第十話 何気ない会話に包まれる真の意味
過去の不快な思い出と自分の心に宿る不可思議な感情が心から浮き出て、それが顔に表れてしまい、ルーレンがその様子に気づく。
「どうされました、シオンお嬢様? お加減がよろしくないようですが?」
「いえ、少々磯の香りに酔ってしまっただけですわ。それよりも、休憩も終わりのようですし、アンニュイさ――」
「アンニュイ工員長、そろそろ修繕の様子を案内していただきたいんですが?」
またもや、またもや、シヤクが俺の喋っている最中に言葉を横取りした。
貴族の言葉を遮るシヤクに工員長のアンニュイが眉を顰め、ルーレンはこめかみに張りつけた血管を二つに増やしている。
いつも通りこいつを放っておきたいが、今の俺はそういう気分じゃない――気分じゃないが、こいつを泳がせていたのには理由がある。
そして、その理由を今まで行使できなかったのは、シヤクの運の無さのため。
ともかく、今はまだぐっと堪え、アンニュイに彼を遠ざけるよう、言葉を柔らかな布に包んで渡す。
「アンニュイさん、わたくし、少々海風に当たりたいと思います。席を外していただけません?」
「はい、かしこまりました」
「あともう一つ、ドワーフ方の休憩時間を少々延ばしていただけませんか? ゲンテンさんに個人的に尋ねたいことがありますので」
「もちろんです。では、私たちは」
アンニュイは貴族の顔に泥を塗ったシヤクを俺から遠ざけろというメッセージに気づき、頭を下げながらシヤクを連れて離れて行く。
連れられたシヤクはよくわかっていないようだったが……。
ラテライもまた離れようとしたが、俺は別に構わないと伝える。
アンニュイとシヤクだけが消えたところで、ゲンテンを中心としたドワーフたちへ話しかける。
「実はわたくし、怪我が元で記憶を失ってまして、ドワーフ方について詳しくありませんの」
「そうだったのか? 大丈夫か、お嬢――」
「あんた!」
「っと、シオン様?」
「ええ、記憶以外は至って健康そのもの。お気遣いありがとうですわ。それはさておき、ルーレンの話だと、ドワーフは戦士の一族と聞き及んでいます」
「ああ、そうだぜ。俺のじっさまはドワーフには珍しい槍の名手でよ、人間相手に――っと」
「ふふ、お爺様は豪傑でしたのね。ほかの皆様のご先祖様方は、どうなのです?」
この問いかけに、ドワーフたちは戦士時代のドワーフを語り始める。
彼らの自慢話に俺は愛想よく相槌を打つ。すると、彼らは饒舌になり、舌先が羽毛のように軽くなっていく。
それを見計らい、これもまた柔らかな布で言葉を包み彼らに渡す。
「まぁ、ドワーフという方々はそれほどまでにお強いんですね。もし、皆様が戦士として活躍すると、ダルホルンの兵士じゃ敵わないかもしれませんわね」
この言葉に内包される真の意味に気づいたゲンテンは、すぐに若いドワーフたちの声を止めようとした。
だが、すでに舌先は空舞う軽さのため、経験の薄い若いドワーフたちは致命的な一言を漏らしてしまう。
「そりゃ、人間の兵士なんかには負けないぜ」
「そうそう、俺たちがその気になりゃあな」
「でもま、セルガ様がいるから結局負けちゃうけど……」
「そうだなぁ。悔しいが、あの方の力は本物だもんな」
「まぁ、魔法使いでもあの方には敵わないんだしよ。ドワーフとか人間とかの次元じゃないぜ」
「「「たしかにな、あははは」」」
能天気に笑う若いドワーフたち。
ゲンテンは今すぐにも彼らを怒鳴り飛ばしたかったに違いない。
だが、俺の前でそれを行うべきか悩む仕草を見せた。
それは俺が気づいていないかもしれないという、一縷の望みに縋ってしまったからだ。
気づいていない――それは何に?
