第三十二話 元傭兵マギー
片膝を地面についていたマギーは立ち上がり、大剣をトンッと肩に置いて声を返してきた。
「見てたんすか?」
「見てましたわ。すごい気迫でお父様へ襲い掛かってましたわね。あの殺気は本物でしょう。どうして?」
「どうしてって、あ、記憶が……いや、元々知らねぇか。シオン様とはそんなに話をする仲じゃなかったし」
「そうでしたの? よかったら話して下さる。問題がなければ」
「別に良いっすよ。まぁ、一言で言えば、お館は親父の仇なんすわ」
「父の仇?」
「三年前、まだ十六だった頃、俺は親父と一緒に傭兵をやってたんですが、ある戦いでお館と親父がやり合って……負けちまった」
「そうでしたか」
「それで、その場で仇を討とうと飛び掛かったんですが、親父が勝てなかった相手に敵うわけもなく、その場で取り押さえられました――」
――ある日の戦場(マギーの過去)
地面に顔を押し付けられ、口の中の唾液が泥と血と混ざり合ってもなお、俺は殺してやる! 殺してやる! と叫んでたんです。そうしたら、お館が……。
「こそこそ命を狙われるのも面倒だな。そうだ、私の屋敷でお前を雇おう。報酬は私への挑戦権だ。たとえ私が命を奪われたとしても、罪に問わぬと約束しよう」
――――
「ってな感じで、今に至るっす」
「それは……無茶苦茶ですわね」
「はは、たしかに……正直、ふざけんなとは思いましたが、すでに一度負けた身。殺されても文句は言えない立場なのに、命を拾って、さらに敵討ちもできるかもと思ったんで、その話を飲んだんです。感情を消化するまで五日はかかりましたが」
「その間、暴れていたのですか?」
「まぁ……はい。んで、来てみたらくそ生意気な小僧のお付きメイドをやらされる始末。今思えば、手を焼いているアズール様の面倒を見させるのに丁度いいと考えたのかもしれないっすね。腹が立つ!」
と、マギーは憤慨しているが、本当にそれだけだろうか?
それだけのために、復讐心に燃えるマギーに大切な息子の面倒を任せるものだろうか?
たしかに護衛としては申し分……護衛? アズールを何かから守ろうとしている? いや、突飛すぎるな。仮にそうであったとしても、それならマギーである必要がない。
俺は自身の馬鹿げた考えを振り落とすように頭を左右に振る。
それを不思議そうにマギーが覗き込んでくる。
「ん、どうしたんすか?」
「いえ、仇を懐に入れるのも非常識ですが、その仇に息子の面倒を見させるなんて非常識どころじゃありませんわね、と呆れただけですわ」
「あはは、そうっすね。俺もそう思います」
「マギー。あなたは仇の息子を前にして、復讐心は湧かなかったのですか?」
この問いに、彼女は眉間に皺を寄せて顔を曇らせた。
「正直に言えば、湧かなかったとは言えないです。滅茶苦茶にしてやりたいと何度も思って……でも、そんなことをすれば親父の名を穢すことになる。ただでさえ、仇の温情を得るなんていう恥をかいてるってのに」
「まぁ、そうね」
「それにまあ、三年も経てば、ある程度整理がつくもんで……。戦争。親父は傭兵。憎しみ合った殺し合いじゃなくて、職業として殺し合って負けた。そこに恨みを持ち込むなんてのはお門違い……いや、でも……そう、頭じゃわかっちゃいるが、やっぱり心はどうも……」
「それはそうでしょう。人の心とはそんなものですから」
彼女の重苦しい過去が俺の心の中を綿毛のように軽やかに駆けていく。
するとマギーは、眉間の皺をこちらへぶつけてきた。
「なんか、軽くないっすか?」
「あら、ごめんなさい。別に軽んじてるわけでも想像力が足らないわけでもありませんわよ。ただ……」
「ただ、なんすか?」
ただ、殺し屋という薄暗い世界を四十になるまで歩んできた俺は、そういった憎しみや苦しみを履いて捨てるほど味わってきたので思わず聞き流しそうになった。とは、言えやしない。
だから、テキトーに誤魔化そう。
「ただ、どういった反応をすればよいのか、どうのような言葉を返せばいいのかわからなくて。ごめんなさい、不快な思いをさせて」
「いえ、そんな……気遣いなんかいらないっすよ。だいたい俺はシオン様の父親を殺そうとしているわけですし、シオン様に憎しみをぶつけるような部分もどっかにあるわけだし、だから気遣われるのも変ですし」
「感情の表し方、受け取り方は難しいですわね。お互いに……」
「へへ、そうっすね。でも、話を聞いて平気なんですか? 俺、シオン様の父親の命を狙っていると言ってるんですよ」
「そうですねぇ……」
俺はマギーが手にしている大剣へ視線を飛ばして、つぎに汗の張り付く戦士服のシャツへ移す。
「見たところ、その心配もなさそうですし」
「ぐぐぐ、たしかにこの三年間、腕を磨いたつもりだけど。いまだに、かすり傷一つ付けたこともないですけど……」
悔しそうに歯ぎしりを見せつつ気落ちするマギー。
だが、俺の見立てでは彼女は相当な才能を持っている。それでいてゼルフォビラ家に良からぬ感情を持っている。これはぜひとも、味方につけておきたい人材。
そんなわけで、彼女から好感情を得ておこうと少々アドバイスをすることにした。
「わたくしは戦闘の素人ですが、それでもマギーには光るものがあると感じましたわよ。あと数年もすれば父を超えられるのでは?」
「どうだかなぁ。かすり傷一つも付けられない現状でそんな気配皆無っすよ」
「かすり傷で良ければ、付けられる方法をお教えしましょうか?」
「へ?」
