第七話 どこかの鍋
――――調理場
倉庫の最奥が調理場となっていた。
そこには大釜が五つも並んでいる。
ラテライの話によると、この倉庫で他の倉庫や、港で船の修理に当たっている男のドワーフたちの食事もまとめて作っているとか。
この倉庫が他の倉庫よりもでかいのは、そういった事情があったようだ。
調理場に訪れてまず、血生臭さが鼻につく。
山盛りになった生の臓物が金盥の中にあり、それが匂いの原因。
瞳を臓物から離して、さっと周りを観察する。
炊事に当たるのは女のドワーフ。数は十数人ほど。昼の材料は米に臓物に屑野菜。
大きな鍋に水を張り、お湯を沸かしているところを見ると、それらをまとめて煮るだけの料理と思われる。
俺はラテライに基本となる味付けを尋ねる。
「ラテライさん、普段はどんな味付けを? さすがにお湯で煮るだけではないんでしょう」
「豆を煮て潰して発酵させたストングストという調味料を使います。これです」
出されたのは甕に入った粘っこくて赤茶色っぽいもの。
俺は近くにあったスプーンを手に取る。
「失礼しますわ」
「え、シオン様!?」
ラテライが驚きの声を上げる。さらに、ルーレンやキルデ、シヤク。そして、炊事に当たっていたドワーフたちも驚くが、構うことなくストングストという調味料を味わう。
「ムニュムニュ……味噌っぽい? 合わせ味噌にゴマ味が混じったような……? 風味がちょっと弱い。でも、これならいけますわね」
「シ、シオンお嬢様!? 何をなさっているんですか?」
「何って? ドワーフの皆さんに安価で美味しい料理を振舞おうかと思いまして」
「……え?」
俺はルーレンが持ってきた麻袋から香辛料を取り出す。
「この廃棄予定の香辛料を使えば、臓物特有の生臭さが取れるはずですわ。臓物はタダ同然。香辛料は廃棄予定なのでタダ。いえ、むしろ廃棄代が掛からずお得と言えます。そこのあなた、この香辛料を金盥にある臓物に練り込みなさい。それで臭みは軽減できますから」
俺は近くにいたドワーフに指示をして、自分は青いドレスの腕をまくり、台の上に置いてあった長めの布巾を手に取って、そいつで青くて長い髪を一本にまとめる。
「さて、調理しましょうか」
「シオンお嬢様、お待ちください!」
「待ちませんわよ。お昼に間に合わなくなってしまいますわ」
「いえ、そういうことではなく、何故シオンお嬢様がこのような使用人のような真似を?」
「あら、料理を指導するわけですから使用人ではなく先生ですわよ。ルーレン、食事というのはとても大切なことです。美味しい食事を頂く頂かないでは、仕事へのやる気が大きく変わってきますからね」
「それはわかりますが……」
「ふふ、以前と比べて、わたくしは香辛料に詳しくなりましたから、味の方は期待してくださいね。ルーレンはわたくしが料理上手なのはご存じでしょう?」
「それはまあ、料理長さんを唸らせるくらいですから……ですが……」
「まぁまぁ、これには意味がありますから、今は黙って見ていてください。あ、前のようにレシピだけは取ってくださいね」
こうして、俺は炊事担当のドワーフへ指示を与えつつ、ルーレンにレシピを取らせて臓物料理を作り上げていく。
その途中、俺は包丁を使いリズミカルに野菜を刻みつつ、近くで米を炊いているラテライに尋ねる。
「ラテライさん、香辛料のお仕事に従事しているあなたは、これら別大陸からやってくる新香辛料の取り扱い方を学んでいませんの?」
「使うことがないでわかりません。ドワーフ族が使う香草類ならばわかりますが」
「それがあれば、あのような匂いの放つ料理を作ることもなかったでしょうね。ですが、ない以上、今後はこの香辛料を代用してください。どうせ捨てるものですから」
「はい……それにしても包丁の扱い方がお上手ですね。貴族の女性は料理を作らないものかと思っていました」
「わたくしは変わり者ですから。あ、そこのあなた、摩り下ろしたゴマはどこに……あ、そうですか。ふ~、量が多いと大変ですわね」
