第二話 シオンが勝ち得たもの
俺はセルガに呼び出されて、三階の南西に位置する彼の執務室へと通された。
小規模の集会程度が行えそうな広々とした室内には、執務机に来客用のソファ。酒が飾り立てられた棚。
豊かな領地を持つ領主の部屋の割には質素な印象だった。
俺は、彼の娘であるシオンとして執務机の前に立たされ、父であるセルガは机を挟んだ椅子に座り、俺を見上げるようにして少しだけ顔を上げた。
さて、彼は何の用事で俺を呼び出したのだろう?
今まさに口を開かんとしているセルガへ耳を傾ける。
「シオン、ザディラが経営していた会社を見学してきなさい」
「…………は?」
まったくもって予想だにしない、というか唐突というか意味不明な言葉に、俺は一言とはいえ素の自分で返事をしてしまった。
しかし、彼はこちらの態度を気にする様子もなく話を続ける。
「表向きはアズールが勝ち得たものだが、そのアズールが退場した以上、裏で工作を行っていたお前にザディラの資産を与えるのが妥当と考える。しかしながら、実績も功績もなく、また年齢的にも今すぐの譲渡は難しい。故に、ひとまずザディラの経営していた会社がどのようなものだったかを見ておけ」
相も変わらず彼は感情の端を一切見せぬ隙のない切れ長の黒の瞳を見せている。
息子の死を前に母ダリアは心を痛めて塞ぎ込んでいるというのに、父セルガは死を退場と言い換えて、痛みの切れ端すら見せない。ただ、いつものように怜悧と威風を瞳に宿す。
俺は彼の顔をじっと見る。
短めながらも風に流れるような真っ黒な黒髪の下にあるのは、まるで能面のような表情。そこから感情を抑え込んでいるのか、本当に何も感じていないのか察することはできない。
俺は小首を傾げて、話の中心をザディラの会社へ合わせる。
「譲渡? わたくしは今のところ、レースに参加するつもりはありませんが?」
レースとは後継者争いの事。
こちらの現状は、皇都の商工会に力を持つガラン男爵に顔は覚えられた程度で、何の後ろ盾もない小娘。
ザディラの会社を譲られても困る。
そう思ったのだが……。
「ザディラの会社は全て私の下にある」
この言葉はつまり、あくまでもセルガの息のかかる一企業を任せるにしかすぎず、後継者に認めたわけではないという意味。
それでも、無視されていた以前のシオンよりかは評価を得ているようだ。
「そうですか。期間はどれほど?」
「一日だ」
「それは短すぎます。ザディラ兄様の会社の経営規模を考えると一週間は頂かないと」
「ただし、私の名代としてその一日、全権限をお前に与える」
「え!? 何を仰っているのですか、お父様?」
「好きにしろ、と言っているのだが」
一日とはいえ、全権限を与えるということは、その日に俺が会社を潰すと言えば潰してしまうことが可能になるんだぞ。
このおっさんの意図が読めない。
しかし、続く言葉でその意図が明確になる。
「一日のため、見学する部署は限られるだろう。慎重に選びなさい。その時、不要だと思ったことを排除し、必要だと思ったことに対して権限を行使して改善するといい」
見学する部署の選択――セルガはこの選択で俺の才を見極めるつもりだ。
すぐに浮かぶ選択肢は三つ。
まずは株主との交流。
会社の見学にかこつけて、出資者と顔合わせをしておき、こちらの実力がザディラに違わぬものと見せつけておくと譲渡後の運営もスムーズに行く。
次に役員たちとの交流。企業運営に株主は欠かせないが、会社を上手く回すためには役員との距離を大切にしなければならない。
その彼らと交流を結んでおくこと。これが一番妥当と思える選択。
最後は現場で働いている者たちとの交流。
彼らを替えの利く歯車だと揶揄する者は多いが、実際のところそうではない。
彼らが蓄積した経験はかけがえのないもの。不意に替えの利くようなものではない。
トップが変わり、そのような者たちの心が離れぬように今のうちにシオンという存在を知ってもらう必要がある。
ただし、この場合、一日だけでは全ての部署に顔を出せないため、部署選びが重要となる。
さて、ここまで三つの選択肢を思い浮かべたが……ここは地球ではない、アルガルノという異世界だ。
つまり、地球にはいない労働者の存在が居る。
そいつらは……。
「奴隷は、ドワーフですか?」
「ん? ああ、そうだが」
「そうですか。では、ドワーフ方のお仕事を拝見させていただきたいですわね」
セルガはこの言葉に、珍しく眉を動かして表情を生んだ。
かなり意外な返しだったと見える。
だが、俺にとっては意外でも何でもない。
理由は以下の通り。
人間に支配されたドワーフは人間に恨みを抱いているはず。それはセルガ相手でも例外ではないと見ている。つまり、セルガに対して反抗の意思を持つ存在だということ。
今のところ、ゼルフォビラ家の乗っ取りと破滅を目標としている俺としては、ここで彼らと交流を持っておけば、後々大きな力になると見ている。
また、彼らの現状を考えると、俺に好印象を抱かせるには絶好の環境であるということ。
