第三十五話 ルーレンの演技力
――中庭
窓から中庭を眺めているが……なかなかルーレンが姿を見せない。
(もうワゴンを返してメイド長に話を通し終えている時間は過ぎていると思うが……もしかして躊躇してるのか? まぁ、今から不快な目に遭うと思ったらそうなるか)
そんなことを考えていると、屋敷から外へ出てくるルーレンの姿が見えた。
彼女はこそこそと身を隠すように中庭を歩くが、見通しの良い場所。
こそこそしても意味がない。
むしろ悪目立ちをしていると言ってもいい――だからこそ、こそこそしているんだろうが……そしてルーレンの意図。いや、大枠は俺の意図通り、一匹の獲物が釣り上がった。
そいつは中庭にあるテラスでお茶を楽しんでいたが、ルーレンの姿が目に入ると声を荒げた。
「そこのドワーフ! ここで何をしているんだ!?」
声を荒げたのはアズール。双子の弟妹である弟。
午後に中庭を陣取っている人物。
一昨日の夕刻、料理長はこう話していた。
早朝はセルガ。昼前はザディラ。昼から午後に掛けてはアズールが利用していると。
マギーは備品点検のため彼の傍にはいないようだ。
アズールは怒りの形相を見せて指先だけを動かしルーレンを呼ぶ。
ルーレンは体を震わせながら彼へ近づく。
しかし、数歩前に来たところで、彼はこう吐き捨てた。
「獣臭い。そこで止まれ」
「は、はい、申し訳ございません」
「まったく最悪な気分だよ。せっかく食後のお茶を楽しんでいたのに、お前のせいで台無しだ」
「も、申し訳ございません」
「謝るだけしか能のない下等なドワーフめ。ここはゼルフォビラ家の者が憩う場なんだぞ。どうして、メイド如きが通ったんだよ?」
「それは……申し訳ございません」
「またそれか。まったく、なんで父上はこんな役立たずを――ん? 何を持っているんだ?」
ルーレンは手に持っていた封筒を背に隠すような仕草を見せた。
その行動にアズールは眉をひそめる。
「おい、主に向かって隠し事か!」
「いえ、そんな畏れ多い。ですが、これはシオンお嬢様に頼まれた急ぎのお使いでして。ですから中庭を通り早く返却をと」
「だからって、お前如きがゼルフォビラ家の庭を――ん、返却? シオン姉さんが? 何をだ? ちょっと見せてみろ」
「それは……」
「これは命令だぞ!」
「は、はい、申し訳ございません!」
彼女は震える両手に封筒を持ち、アズールへ差し出した。
それを彼はひったくるように取り上げて、中の書類を取り出す。
ここまでの流れをこっそり窓から眺めていた俺はルーレンへ賞賛の拍手を心の中で送った。
(パチパチパチパチ、素晴らしい演技力だ、ルーレン。お前はできる子だな! まぁ、震えているのは演技じゃないかもしれないが)
アズールは取り出した書類を見つめる。
その姿を目にして、俺は口角を上げて笑う。
「さぁ、賢い弟よ。その書類の意味はわかるだろ。意味がわかれば、お前は止まらない。止まれるわけがない。優秀な自分を差し置いて、愚鈍な兄が父に認められ大事な席を任された。そいつを奪い取ることができるんだからな」
――再び舞台は中庭に帰る
アズールは封筒からまず俺の詫び状を見つけて、そいつを読む。
そして、顔をしかめる。
「やっぱりシオン姉さんは愚かだ。ザディラ兄さんの能力を見誤るなんて!」
詫び状――ルーレンにはそう伝えたが、そこに書かれているのはただの詫びではない。
院長コギリに詫びをする振りをして、ひたすらザディラの才を賞賛し褒め称える文章。そしてそこに埋め込んだ文字という名の毒針。
愚かなライバルを褒めちぎる文章に彼は感情的になり、荒々しく封筒から書類を取り出した。
「これは……財務諸表? なんでそんなものが? ルーレン、シオン姉さんは何を?」
「シオンお嬢様はザディラ様の補佐を行いたいと願っておりまして、そのためにまず、経営状況や扱う品目を把握しておりました」
「何が補佐だよ。ザディラ兄さんにシオン姉さんがくっついたところでマイナスが増えるだけなのに、はぁ……」
そう言いながら、彼はザディラが経営する会社の財務諸表に目を通し、舌打ちを行う。
