第二十三話 会計監査院
――会計監査院
体育館ほどの大きさの真っ白な石造りの三階建ての事務所。
屋根の近くにある壁にはレリーフがあり、そこに描かれている絵は、血塗れの手がそろばんを持ち、机にぶつけて叩き割る構図。
馬車から降りた俺はそのレリーフを見てルーレンへ尋ねる。
「なんですか、あのレリーフは……?」
「あれはゼルフォビラ家のご親戚である芸術家ノノン様の作品です。日々、数字と戦う監査人方の苦悩を表しているそうです」
「苦悩どころか数字に追われ過ぎて発狂しているようにしか見えませんわね。親戚と言いましたが、芸術家の方が?」
「はい、ゼルフォビラ家一族の才は多岐に渡るため、様々な分野にご親類の方がいらっしゃいます」
「親族はどのくらいの規模で?」
「えっと、正確な規模はわかりませんが、数年に一度の頻度で一堂に会する機会があります。そこに集まられる方々はおよそ二百人くらいですね。出席されている方だけですが」
「眩暈の覚える量ですわね。その方々をまとめているのがゼルフォビラ家であり、父セルガというわけですか」
これは相当デカい一族だ。
強固で分厚いと感じるが、その反面、頭の数が多いため綻びが出ると泥沼化しそうでもある。
(ザディラたち兄妹のことを含め、相続問題や跡取り問題で引っ掻き回せる要素だな)
このことを頭の片隅に書き留めて、まずはザディラの経営状況を覗いてみるとしよう。
事務所に入るとすぐにこちらへ小走りでやってくる細身で眼鏡を掛けた所員らしき中年男。
毎日数字とにらめっこしているだけあって、いかにも神経質そうな男に見える。
彼は少し甲高い声で話しかけてきた。
「これはゼルフォビラ伯爵の令嬢シオン様。今日はどういったご用件で?」
「よくわたくしのことがわかりましたわね」
「それは当然でございます。馬車にゼルフォビラ家の紋章である海龍と騎士とアキレアの花が刻まれておりますから。そして、現在お屋敷に御息女は、シオン様とライラ様がご在宅。そうであればおのずと」
「自明の理というわけですわね」
「はい。おっと、ご挨拶が遅れました。私は院長のコギリと申します」
「コギリさんね。では早速ですけど――」
俺は院長コギリにザディラの経営する会社の財務三表を見せてもらうよう頼んだ。
彼はそれを訝しんだが、今後、兄の助けを行うために会社の状態を良く知っておけと兄に言われたと適当なことを言って疑念を躱した。
俺は妾の子とは言え、一応ゼルフォビラの人間。コギリとしても深く尋ねて不興を買うことを避けたかったのだろう。
彼はすぐさま財務三表である賃借対照表・損益計算書・キャッシュフロー計算書を用意した。
またそれとは別に、株主資本等変動計算書や附属明細書も。
さらに見積書や注文書や注文請書や納品書や検収書や請求書ら写しなども。
取引書類らまで揃っているのは誤算だった。
こんなものまで会計監査院にあるとは.
どうやら、俺が思っていた以上に細かく監査しているようだが、PCもなさそうな世界でこれだけの書類を捌いていたらレリーフのようにそろばんを叩き割りたくなるだろうな。
また、これらとは別に、これだけの書類等を提出させるセルガの恐ろしさを感じ取る。
(ここまで細かく提出させるとは……セルガという男、公明正大の銘を打って身内にも厳しい会計監査院を立ち上げながら、その実は、ダルホルンにある企業の完全把握を行っているようだな)
彼は支配者として堅塁を誇る。
正直、そんなのを相手するのはしんどいからシオンの依頼を投げ出したい。だが、義理を欠くわけにはいかない。
考えてみたらその義理にこだわったせいで俺は死んだわけだが……同じ過ちを繰り返してるのか俺は?