そう、若いドワーフたちは気づいていない。
俺の報告いかんによっては、これが反乱の疑惑ありと報告されてもおかしくないことを。
一縷の望みに賭けたゲンテンには悪いが、元々本音を聞き出すために気持ち良く語らせていただけだ。
俺はゲンテンにだけ聞こえる小さな声でそっと返す。
「お父様さえいなければ……と言ったところでしょうか」
「――――っ!!」
ゲンテンは何かを声に出そうとしたが、それは形にならず、ただ小さく手を前に出して俺を掴むような仕草を見せた。
それに対して俺は、彼が思いもよらぬ言葉を返してあげる。
「わたくしもそう思いますわ」
「え!?」
「ふふふ、では、そろそろお暇しましょうか。お仕事ぶりを拝見したいところですが、予定が押してますので」
ここからは皆に聞こえる会話だが、互いに腹を探りつつ、何気ない会話に含まれる政治を行う。
「安心してください。また、暇を見つけて会いに来ますので。お土産でも持って」
「いやいや、そいつはありがてえぇが、見ての通りなんで、シオン様が満足するようなお返しはできねぇですから」
「そんなことありませんわよ。満足しますわよ。わたくしは、フフフ」
これを紐解けば、ただこれだけの事。
――協力を願いたい。見返りは用意する。
――こちらは奴隷であり、期待に応えられる自信はない。
――その期待の内容はこちらで提示する。
具体的な内容や何かを詰めた話ではない。
これはひとまず、渡りをつけたと言った程度。
ゲンテンは指の先だけで頭をポリポリと掻く仕草を見せて笑い声を出しつつも、瞳には力を籠めた。
「がはは、実に興味深く、面白いお方だ。っと失礼でしたな」
「いえ、問題ありません。問題があるとすれば――」
後ろを振り返る。
離れて様子を見ていたアンニュイとシヤクがこちらへ戻って来ている。
不貞腐れた態度を取るシヤクを見るかぎり、アンニュイから説教を受けたと思われるが、それでも態度を改める気がなさそうなのはある意味大物だな……それも今日限りだが。
俺は戻って来た二人に声をかけて、今日の礼を述べた。
「申し訳ありません、わがままを聞いていただいて」
「いえいえ、そんな滅相もございません。シオン様はセルガ様の名代でございますから! そうでしょ、シヤク」
「ハイ……ま、そうですし」
「ふふふ、シヤクさん。今日は案内をありがとうございます」
「え? あ、ええ、そりゃ仕事ですからね」
「そうですね、お仕事ですもの。ですが、そのお仕事を全うできているかと言えば、全くできていませんね」
「……へ?」
ここから、俺はゆっくりと言葉に力を籠めていく。
「案内役の務めとは、ゲストを満足させること。そうだというのに、あなたはわたくしの言葉を遮り、不快にさせるばかり。とてもではありませんが、仕事を全うできたとは言えませんわ」
「え、いや、それは……」
「しかも、誰の言葉を遮ったのか全く理解しておりません。わたくしはゼルフォビラ家の次女シオン。あなたは庶民」
「あ、その……」
「それでも、わたくし個人の問題であれば、事を荒立てるつもりはありませんでした。ですが……あなたはセルガの名代である――この、シオン=ポリトス=ゼルフォビラの声を遮ったのですよ!! つまりは、領主セルガの声を遮ったのと同義!! この意味をおわかりなの!?」
「ひっ!!」
「セルガの名を預かっている以上、あなたの犯した不埒な真似を放免とするわけにはまいりません。ルーレン、不敬罪の量刑は?」
「最小刑は棒打ち五回。著しくは、縛り首です」
「そうですか。領主セルガの声を遮ったとすると、最大刑が適用されるでしょうね」
「ま、ま、ま、ま、待ってください!! いくら何でも無茶苦茶な!」
「その言葉、領主セルガの前でもお言いになれますか?」
「それは……」
「あなたはわたくしのことを、貴族であれど小娘と侮っていました。たしかにわたくしは若輩者。故に、あなたの気持ちへ配慮を示し、一度は伝えたはず。 わたくしの言葉はセルガの言葉。それを遮った意味を理解していますの? と」
「あ……」
「ですが、あなたは全く理解していなかった。残念ながら救いようがありません。それでも、不意に働き手を失えば、ご家族が苦労されるでしょう。遺族の方々には多少なりとも保証を致しましょう。ご家族は?」
「え、母さんが一人……って、待ってください。本気なんでしょうか!?」
「冗談で刑罰は伝えられませんわ」
「あ、あ、あ、あ、あ……か、かかかかか、勘弁して下さい!!」
シヤクは土下座をして、額を地に擦る。
「不快な思いをさせてしまったのは謝ります。ですが、決してシオン様を侮るような思いは一つも!」
「それはもういいのです、わたくしの気持ちなど。問題は、『セルガの名代である者』の言葉を遮った点。領主セルガを侮辱された以上、わたくしの裁量で無罪放免とはいかないのですよ」
「そこを、そこを、何卒何卒、ご慈悲をおおおおおおぉぃ!!」
事ここに至って、ようやく事の重大さに気付いたシヤクは額から血が滲み出るほどコンクリに頭をこすりつけて懇願を示す。
実は、強く咎めずにこいつを泳がせていたのはこのためだった。
ドワーフなり人間の従業員なりが俺を侮った場合、こいつを見せしめにして場を引き締めるつもりでいた。
しかし、幸いにも、庶民出のシオン十四歳の少女に対して不遜な態度を取る輩はなく、シヤクの出番はここまでなかった。
早々とそういう連中が出ていれば、これほど大事になる前に出番ができて罪を重ねることもなかったんだが……フフ、こいつにとっては不幸だったというわけだ。