一時間ほどかけて、料理は完成。
料理名は――味噌もつ鍋。
大鍋にぐつぐつと煮込まれたスープからは甘辛な風味が漂い、匂いを嗅いだ者の空腹の胃袋をギューッと押さえつけて苛む。
俺は小皿に臓物と野菜を取り、それを口に運ぶ。
「もぐもぐ、まぁまぁですわね。やはり下処理が甘いので匂いは残りますが、それでも気にならない程度でしょう」
「シオンお嬢様ぁぁあぁ! な、なにをなさって!!」
「何って、味見ですわよ」
「ゼルフォビラ家のお嬢様ともあろう方がドワーフの、それも人間が不浄としている臓物を口にするなんて!!」
「落ち着きなさい、ルーレン。はい!」
大口を開けて叫ぶルーレンへもつ鍋をよそったスプーンを突っ込む。
「あっつ、はふはふはふ……え、美味しい」
「でしょう! いい、ルーレン。美味しいものに貴賎はないのですわよ。ほかの皆様も味見をしてみてください」
そう促すと、ラテライを筆頭にドワーフたちは小皿にもつ鍋を取り、口へと運んでいく。
「はふはふ――っ!? え、なんだい、これ? 野菜と肉とストングストの味が重なり合い、旨味を何層にも重ねてる」
「香辛料だ。大陸の香辛料が臓物の匂いを消して、旨味だけを引き出しているんだ」
「もぐもぐもぐ、これ凄い。もしかしたら、私たちが作るドワーフ料理も美味しいんじゃ……どうして、貴族の方がこれほどの?」
女ドワーフたちは驚きを交えて、一斉に俺を見ている。
それに微笑みを返して答える。
「ふふふ、貴族だからこそですわよ。こう言ってはなんですが、毎日一流の食事をしていますから、わたくしの舌も一流なんですのよ。ですので、香辛料を把握さえすれば、一流の味を再現できますの」
ぼそりとルーレンがツッコむ。
「いえ、普通は作れませんよ。これはシオンお嬢様が特別なんですって」
「聞こえましたわよ、ルーレン」
「あ、申し訳ございません。ですが、この方法でしたら、今後も皆さんに美味しい食事を提供できますね――はっ、そのためにシオンお嬢様は?」
「そういうことです。廃棄処分費用を軽減しつつ、ドワーフの皆さんが満足できる食事を産み出せるなら悪くない話でしょう。あの、ラテライさん。味付けは少々濃いめにしてみましたけど、大丈夫でしょうか?」
「もちろんです! まさか、あの材料でこのような料理をお作りになるとは……」
「今のレシピはルーレンに取らせています。これを基に自由にアレンジしてドワーフ好みへと改良してください」
「あ、ありがとうございます!」
「あとで、他にも使えそうなレシピも届けさせます。これで毎日の食事に楽しみが生まれるでしょうか? 特に子どもたちにはね」
俺は作業を行っている子どもたちがいる倉庫へ微笑みを生みつつ顔を向けた。
それを見たラテライが、僅かに声を詰まらせる。
「シオン様……」
「育ち盛りですもの。たくさん食べてもらわないと。ですから、子どもにも食べやすく、もう少し食事の改善をしたいところですわね」
いかにも幼子を思う優し気な女性を演出して、キルデとシヤクへ顔を向ける。
「お二人は食べませんの?」
「え……いや、さすがに……その……」
「冗談じゃない。臓物なんて人間の食べ物じゃないんですし」
「あらあら、シヤクさん。もつ鍋を馬鹿にするなんて福岡県民にくらされますわよ」
※くらされる=九州の方言で殴るという意味。
「はい? フクオカケンミン?」
「まぁ、福岡の鍋ならどちらかというとわたくしは水炊き派ですが」
「はい?」
彼にとってよくわからないだろう話はさておき、シヤクとキルデは拒否反応を示して口にしようとしない。
いくら美味しそうな匂いを感じて、見た目が美味しそうでも、人間にとって臓物は食べ慣れないもの。
日本人に置き換えるなら、いくら虫食が美味しいと薦められても口にはしにくいといった感じだろう。
裏を返せば、ドワーフたちは人間がゴミとしている美味しいものを安価で味わえるということにもなる。
