第四十二話 唐突に幕は下りる
中庭に集まる名士たち。
彼らは立食パーティを楽しみながら歓談を交える。
その話題の中心はセルガから後継の一人と認められたアズール=イディラ=ゼルフォビラ。
幼いながらも才気に満ち溢れ、政治家としての才を持つ長男のルガリーと、軍人としての才を持つ三男トリューズに並ぶとも超えるとも言われている少年。
ここに集った名士たちはパーティの名を借りてアズールという存在を見極め、今後彼との付き合い方を考えていこうとする者たち。
アズールも今回の挨拶がただの挨拶ではなく、自分に対する品評であることを理解している。
これは、世継ぎレースの今後を占う大事な舞台。
凡人ならば心が緊張という名の鎖に縛られ、本来の自分を発揮できなくなってしまうだろう。
だが、彼は違う。
いつものように落ち着きを払い、いつものように愛飲しているお茶を嗜む。
会場から隔絶された幕舎で、アズールはお付きメイドのマギーにお茶を手渡される。
渡したマギーはしかめっ面。
それはメニセルというお茶が何とも言い難い香りを放っていたからだ。
彼女は鼻を摘まみながらアズールに問い掛ける。
「壇上に立つ前にそんな臭いお茶飲んで大丈夫なんすか? 皆さん、回れ右をして帰っちゃいますよ」
「はぁ、相変わらず口と態度が悪いな。まぁ、お前に言っても無駄なのはわかってるけど。僕としてもこのお茶の匂いが特殊なのは理解している。だからこそ、会場から離れたこの場所に幕舎を建てて準備をしているんだからね」
「でも、匂いが服に移りますよ」
「香水で誤魔化すさ」
「匂いが混ざり合って逆にすごいことになりそうな……」
「本当に減らず口ばかりだな、お前は」
そう言って、彼はお茶を口に運んだ。
「こくん……ん、いつもと味が違う?」
「え? いつもと同じ感じで用意したんすが、変だったですか?」
「いや、逆だよ! いつもよりも断然美味い! メニセルの持つ苦みとも甘味ともつかないスパポロンとした味がより際立っている」
「どんな味がさっぱりですね」
「もしかしたら、これが本物のメニセルのお茶の味? フフ、マギー。どうやら階段を一つ上がったようだね。メニセルのお茶の淹れ方をマスターしたようだ」
「それ、階段上がってるんですかね? そもそもどこに繋がっている階段なんすか、それ?」
「まったく、せっかくこの僕が褒めてやっているというのにお前という奴は……ま、今回はこのお茶に免じて小言は無しにするよ。おかげで舞台に臨む気力が漲ってきた」
「そっすか。アズール様が喜んでるなら別に良いんすけど。それじゃ、そろそろ」
「ああ、行ってくる。ふふ、待ち遠しかったよ。ついにルガリー兄さんとトリューズ兄さんと対等な舞台へ上がれる。先行している二人へ一気に追いつき、追い越し、そして、この僕がゼノフォビラ一族の主となるんだ!!」
彼は空になったティーカップをマギーへ戻し、香水を軽く振ってから幕舎から出て会場へ向かった。
――舞台会場
中庭の南側には木造の舞台が用意され、緋色の絨毯と緋色の幕を使った上品な装飾が施されていた。
アズールを除くゼノフォビラ家の一同は舞台に立つ。
舞台下ではダルホルンの名士たちが衆目をこちらへ集めている。
俺は舞台の左端に立ち、すぐ隣に立っているきつめの香水を身に纏ったザディラへ視線を振る。
今日という日は彼にとって、忘れ得ぬ屈辱の日となるだろう。
なにせ、十以上も年の離れた弟に主役を奪われてしまったのだ。
本来ならここに立つことさえしたくなかったはず。
しかし、父セルガはゼルフォビラの一員として彼に逃げの選択肢を与えず、汚辱と嘲笑を浴びる場に立つよう命じた。
彼の胸中は如何ようなものか?
焦燥と屈辱と怒りに満ち溢れているのか? それとも諦観が満たし惚けているのか?
どちらであれ、のちに俺が彼に機会を与え、そしてこいつが勝ち取ったものをすべて奪うつもりだが……。
俺の青黒い瞳に映るは、敗者ザディラ=スガリ=ゼルフォビラ。
彼の表情は……うっすらと笑っている?
(なんだこいつ? この状況で何故笑う? まさか、壊れたんじゃないだろうな)
程よく傷ついて、心が弱っているところにするりと潜り込み、彼を意のままに操りたいと考えているが、操る相手が壊れてしまってはさすがに使い物にならない。
(おいおいおい、この程度で壊れるなよな。アホだけど仮にも支配階級の人間だろ。心臓に毛を生やしているような厚顔無恥な連中の一人だろうが)
殺し屋という仕事をやっていた俺は支配階級に座る連中と何度が交わることがあった。
彼らのほとんどが誇り高く、傲慢で、過ちを犯しても人前では認めることなく、他者からの非難など全く意に介さない人外たち。
それでいて、下々を見下すことなく隙が無い。
後者はザディラに当てはまらないがそれでも彼は庶民よりもタフ……だと思っていたが?
