第三話 獲物は二匹
自室へ戻る途中、目の端に赤と黒が重なり合う洒落た髪色が見えた。
そちらへ瞳を動かすと、母ダリアの部屋の前に立つ妹のライラがいた。
彼女はいつものように、白のスカートに鼓笛隊が着ていそうな青と白の交わる派手な服を着用している。
見た感じ、アズールが殺害されて以降、ほとんど部屋から出て来ない母ダリアへ声をかけているようだが……。
「お母さま! お母さま! お母さま! お願いですから顔を見せて! 少しは外に出ないと!!」
ドンドン、ドンドンと、激しく何度も扉を叩くが母からの返事はない。
ライラは扉を叩いていた手を降ろして、立ち去ろうとした。
そこで俺と目が合った。
黒に近い濃い茶色で父親譲りの切れ長の瞳に俺の姿を収めた途端、如何にも不快そう表情を表す。
「なに?」
「いえ、何をしているのかと思いまして」
「見てわからないの? 相変わらず鈍いお姉さま」
「では、少しだけ理解に頭を回しましょう。わたくしは、アズールを思う母に嫉妬する妹の姿を見ていましたの」
「このっ――」
「ですが、お母様はアズールに御執心のようで、フフフ」
「――っ!!」
ライラは全身の毛を逆立てるかのような怒気を一瞬だけ見せたが、すぐにそれを鎮めてとても悲しげな声を漏らす。
「……そうかもね。お母さまは私なんかよりもアズールのことを気に掛けてたし。それでも、外に出ないと病気になっちゃう」
ライラは今にも泣き出しそうな顔を見せる。
兄アズールが殺害されたときは喜びを隠せない様子だったが、その真逆に母が臥せっていることには心を痛めている。
このことから、彼女がアズールを憎んでいたのは何もバカにされていただけではなく、母の愛情を奪われていた、という思いもあったようだ。
賢いおこちゃまで性格はクソガキでも所詮は十一歳。まだまだママンが恋しいわけか。
ライラに瞳を振り、観察する。
彼女は俺から視線を外して、母が引きこもる部屋の扉を見ている。
アズールの死後、母の心は弱り、その姿を見てライラの心も弱っている――これは素晴らしい機会だ。
屋敷内の動向が見えない以上、敵を増やすのは得策ではない。
せっかく目の前に弱った獲物が二匹もいる。この二人を取り込むチャンスを逃す手はない。
ついでにこいつの器量も図るとしよう。
もし、最低限の器量がなければ取り込む価値もない。
俺はサッとライラに近づき、足を引っかけてこけさせ、床に落ちる前に両手で支えた。
「え? な、なに!?」
「ライラ! どうしたの!? 誰か!? ライラが倒れていますわ!! 誰かいませんの!! ライラ! ライラ! ライラ! 目を開けなさい!!」
怒鳴り声のような大声でライラの名を呼び続ける。
すると、ダリアの部屋の扉が跳ね上がるように開いた。
「ど、どうしたのですか!?」
ライラは部屋から飛び出してきた母ダリアの姿に驚いている。
俺はそのライラへ目配せをする。
すると、意図をすぐに察した彼女は目を閉じて気を失った振りをした――くそ生意気なガキでもさすがは貴族の娘、察しが良い。これならば今後とも利用できそうだ。
俺はダリアに顔を向けて、でっち上げのライラの様子を伝える。
「お母様!? ライラがお母様の部屋の前に倒れていたんです!!」
「そんな! ライラ!!」
ダリアは緋色の長いウェーブ髪が激しく乱れるほど頭を振ると、俺を押しのけて、黒のチェック柄の目立つ赤いドレスに皺が寄ることも厭わず、床に膝をつき、ライラを両手で抱え込む。
そして、いつもは釣り目の瞳を僅かに下げて、茶色の瞳をライラへ寄せた。
「ライラ、ライラ、しっかりしなさい! あなたまで失ったら、私は……」
「お母様、すぐにマーシャル先生を呼んできます!!」
「ええ、お願い!!」
声を受けると同時に俺は廊下を駆け出す。ヒールなので走りにくいが、それでもだいぶ慣れたため、つんのめることなく走ることができる。