俺は中庭の端にある背丈の低い木から枝を二本折る。長さは三十センチほど。二本のうち一本をマギーへ投げ渡す。
「二人の戦いを見て感じたことは、二人とも達人ということ。常に急所を捉え、的確に打ち据える。とてもじゃありませんが、今のわたくしには無理ですわ」
「あはは、褒めてもらってうれし……え、いまのわたくし?」
「ともかく、構えてください」
「え、だけど」
「いいから、早くなさい」
「わ、わかりましたよ」
マギーは大剣を地面に刺して、棒切れを構えた。
俺もそれに応えて棒切れを構える。
「わたくしがマギー役。あなたをお父様の役とします。では、行きますよ」
棒切れを何度も突き出し、マギーの瞳、喉、心臓、肝臓と急所を狙う。
「このようにあなたは狙いを定め、急所を狙う。それをお父様は受け流す」
「ええ、そうですけど……シオン様、本当に戦闘の素人ですか? 滅茶苦茶的確に命を取りに来てる感じがするんですが? しかも、結構突きが鋭い」
「ほら、おしゃべりをしてる場合じゃありませんよ」
「――え!? クッ!!」
余裕で枝を捌いていたマギーが腕の速度を変えて俺の枝を弾き飛ばした。
それにより、勢いよく地面に落ちて割れる枝と、飛ばされた衝撃に痛めた手を抱える俺。
「いつつつ、さすがに弾かれますか」
「……いまの、なんすか? 突然、攻撃が読めなくなって。思わずマジで弾いてしまって――あ、大丈夫っすか、怪我は?」
「ええ、大丈夫ですわよ。さて、今見せた方法ならかすり傷一つくらいなら付けられるかもしれませんわよ」
「その方法って? 今、何をしたんですか?」
「うふふ、とても簡単なこと――急所を狙わず、適当に枝を振るっただけですわ」
「……はっ?」
俺は割れた枝の一部を拾い上げて振るいつつ、先程の攻撃のレクチャーを行う。
「達人同士の戦い……とても繊細で的確な攻撃。故に互いの手が読みやすくなる。だからそこに、いい加減な要素を投げ入れるんです。それにより、読みをブラすことができる」
「だ、だけどそんなことをすれば!」
「ええ、そんな馬鹿なことをすれば、わたくしが枝を弾かれたように返り討ちに合ってしまいます。実戦ならば枝どころか手首ごと切り落とされ、返し刃で体を真っ二つにされていたでしょう。そう、実戦ならばね……」
「実戦? ……あ! そうか、お館は俺を歯牙にもかけていない。本来ならカウンター受けて命を奪われるけど、その可能性はない」
「ふふ、そういうことですわよ。思わぬ攻撃に読みを狂わされたお父様の攻撃の手は鈍ります。残念ながらわたくしは枝を弾かれてしまいましたが、あなたの腕なら――どうなりますか?」
「それは……躱せるはずだった剣撃。本来なら不意を突かれたとはいえ、俺の腕を切り落とすことも造作ない。だけど、お館はそれをしようとしない。刃で受け止めるか、弾くかになる。それをこちらは予測できているから、さらに力押しでツッコめば――」
「かすり傷くらいなら、付けられるかもしれませんわね」
「なるほどなぁ、面白い手だけど……う~ん、だけどなぁ」
「正攻法ではありませんから納得できませんか?」
「え~っと、はい」
「でしょうね。あなたには合わない方法でしょう。ですが、あなたの戦い方はあまりにも直線的すぎる。だから、戦いとはいろんな角度があるものだということを覚えておいて損はないですわよ。あなたはあなたの納得できる角度を探すことですわね」
「そいつは……もっと盤面を読んで、一手一手をちゃんと考えろってことですか?」
「さぁ? あとはご自分でお考えになって」
俺は軽く手を振って、その場から離れようとした。
それをマギーが声で捕まえる。
「シオン様。本当にあんたは戦闘の素人かよ? まるで熟練の戦士のような……」
「ふふふ、私は妾の子であっても世界一の剣士・ セルガ=カース=ゼルフォビラの血を半分引いているんですのよ。この程度、造作もないこと」
「たしかにあのお館の娘だし、すっげぇ才を秘めてることもありそうだけど。でも、以前のおどおどしていたシオン様と比べると……」
「あら、わたくしの悪口ですか?」
「いや、そんなつもりはっ」
「ふふ、冗談ですわよ。ただ、崖から落ちて、一度命を失いかけてからというもの、わたくしの中で何かが変わったんですの。あなたも一度死にかけてみると変われるかもしれませんわよ」
「三年前に一度死にかけてるんすけどね」
「そういえばそうでしたわね、フフ」
「ははは、笑い事じゃないんすがね。最後に一つだけいいっすか」
「なんでしょう?」
「なんで、アドバイスなんかを? 俺はシオン様の父親の命を狙ってるんですよ、なのに……」
「そうね。あなたと友人になりたいと思ったから」
「友人に……そのために父親の命を?」
「娘に友人ができるかどうかの瀬戸際ですわよ。その犠牲になるなら父も本望でしょう」
「は、はは、はははは、はははははは、なんだそりゃ。まったく、あの父親にして娘ありだな。変わりもんだよ。二人とも」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておきますわ。では、あなたの刃が父に届くことを祈ってますわよ」
俺は手を振って去る。
後ろからは、マギーのか細い声。
「いや、だから、届いたらシオン様のおやっさん、死ぬんだけど……へへ、やっぱり変わりもんだよ。シオン様がこんな面白い人になっちまうなんてな。妙な感じだぜ。でも、ルーレンは寂しく感じるかもな……」