「チッ! 本当にうまくやっているんだ。うん? これは別の会社の? ザディラ兄さんと関連している企業の……………………!? へ~」
関連企業の業績に目を通して、アズールは嫌らしく笑い、俺を侮蔑する。
「ククク、愚かな姉さん。こんなことに気づかずザディラ兄さんを絶賛するなんて。ルーレン! これは僕が預かっておく!!」
「で、ですがっ!」
「これは命令だ! いいか、このことは他言無用だ! もちろんシオン姉さんにもだ! わかったな!」
「…………」
「わかったか? と尋ねているんだ! 早く答えろ!!」
「は、はい。仰せの通りに……」
「それでいい。まったく、ドワーフはとろくて困るよ。ま、頭のとろいシオン姉さんのお付きには丁度いいんだろうけどね」
アズールは封筒を手にして中庭から離れて行く。
彼は心から生まれる愉楽を押さえきれずに顔を弛緩させつつ、詫び状のとある文章を見つめる。
――コギリさんの仰る通り、書類を通しても兄の業績は好調のようでした。『香辛料を扱うたくさんの倉庫』があるというのも納得できますわ。ザディラ兄様の手腕は本当に素晴らしいですわ――
(何がたくさんの『倉庫』だよ。それにこの書類。ククク、ありがとうシオン姉さん。おかげでザディラ兄さんを失脚させることができる。今日の夕食会が楽しみだ)
――シオンの私室
窓から一連の流れをこっそり見ていた俺は右手に力を入れてガッツポーズを決める。
「よっしゃ、封筒を持っていきやがった。ってことは、気づいたってことだな。さすがに細かい会話はここまで届かねぇからやきもきしちまったが……っと、ルーレンは大丈夫か?」
散々、獣臭いだの下等だの役立たずだの言われていたからかなり落ち込んでいるんじゃないだろうか?
そう思い中庭へ視線を振るが……黙々と彼女はアズールが置きっぱなしにした茶器や食器の片付けを始めていた。
そこに動揺の様子はない。彼女にとってあの程度の罵倒は日常の出来事ようだ。
と考えた矢先に、彼女は茶器を落として割ってしまった。動揺はあったのか?
彼女は後悔を表すように大きく息を吐き、割れた茶器を片付け始める。
おそらく、後で罰を受けるに違いない。
それでも彼女は黙々と片付けを続ける。
感情を押し殺して小さな体で仕事に従事する姿に、俺は感心混じりの声を生む。
「ほぉ、思いのほかタフだなあの子は。怯えているのは確かだろうが、やるべきことはちゃんと行えるようだ。それに賢い。そして…………恐ろしいほどの演技力だ。俺の意図を汲み取って見事にやり遂げやがった」
俺の意図――そいつはあの書類を自然な形でアズールへ渡すこと。
あの書類にはザディラの心臓が封じられている。
そんなヤバいものをライバルであるアズールへ俺が自らほいっと渡せば、アズールを手助けしたことになり、後々ザディラを利用しにくくなる。
だからアズールが自ら手にした情報という形にして欲しかった。
アズールは次兄ザディラ失脚のために、この手柄を自分だけのものとして、俺の名を出すことはないだろう。
ルーレン自身はここまでの流れを詳しく感じ取ったわけではない。
彼女が感じ取ったのは、この書類を自然な形でアズールへ渡したい、という俺の意図だけ。
そのためにわざわざアズールから絡まれる可能性の高い中庭を通ることを了承し、いかにも大事そうに書類を見せて、それを手渡すのに躊躇いを見せた。
そのような態度を見せれば誰だって気になるというもの。
まんまとアズールはルーレンの演技に引っ掛かり、書類を取り上げた。
こうして書類はアズールの手に渡った。
そこからは彼の才気次第。
彼がぼんくらならこの話は終了。
しかしそうではなかった。
噂通りの優秀さを見せてくれた。それが俺の奸計であると気づかずに……。
「さて、次なる舞台は夕食会。そこでの劇を客席から観劇させてもらうとするか。ザディラは堕ちて、アズールが主役に躍り出る駄劇。だが、それも束の間……堕ちた主役を再び羽ばたかせてやるよ……そいつもまた、束の間かもしれんがな。クククク」