廃棄予定の香辛料を加工食品にと考えていたが、今後の彼らの食事のために、その話は無しにしておいた方が良いか。
さて、料理を改善したところで本題に戻ろう。
それはドワーフの待遇。
俺はここでようやくセルガの名代として権限を行使する。
顔から笑みを消して、凍えるのような冷たさを纏う仮面をつけて……。
「工員長キルデ、ここにセルガの名代としてシオン=ポリトス=ゼルフォビラがドワーフの待遇改善を命じます」
「え、ドワーフの……?」
「疑問を纏う前に返事をなさい」
「はい、申し訳ございません!」
「今後は月替わり朝晩の二交代制。労働時間は8時間。午前6時から午後14時までと、午後14時から午後22時に分けます。朝晩の担当は月で交代。休憩時間は一時間。休みに祝日を追加。食事には廃棄予定の香辛料の使用の許可を。さらに、暴力を振るうことを禁じます」
「で、ですが、そんなに労働時間を削っては、以前のようなノルマは果たせません」
「これでも十分に果たせます」
「な、何故そう言えるのですか? 二交代制で労働力はほぼ半減で、さらに祝日まで休みにすれば、年間の労働時間は今までの半分以下ですよ!」
「疲れに鞭を打って無理矢理働かせても、労働効率は下がるばかりです。それよりも、万全な体調で仕事をしてもらう方がよほど効率が上がります。また、無用に死者を出さないため」
「相手はドワーフ。たとえ死んでも――」
「あなたに命の貴賎を解いても無意味でしょうから、あえて数字で語りましょう。新たにドワーフを雇用するのに、どれほどのコストがかかりますか?」
「それは……しかし、それを併せ見ても……」
「経験は?」
「は?」
「たとえ袋詰めという単純作業であっても、経験に差は出るものです。それに選り分けには、それ相応の経験を積む必要があります。新人がベテラン並みに働けるようになるのに、どれほどの期間を要します? 数か月はかかるのでは?」
「それは、まぁ……」
「中にはラテライのように、まとめ役として育つ者もいます。彼女のような人材を育成するのに何年必要ですか? キルデ、あなたは簡単に変えろといいますが、それに置けるロスはどれほどのものかおわかりで?」
「そ、それはわかりかねます」
「そうですか。もし、反論がおありなら、わたくしの指示とロスの差を計算して持ってきなさい。もっとも、わたくしの指示の効果が出るのは、早くても一か月後以降ですが。その時には、あなたも納得してくれていると信じています」
俺はテーブルの上にある使用済みの小皿をまとめる振りをしてラテライに近づく。
そして、耳打ちするように話しかけた。
「朝の仕事始めは一時間早くなってしまいますが、それでも全体の労働時間は減っています。また休憩時間も伸びて、食事も今後は期待できますわよ」
「ありがとうございます。ですが、どうしてゼルフォビラ家の方が私たちドワーフに慈悲を?」
「慈悲ではありません。この方が効率が上がると思ったからです。むしろ、あなた方を効率よく扱き使おうとしている極悪人ですよ、フフフ」
「えっと……その……」
「ただし、この方法で結果を出なければ再び死者が生まれる労働へと戻ってしまいます。そうならぬよう、ほどほどに頑張って欲しいですわね。それに頑張れば……子どもたちが遊ぶ時間を作ることも可能だと思っています」
「シオン様……」
「結果さえ出せば、待遇はより一層改善することをこのシオン=ポリトス=ゼルフォビラが約束しますわ。幼子を過酷な労働から解放できるくらいにはね」
そう言って、俺は片目をパチリと閉じた。
これにラテライは瞳を潤めて、小さく会釈をした。
ま、日本の労働環境と比べれば、まだまだブラックなのだが、元々が死んで当たり前の過酷な環境だったため、この程度の改善でラテライを含むドワーフたちは俺に大きく感謝するだろう。
子ども好きなんてところをアピールしつつ、ドワーフの女たちの心は掴んだ、と。
少なくとも、俺のことが頼りになるというくらいには……。
さて、お次はドワーフの男どもだ。