(はぁ、思ったよりも神経がか細いのか? こりゃ、早めに希望ってのを与えてやんねぇとな)
そんなことを考えている間に進行役のおっさんの簡素な話が終わり、今回の主役の名が呼ばれる。
「では、今日の会合の主宰でいらっしゃる、アズール=イディア=ゼルフォビラ様のご挨拶を!」
わーという歓声とともにパチパチと拍手が広がる。
舞台袖からアズールが現れ、彼は舞台下でこちらを見上げている名士たちへ軽く手を振り、舞台の中心に立った。
彼は当たり障りのない挨拶から始め、今後のダルホルンの展望を語る。
中身は港町の特性を生かした貿易という大して中身のない話だったが、それに対して大きな拍手を起こした者がいた。
そいつはセルガと話し込んでいたどんぐり体系の恰幅の良いおっちゃん。
彼が拍手をしたことで会場がどよめく。
そして、口々に彼の名を呼び始めた。
「信じられん。ガラン男爵が率先して拍手を!」
「つまり、彼がアズール様の後ろ盾に?」
「さすがはガラン男爵。すでに動いていたか!」
何者かわからないが、相当な大物っぽい。
隣に立つザディラが大物なおっちゃんの正体をぼそりと呟く。
「アズールめ、中央の商工会の長を抱きかかえていたのか! クッ、何とも食えない奴」
中央……おそらく皇都のことだろう。ガラン男爵とやらは皇都の商工会の長。イコール、皇国サーディア経済の要となる人物。
アズールはそのような人物を後ろ盾として用意していたようだ。
俺は会場の名士たちの拍手に堂々と手を上げて答えるアズールを見つめる。
(あのガキんちょ、なかなかやる。後ろ盾がいるのはわかっていたが、ザディラから奪った椅子を確固たるものにするべく、ここでカードを切ったか。しかも、これほどの大物を準備してたとはな。はは、こりゃ役者が違い過ぎるな。なぁ、ザディラ)
アズールは今日という日が来ることを予想して準備を怠ってなかった。
世継ぎレースに参加資格を得ようとも、支える者がいなければ戦い抜くことは難しい。
だから、彼はガラン男爵と交流を結び、今日という日まで関係を伏していた。
父親から会社を任されただけではしゃいでいたザディラとは格が違い過ぎる。
ま、そうだからこそ扱いやすいんだけどな。
視線をザディラへ向ける。
彼は今にも大声を出さんという表情で顔を真っ赤にしていた。
あらゆる点で弟に先を越された。その恥辱が彼の感情を刺激するが……すぐに落ち着き払い、またもや薄く笑う。
瞳にアズールの姿を映して……。
ザディラの瞳に誘われるように、俺もアズールへ瞳を動かした。
アズールは額から大粒の汗を零して、息遣いが荒く、何やら苦しげだ。
上げていた手を胃の部分に当てる。
すると、急に咳き込み、そして呻き声を上げた。
「う、ごほごほ、はぁはぁはぁ。うが! ぐ、ぐっ、が、はぁ、はぁ、がはっ!!」
彼は舞台に倒れ込み、両手両足を抱え込むような仰向けの姿で激しいけいれんを始めた。
すぐさま、お抱え医師である馬面白髪頭のマーシャルが舞台へ駆け上がり、彼はアズールの姿を隠すように会場に背を向けて彼の診察を始めた。
だが、それは無意味な行為。
舞台を標榜する観客からはマーシャルの白衣がアズールの全身を包み隠し邪魔をして様子は見えないが、舞台に立つ俺たちからははっきりと見えていた。
アズールが口から血の混じる大量の泡を吹いて、極限まで瞳孔を開き、こと切れていた姿を……。
その姿を目にしたザディラが体全身を震わせて、とても小さな声を発する。
それは喧騒の渦巻く会場では誰にも聞こえないモノだっただろう。
だが、隣に立つ俺は、しかとそれを聞いた。
「ば、ばかな、こんなはずじゃ……?」
俺の意識がザディラへ向かおうとしたその時、マーシャルは予想だにしない言葉を発する。
「いかん! 心臓発作だ! すぐに診療室まで運び蘇生措置を行わなければ!!」
アズールは明らかに死んでいる。
医者である彼がそれをわからないはずがない。
だがセルガは、彼の声に合わせ、すぐさま使用人を呼び、すでに息をしていないアズールを担架に乗せると、上からシーツを掛けて舞台から降ろし診療室へ運んだ。
この急な出来事により、催事は中止。
二日後、アズールの死が町に伝えられる。病死として――。




