第三十四話 備品点検
――朝食後
さぁ、朝飯を食った! 元気よく一日を始めよ~~~~と思ったのだが、今日からはとてもめんどうなお勉強の時間が始まる。
昨日はうまい具合に家庭教師から逃げることができたが、今日はそうはいかなかった。
逃げられなかった理由はダリア――ダリア母ちゃんが「外に出るだけの余裕があるなら怪我の具合の心配もないでしょう」と。
そのおかげで朝から家庭教師のイバンナおばちゃん相手にマンツーマンのお勉強。
幸い、天才と称される双子の弟妹とは違い、勉強の内容は小難しいものではなかった。
それでも十四歳の少女の勉強にしては少しだけハードルが高かったが。
具体的言えば、高校初期の学業レベル。
ま、これなら俺でもついていける。最終学歴は小学中退だが、殺し屋の組織でみっちり勉強させられているので。
ただ、一つ問題が……それはこちらの歴史や地理や法学がさっぱりだということ。
この惨状に家庭教師イバンナは頬に手を当てながらため息を漏らす。
「はぁ、法学はともかく地理と歴史は得意だったはずなのにどうして? 代わりに理数系の伸びが驚くほどですが……」
本物のシオンは地理と歴史が得意だったようだ。
ならば、その知識がこの脳みそに残っていればいいのに……読み書きはそつなくできるのに何か違いがあるのだろうか?
そもそも、俺の記憶はどこからやってきているんだ?
シオンの脳みそに俺の記憶や知識など存在しないはず……俺という魂がシオンの肉体にダウンロードされたときに俺の記憶や知識がインストールされたのか?
それだと、シオンの知識が上書きされて、地理や歴史の情報だけではなく、読み書きの情報も消えてなくなるはず。それとも脳みそは記録媒体ようにパーティションでも作れるのか…………やめよう、どうせ考えてもわからん。
お昼になり、つまらない授業が終わる。
本来なら夕方からも授業らしいが、家庭教師イバンナはお昼までにしてくれた。
俺の見た目は心身ともに健康そうに見えても崖から落ちたという事実があるため、配慮してくれたようだ。
昼になり、ルーレンが昼食を運んでくる。
窓傍にある丸テーブルに昼食を運んでもらい、窓から広がる中庭のとある光景にほくそ笑む。
(ほぅ、昼食時からいるのか。フフ、おおむね話の通りだな。だけど、一人か?)
僅かに緩んだ唇を引き締め直して、ルーレンに午後の予定を尋ねた。
「午後は何か予定でも入っているのかしら?」
「いえ、ございません」
「そう。ならば、調べものでもしていようかしら?」
「調べものですか?」
「ええ、地理や歴史のね。そこの記憶がさっぱり抜け落ちてまして」
「さようでございましたか。では、後ほど書斎から関連書籍をお部屋へ運びましょうか?」
「いえ、大丈夫。それは自分で行いますわ」
地理と歴史。つまらんが重要な知識。
このダルホルンの位置。皇国サーディアとの関係。周辺国家の配置。軍事・経済などの国力。そういった基本情報が欲しい。
ネットがないため最新情報が手に入れられないのは歯痒いが致し方ない。
次にルーレンの予定を尋ねる。
「あなたは何かご予定でも?」
「備品の点検がございます」
「マギーも?」
「はい、月にニ度。マギーさんや他のメイドさん数名で備品の点検を行っています。今回の備品点検は近々の催事のためにちょっとだけ規模の大きいものになりますが」
「なるほど、だからいないのか?」
俺は窓を見ながらそう声を漏らす。
それに対してルーレンは首を傾げる。
「あの、どうされました?」
「いえ、大したことではありません。ですが困りましたわね、頼みたいことがありましたのに」
「御用が? それなら問題ございませんよ。時間に融通が利きますし、いつもより規模が大きいといっても備品点検はそれほど時間のかかるものではありませんから」
「そうですか。ならば、これを急ぎで戻して頂けません」
そう言って昨日、会計監査院から勝手に持ち出した書類が収まる大きめの封筒を丸テーブルの上に取り出す。
「ルーレンに内緒にしていましたが、実はわたくし、経営の勉学ために会計監査院から書類をこっそり持ち出していまして」
「ええ!?」
「ですので、これを会計監査院までお願いしますわ。封筒内には詫び状も添えてありますのでルーレンに害は及びませんから」
「か、かしこまりました。あの、封をしていませんがよろしいのですか?」
「構いませんわ。どうせすぐに開けちゃうものですから。それに、封が無い方が取り出しやすいでしょうし」
「はぁ……? では、メイド長に話を通して今すぐにでも」
「お願いしますわね」
ルーレンは封筒を手に取り、部屋から離れようとする。
そこで返却にある条件を付け加えた。
「メイド長に詳しいことを伝える必要はありません。わたくしからの用事とだけ伝えなさい」
「はい、かしこまりました」
「そしてもう一つ。返しに行く際は中庭を通りなさい」
「え!? ですが、この時間は……」
「いいから通りなさい。わたくしはここであなたが中庭を通るのを見ていますわよ」
「……はい、畏まりました」
「それと最後に、その書類を守る必要はありません」
この言葉にルーレンは一瞬目を泳がせて、言葉の意味を考える。
そしてすぐに理解したようで、こくりと頷きながら返事をする。
「理由まではわかりませんが、理解はしました。失礼します」
彼女はぺこりと頭を下げて、サービスワゴンを押しながらちょこちょこと歩き出て行った。
扉によって彼女の姿が隠されたところで、俺は薄く笑う。
「フフ、想像以上に賢いな。いちいち説明をする必要もなく意図を汲んでくれる人材は得難い。実に惜しい人材なんだが……」