虚栄心の強いザディラの下で支配されていたドワーフの待遇は決して良くないだろう。それを僅かに改善するだけで、奴隷であるドワーフたちは、優しさを向ける俺に感謝する。
加え、過酷な環境下での労働のため、決して効率は良くないはず。
そのため、あらゆる部署で最も改善が行いやすい場所=手柄を出しやすい場所でもある。
さらに、誰もが奴隷として見下しているドワーフの存在――貴族連中は彼らを味方として勘定に入れていない。こいつを根こそぎ頂くきっかけとしては申し分ない。
眉を降ろし、表情を消したセルガはドワーフが働く部署を伝えてきた。
「女どもは工場で香辛料のより分け・裁断に勤め、さらに袋詰めを行っている。男どもは造船所に勤めている」
「香辛料はザディラお兄様の事業。ですから理解いたしますが……造船所とは?」
「貿易業の都合上、ザディラは船のメンテナンスを行う会社を持っている。そのためだ」
「そうでしたか。では、その二か所を回ってみます。時期は?」
「明日だ」
「明日……」
「余裕を持たせてやりたいが、なにぶん私も忙しくてな」
どうやらスケジュールはこちらの都合ではなく、全てセルガの都合で回っているようだ。
まぁ、当然と言えば当然か。
世継ぎレースに関しては一切関与をせずに引退したような態度を取っているが、会社の運営に関してはいまだ第一線にいる。
屋敷でお勉強やお作法に努める俺とでは、忙しさを比べるまでもない。
「かしこまりましたわ、お父様」
「お前の改善案を期待している」
「ご期待に添えるように努めますわ」
要は改善案の内容も俺を計る素材というわけだ……めんどい。
しかしながら、貴族の娘をやっている以上、こんな庶民には縁遠いくっそめんどーな話が今後も波のように押し寄せてくる。
俺はスカートの端を摘まんで、足を後ろに引いて、お嬢様っぽい挨拶を行う
これが作法として合ってるかまでは知らんが……セルガが咎めてこないから大丈夫だろう。
そして、立ち去ろうとしたのだが、彼が声をかけてくる。
「家庭教師のイバンナから報告を聞いているが、学業は順調のようだな」
「ええ、記憶喪失以来、色々と忘れていましたが、少しずつ覚え直すことができてなんとか……楽器は苦手ですが」
「ふむ、ならばそろそろか。あちらに動きがありそうだからな」
「はぁ、何のお話ですの?」
「それはイバンナと相談してから話すとしよう」
「……わかりましたわ」
「それと別件になるが、四日後、客が来る」
「客?」
「記憶を失う前のお前は何度か会っているが、今のお前にはないため、改めて彼を紹介しよう」
「そのお客様はどういった方で?」
「そうだな。一言で言えば、魔法使いだ」
魔法使い――行方がわからない魔女や悪魔を除けば、世界最強の存在。その力は一つの町を消し飛ばす核兵器級。できれば関わり合いになりたくないと思っていたが、そいつがこの屋敷にやってくるそうだ。
しかもそいつは、元のシオンと何度か会っていると……どんな関係だったんだろうか。
それについて問い掛けようとしたところで、セルガは執務室から出て行くように俺を促した。
「時間だ。これから私は会合に出席しなければならない。イバンナには明日の授業は休むよう通してある。会社の方には話を通しておく。ドワーフが勤める場所に関しては、あとでルーレンに地図を渡しておく。明日は何も気にせず、会社を見学してきなさい」
「はい、かしこまりましたわ」
「報告書を二日以内に提出するように」
「二日、それはいくら何でも……」
「私はできると期待しているぞ」
「――っ! かしこまりましたわ……」
(このブラック領主め)
「それとだ……………………」
セルガは異様に長く言葉を溜める……『時間だ』、の言葉はどこに行ったんだ? 忙しいのでは?
と、思いつつ彼を観察するが、何やら言葉選びに苦しんでいる様子。
彼は小さなため息を漏らして、こちらへ顔を向ける。
「答えは、自分で見つけることしかできない。そして、お前だけだ。では、部屋に戻れ」
そう言って、セルガは俺を執務室から追い出した。
最後の言葉……『答えは、自分で見つけることしかできない。そして、お前だけだ』
何だったのだろうか? 会社見学や改善案に対するヒントは出せないから自分で考えろということか? いや、それだと、あれほど言葉選びに悩む必要性ない。
それに、『そして、お前だけだ』にはつながらない。
彼は何かしらを伝えようとして、この言葉が精一杯だったと見える。
その何かしらがなんであるのかはさっぱりだ……この言葉、会社と何の関係もないとしたら、こう組み替えられる。
――何かしらの問題が発生しているが、それを教えることはできない。そして、解決できるのはお前だけだ――
これはかなりごり押しの解釈だが……もし、そうだとすると、この屋敷、やはり何かあると見える。
「はぁ、面倒。本当に面倒。何が起こっているかわからない。セルガが言えない理由もわからない。それなのに何とかしろ? 何がどうなってんだ、こりゃ?」
俺はうんうんと数度頷き、謎なんか放っておいてさっさと逃げる方策を考えないとな、と心の中で呟いて自室に戻ることにした。




