第三十三話 シオン様は令嬢なんです!
――――自室・朝食
自室に戻り、軽い運動で〆て、シャワーで汗を流す。まだ朝食前なので着替えはナイトウェアにすべきだろうが、ルーレンが来る前に青いドレス姿の令嬢になっておく。着替えが面倒なので……。
そして、ルーレンが運んできた朝食を頂くのだが、なぜか母ダリアも一緒に部屋へ訪れた。
彼女はルーレンへ瞳を振る。
すると、ルーレンは朝食が載っているサービスワゴンの下にある入れ物の部分から桐製っぽい箱を取り出してきた。
ルーレンは箱を俺に差し出してこう伝えてくる。
「今朝早く、イナバさんから扇子が届きました」
「あ、そうですの。昨日の今日とは随分早かったですわね。それで、どうしてお母様も一緒に?」
「あなたがどのような商品を購入したか確認するためです」
「それならばわざわざわたくしの部屋に出向くことなく、後ほど呼び出せばよかったのではありませんか?」
「ルーレンが朝食と一緒にその箱を運んでいるのをたまたま見かけたから同行したまでです。そんなことよりも早く箱を開けなさい」
「ええ、わかりましたわ」
桐箱の蓋を開ける。
中には紫の艶やかな布が敷かれ、その上に黒羽で彩られた扇子があった。
見た目は優美な扇子だが、黒羽の下は金属製の武器。
ダリアはそうと知らずに扇子の外見だけを見るに留めて声を生む。
「オーソドックスな羽根扇ですね。ですが、これは耐火性耐水性に優れながら粗雑さもなく雅さを感じさせるアクワラ鳥の羽のようね。それを惜しげもなく使用して……それで、あの値段だったのですか?」
ダリアは扇子の見た目だけの評価をしている。
彼女の様子から、扇子の本当の姿と武装石のことはルーレンから伝えられていないようだ。
俺はルーレンへちらりと視線を振る。
(昨夜も扇子の購入だけに触れてそれ以外のことを伝えなかった。一応、こいつは俺のメイドみたいだが……いまいち、よくわからん存在だな)
瞳を素早くダリアに戻して彼女の問いに答える。
「あまり値の張る飾りは不要と伝えておりましたが、どうやら相当割り引いてくれたようですわ」
「相手はかなり無理したのでしょう。一体、どこのお店でして?」
「万屋いなばというお店ですわよ」
「聞いたことありませんね。そんなお店、ファールソン通りにあったかしら?」
彼女の疑問にルーレンが答える。
「万屋いなばは、高級品を扱うお店が軒を連ねるファールソン通りにはありません。メインストリートの途中にある下町へ続く細道を通り抜けた先にある庶民のお店です」
「なっ!? いくら妾の子とは言え、ゼルフォビラ家の者がそのような店に!? シオン、あなたは何を考えているのですか!!」
ダリアは一気に顔を真っ赤にして頭から激しく湯気を出す。
どうやら、貴族様が庶民の店を利用することは恥のようだ。
さて、これをどう躱すかと考えながら話を続けるが、その話の途中で何故かダリアは勝手に納得する。
「申し訳ありませんお母様。珍しい品を扱うお店と聞いて、興味本位で覗いてしまいました」
「興味本位? いくら珍しいからと言って、なんという真似を……」
「珍しいといえば、このアクワラ鳥? とかいう扇子以外にも、皇国にはない貴金属類や化粧品も扱っていましたわね」
「――――!? 皇国にはないとは、どのような?」
どのような? と尋ねられても俺はこの世界の貴金属類や化粧品に詳しくない。
だから、ちらっと瞳をルーレンに振って助けを求める。
彼女は小さく頷いて、俺の代わりにイナバの扱う商品について説明を始めた。
「店主であるイナバさんは皇国サーディアのみならず、別大陸の商品を取り扱っているそうで、こちらでは出回らない貴金属類や化粧品を取り扱っています。中には、別大陸の王族御用達の化粧品や貴金属なども取り扱っているとか」
「王族……こちらにはない……貴重品なの?」
「はい、そう思います。こちらの大陸ではまず手に入らないものでしょうし。それでも、イナバさんはかなりお安く販売しているみたいです」
「ふ~ん、そうなの。そう……そうなの。そのお店は正確にはどこにあるのかしら?」
「え、どういうことでしょうか?」
「ゴホン。いえ、シオンの利用した店がゼルフォビラ家の格式を下げるようなことがないか確認するために、一度見ておこうと思いまして」
「はぁ、そういうことですか。わかりました。あとで地図を書いてダリア様のお部屋へお届けします」
「そう、では頼みました。シオン、今後は格式というものを考えて行動しなさい」
と、言葉を残してダリアは立ち去る。
俺はダリアの背中を見つめ、ルーレンに尋ねる。
「お母様は何を考えているのでしょうか?」
「私もわかりかねます。メイドである私ではダリア様のお考えなど想像もつきませんから。あの、そろそろ朝食のご用意をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、お願いしますわ」
「かしこまりました。では、ご用意の間に、シオンお嬢様はナイトウェアにお着替えなさった方が良いかと思いますよ」