因みに、外へ出るときはダリアの言いつけを無視してかかとの浅い軍用の革靴を履いている。
廊下を走り、曲がったところで階段から駆け上がってきたルーレンと、猫顔でピンクの飴玉の包装みたいなツインテールを持つシニャというメイドとばったりと会った。
このシニャは、ザディラが犯行後に屋敷内を移動していた姿を目撃したメイドだ。
俺はルーレンに一階の医務室へライラを運ぶように指示して、俺とシニャは急患が来ることをマーシャルへ伝えに行く。
こうして俺は医務室へ向かい、シニャにバレぬよう、こっそりと白髪交じりで白髭で馬面をした、白衣姿の老医師マーシャルに事情を説明して、話を擦り合わせておく。
彼は困り顔を見せたが、それでも今後ダリアが外へ出るようになるならと不承不承ながらも引き受けてくれた。
――医務室
ルーレンとシニャには下がってもらい、医務室には俺とマーシャルとダリアとベッドの上で目を閉じているライラが残る。
ダリアはライラへ呼びかけ、次にマーシャルへ症状を尋ねる。
「ライラ、ライラ、ライラ……マーシャル、ライラは大丈夫なのですか!?」
「ええ、気を失っているだけのようです」
「そ、そう。でも、どうして?」
ここで俺が言葉を差し入れる。
「お母様を心配していたからでしょう」
「え?」
「廊下を歩いているとお母様の名を激しく呼ぶライラの声を聞きました。何事かと思い、部屋へ向かうと、ライラがお母様の部屋の前で倒れ込むところを見たのです」
「そ、そんな……」
「おそらくですが、感情の高ぶりが一時的に気を喪失させたのかと」
「そんな、そんな、私のせいで……ライラ、ごめんなさい」
ちらりと俺はマーシャルに視線を向ける。
彼は頭をぼりっと一掻きして、ダリアに声をかける。それに俺が続く。
「ライラ様もまたアズール様に心を痛めております。そして、アズール様に心を痛めるダリア様の姿にも心を痛めておられるのです」
「お母様、アズールのことで気に病まれていることは重々承知しておりますが、あえて言わせて頂きます。これではライラがあまりにも。ですから――」
「――そこまでで結構です……シオン、マーシャル。二人の言うとおりね。私が愚かでした。大切な人を失ったからといって、大切な人をないがしろにする理由になりません。ごめんなさい、ライラ。母である私の方がしっかりしないといけないというのに、あなたに心配をかけるなんて……」
ダリアは優しく優しく、ライラの赤と黒が重なり合う髪を撫でる。
十ほど撫でただろうか、そこでベッド横にあった丸椅子から立ち上がり、マーシャルに問い掛ける。
「本当に問題ないのですね?」
「ええ。ですが、心に負担が掛かれば、また起きるやもしれません。ですので、ダリア様。お辛いでしょうがあまり部屋に長居することなく、外へ出てお姿をライラ様に見せてあげてください」
「わかりました、これからはそうします。マーシャル、ライラのことはあなたからセルガに伝えておいて」
「はい、畏まりました」
ダリアは俺へ顔を向ける。
「シオン、手間を掛けました。感謝します」
「それは不要です、お母様。姉として、妹が倒れている姿を見れば当然のことですから」
「そう……それでも……感謝します」
彼女の感謝の言葉に俺は小さく会釈を返し、ベッド横の丸椅子に座ってライラの頭を撫でながら、ダリア、マーシャルには届かない小さな声を漏らす
「お母様は、しっかりあなたのことを大切にしていますわよ。良かったですわね、ライラ」
そう、話しかけると、ライラは瞳から一滴の涙を零した。
俺はその温かな涙を指先で救い上げて、こう心に声を広げる。
(ちょろ! こいつらには親子の情愛の路線で攻めていくか。アズールが死んでザディラは追放。二人の息子を一気に失ったダリアには効果的で、母に縋るライラにも効果的。これでこいつらが無用に敵に回らなくなるな。ククククク)