ま、性分だからそれは仕方ない。しかし今度は、逃げ道をちゃんと確保しておかないと。
とりあえず、今はやるべきことを為そう。
俺は気持ちを入れ替えるように小さく息をついて、用意された執務机の椅子へ座る。
目の前にあるのは、広々とした机の上に山積みとなった書類。
背後には、静かに控えるルーレン。
山積みの書類を挟んだ先に立つコギリ。
俺は貸借対照表(※資産・負債・純資産の金額と内訳を示す表)を手に取り、そいつに目を通す。
その様子をコギリが山積みの書類の隙間から覗き込む。
「失礼ですが、見方はお判りに?」
「ええ、問題ありませんわ。基本的なことは学んでますので」
殺し屋時代に、というのはもちろん伏せておく。
その後、書類たちと睨めっこを続け、ため息とともに声を漏らす。
「ふぅ、特に問題ありませんわね」
「ええ、それはもちろんです。しっかり監査しておりますから。シオン様は我々に何か落ち度があると……まさか! 我々が何らかの不正を行っているとお疑いに!?」
「それこそまさかですわよ。兄の経営に一片たりの問題もなく、感嘆の息を漏らしただけですわ」
「そ、そうですか? 申し訳ございません。早とちりをしてしまい」
「いえいえ。それよりもコギリさん、お仕事は? ずっと私につきっきりである必要はありませんわよ」
「そのようなお気遣いを頂きましても、ゼルフォビラ家の御息女であらせられるシオン様を御一人にするわけには」
「いえ、ルーレンがいますから。ルーレンもずっと後ろに立つ必要はありませんわよ。そこの席が空いているから座りなさい。お手隙なら、少し外へ出ても構いませんよ」
「そのようなことできません! 私はシオンお嬢様のお付きメイドなのですから! お嬢様がお仕事をなさっているのに私だけ休むなんて」
「そちらのお嬢さんの仰るとおりでございます。どうぞ、私どもなどお気になさらず、どうぞどうぞ」
前から後ろからと、二人は気にするなと言ってくる。
だが、ここまでじっと見られているのに気にするなは無理がある。
「はぁ、仕方ありませんわね。少し休憩しましょう。お二人とも付き合ってくださる?」
「「もちろんです!」」
「では、お茶とお菓子の用意を。二人ともお茶の席に同席してくださいね」
「「え? それは……」」
愛らしい少女の声と甲高いおっさんの声が重なり合う。
ちょっぴり面白いが、余計な問答に時間を取られたくない。
そういうわけで貴族の娘として二人を黙らせることにした。
「いいですか、今から休憩に入ります。お茶とお菓子の用意をして、二人ともそれに付き合うこと! これはゼルフォビラ家が次女シオンとしての命令ですよ!!」
「「えっと」」
「命令ですよ!!」
「「わ、わかりました!」
俺の強い口調にルーレンとコギリは体と声を跳ね上げて命令に従った。
コギリは通りかかりの所員にお茶とお菓子を用意させる。
二人は俺とは別の机に座り、お茶とお菓子を前にするが手を出さない。
先に俺がお菓子を口にして、二人にも食べるように促すとようやく二人ともお菓子を口にし始めた。
俺はフルーツタルトを味わいながら感想を表す。
「美味しいですわね。果実の甘みと爽やかな柑橘系の酸味が合わさって。どこで販売しているのかしら?」
この疑問にルーレンとコギリが答えを返してくる。
「これはレストラン『アビレレス』のフルーツタルトです。最近できたばかりのお店で、特にこのタルトはお持ち帰りができる人気商品なんですよ」
「アビレレスは若い人を中心に人気でして、その勢いは飛ぶ鳥落とす勢い。老舗のレストラン方は悩ましい存在だと仰っていました」
「なるほど、流行りのスイーツというわけですわね。このタルトにお茶も良く合います。屋敷で出されるお茶とは違い少し苦めですが、甘いお菓子とは良い組み合わせですわ」
この言葉を聞いたコギリが揚々と声を出す。
「実はそのお茶、私が今一番嗜んでいるお茶でして~~」
といった感じで、お茶とお菓子のおかげで二人の緊張は程よく綻んだ。
コギリに至っては聞いてもいない話をし始める始末。
この雰囲気に合わせて、本来の目的であるザディラの経営の様子を探ることにしよう。