「え゛!? で、ですが、もうこの姿ですし。そもそも、朝食をナイトウェアで取る必要性も……」
「貴族の令嬢たるもの、お目覚めの後は身だしなみを整え、朝食を取り、そして一日を迎えるための正装へ着替えるものです。そうだというのに、早朝から汗だくになり、シャワーを浴びた後も御髪のお手入れをおろそかにしてドレス姿になるなどもってのほかです」
「で、ですが……」
「畏れ多くもこれはメイドとしてお仕えする私ではなく、忌憚のない意見を述べさせていただく友達としての言葉です」
「うぐっ」
まさか、『わたくしの友人であれ』がこんなことになろうとは。
その友人たるルーレンは微笑みを見せているが瞳は全然笑ってない……これは逆らわない方が良さそうだ。
「わ、わかりましたわ。着替えます」
「御髪のお手入れもお忘れなきよう」
「……はい」
容赦ない。俺の想像以上にルーレンという少女は、シオンが貴族の令嬢であることにこだわりがあるようだ。
彼女に言われた通り、二度手間だと思いつつもナイトウェアに着替えて髪を手早く整えた。
そして、朝食の配膳が終える前に桐箱から扇子を取り出して感触を味わう。
見た目は黒羽の扇子。
だが、手に取れば金属製らしくずっしりと感じる重量感。
さっと扇子を振って広げる。
要のところには小さなボタン。それを押してみると先端の羽が下にずれて鋭利な刃物が現われる。
「ふむ、素晴らしいですわね。これなら完璧に偽装できますわ」
「見た目は羽根扇。ですが、完全に武具のようですね」
朝食の準備を終えたルーレンが話しかけてくる。
俺は扇子を振りながらそれに答える。
「ええ、誰もこれが武具だとわからないでしょうね。フフフ、イナバさん良い仕事をしてくれますわ。ただ、わたくしの手には少々重いですわね。持っているだけで手首が痛いですわ」
「イナバさんに頼んで重さを調整してもらっては?」
「いえ、その必要はありません。重量を減らすと武具としての機能が低下しますから。わたくしの筋肉量を増やすことで補うとしますわ」
「筋肉量……どこまでお鍛えに?」
「そうですわねぇ~。腹筋が六つに割れて、力こぶがはっきりできるくら――」
「駄目です!」
「へ?」
突然、ルーレンが口調を強めてきた。
さらにこう続ける。
「シオンお嬢様は貴族の令嬢。そのようにお身体を鍛える必要はありません!」
「いえ、令嬢であっても鍛える人は鍛えると思いますが?」
「駄目です! 貴族の令嬢とは可憐であるべきです。シオン様はそうあるべき! だから、筋肉でムキムキだなんて、ぜ~ったいダメです!」
彼女はこちらに詰め寄り、全力で否定してくる。
先程以上に主と従者の関係がない。
思わぬ勢いに気圧された俺は言葉をたどたどしく返す。
「る、ルーレン。一体どうしたんですの? そんなに声を荒げて……?」
「はっ! も、申し訳ございません! つい、私としたことが。本当に申し訳ございません」
我に返ったルーレンは首が取れる勢いで何度も頭を下げてくる。
それに怪訝な表情を向けながら、再度同じ質問を重ねた。
「ルーレン、一体どうしたんですの? わたくしが鍛えると何が不都合でも?」
「い、いえ、そういうわけでは。ただ……」
「ただ?」
「勝手な話なのですが、私の中で貴族の令嬢はお淑やかなイメージがありまして。記憶失う前のシオン様は私のイメージにぴったりな方だったんです。それが失われるようで……その、申し訳ございません」
やはり、彼女は貴族の令嬢に対して、かなり幻想的な物の見方があるようだ。
これに加え、見知った人物が魔改造されるのを黙っていられなかったと見える。
――シオンとルーレン関係
シオンはルーレンを友人であり味方と感じつつも感情を制御できず憎しみの矛先を向け、ルーレンは彼女の悲しみを知りつつ怯え我慢を重ねるが、それでも自分が理想とする憧れの令嬢と見ている。
妙な関係だ。
片や妾の子として差別される存在。片やドワーフとして差別される存在。
一種の共依存の関係だったのだろうか?
二人の関係とルーレンの本音はいまいち見えにくいが、少なくとも彼女にとってシオンは深窓の令嬢であるべきで、筋肉ムキムキな令嬢であることは許されない、といったところか?
こちらとしてもボディビルダーのように鍛える予定はないので、無用な心配だとルーレンに言葉を渡しておく。
「安心しなさい、ルーレン。あくまでこの扇子が操れる程度に体を鍛えるだけです。あなたに肥大化した上腕二頭筋や血管が浮き出る大胸筋を見せつけるような真似しませんから」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、そうわよ。だから、大丈夫」
「本当に、本当で?」
「ええ、本当に本当ですわよ」
「……本当に?」
「……ええ」
この後、何度が同じ問答を行い、ルーレンは部屋から出て行った。
彼女にとって、シオンが令嬢であるということに並々ならぬこだわりがあると感じ取れる。
というか、今の俺が信用されてないからか?
だとすると……フフ、お互い様か。




