。その細胞は魔法細胞って言われてて、それが新たに作られるまで、魔法が使えなくなる。だから、しばらくは大きな魔法は使えないんだよ」
ここで、二つの疑問が浮かぶ。
「スファレさん、二つ、質問があるのですが、凍らせるという行為は対象物から熱エネルギーを奪うこと。それなのに、膨大なエネルギーを産み出して対象物を蒸発させるのではなく凍らせているとは、一体どういったことなのでしょうか?」
「ほんっとに面白い質問をするね、シオン様は。それはね、対象物から奪ったエネルギーを別の空間へ流すための魔法をだったからだよ」
「えっと、つまり、異空間だか亜空間だか知りませんが、それを開くために魔法を行使して、そこへ奪ったエネルギーを流し込んだと?」
「詳しく説明すると違うけど、大雑把だとそんな感じでいいかな」
相変わらずスファレは飄々と答えるが、俺は彼が行使した魔法の真の力にぞっとする。
(これだと対象物を凍らせる魔法じゃなくて、空間を操る魔法じゃねぇかよ! こいつ、想像以上にヤバい魔法使いなんじゃ? そしてそれに勝ったセルガも……バケモンばかりだな)
「あれ、シオン様。どうしたの? 急に黙って?」
「い、いえ、なんでもありません。そうそう、もう一つの疑問ですが、エルフと呼ばれる者たちも魔法を使用していたそうですね。それは同じものなのですか? 人間の使用する魔法よりも、威力は落ちると聞いていますが?」
「エルフかぁ、また懐かしい種族の名を持ち出すね。彼らと僕たちの使う魔法は全然別物だよ」
「どう違うんですか?」
「彼らは大気中に存在する魔力を体に取り込み、魔法を発現する。僕たち人間の魔法使いは大気中の魔力を使用して、細胞をエネルギーに転化して使用する」
「魔力だけですと、あまり高威力の魔法が使えないわけですか?」
「まぁね。それでも、数が揃えば一国を落とせるくらいの脅威なるけど。もっとも、僕たち人間の魔法使いはそれを単独でやれるんだけどね」
と、ウインクをして彼は話を締めた。
ここまでの説明を受けて感じたことは、まさに核兵器。いや、空間を扱えるならそれ以上か。
こんなのを、野放しにしてよいはずがない。
しかしながら、彼らを鎖に繋ぐなど不可能。彼らの倫理に期待するほかない。
「正直、驚きすぎて何と言って良いのかさえわかりませんわ。さすがは世界一の存在と言われるだけはありますわね」
「あはは、上には上がいるんだけどね。魔女様とかね」
魔女――いつ現れるともわからない存在。現在は確認できていないが、魔法使いを超える魔法の使い手らしい。
その魔女について尋ねる。




