第十七話 下着姿はダメです!
――次の日・早朝
――コンコン
「失礼します、シオンお嬢様」
ノック音とルーレンの声。
彼女が朝食を運んできたようだ。
ゼルフォビラ家のルールとして朝食と昼食は自室で取り、夕食は都合が合うかぎり家族と取るとなっている。
昨日の様子から夕食は報告会を兼ねているため、夕食時は一堂に会する方針なのだろう。
俺は荒い息を漏らしながらルーレンへ入室の許可を出す。
「はぁはぁ、ふぅ~。どうぞ、入ってください」
失礼しますという言葉と共にルーレンが扉を開けて、朝食が乗るサービスワゴンを押しながら入ってくる。
そして、俺の姿を黄金色の瞳で収めると素っ頓狂な声を上げた。
「お、お嬢様、一体何を?」
「何をって、ちょっとした運動を行っていましたの」
そう答える俺はシャツ姿で汗まみれ。下はショーツのみ。
昨日の夜、鏡の前で虚弱そうな肉体を見た俺は早速強靭な肉体に改良すべく、早朝から室内でトレーニングを行っていた。
それをルーレンに伝えると、彼女はこう返す。
「トレーニング……どうしてそのようなことを?」
「あら、体を鍛えることは変ですか?」
「変ではありませんが……あの、そのお姿は?」
「部屋を探してもトレーニングに適した衣服がないようでしたので、少しでも動きやすい恰好をしているだけですわよ。ふふ、なにか問題があるのかしら?」
「その、いくら何でもゼルフォビラ家の令嬢ともあろうお方が下着姿では。それも汗まみれで、たとえ自室であっても」
「あらあらまぁ、意外にお堅いのですね、ルーレンは」
「いえ、私がお堅いわけでは……あの……その……えっと……」
ルーレンは何度も言い淀むような言葉遣いを漏らす。
明らかに変だと感じているが、主と使用人という関係であるため、それを言葉として表すことに躊躇しているようだ。
もっとも、それがわかっているからわざとからかっているのだが。ここまでにしてあげるか。
「クスッ、まぁ、貴族の令嬢たる者が自室で筋力トレーニングに励んでいれば妙に思うでしょうね」
「それは……」
「以前のわたくしがどうだったかはわかりませんが、今のわたくしは体を鍛えたいと思っています。美容と健康のためにね」
「美容って……」
「美容どころじゃないですよね、と思いましたか?」
「い、いえ、それはっ!」
「ふふふ、いいんですのよルーレン。思ったことは遠慮なく口にしてくださっても」
「え?」
「私はあなたを咎めたりしません。代わりに忌憚のない意見を戴きたいんですの。記憶がないため、以前のわたくしとは違い、貴族の令嬢らしからぬ言動や態度を取ることもあるでしょう。ですから、遠慮なくアドバイスをしてください」
この言葉にルーレンは戸惑いを覚えたのか、瞳をきょろきょろとして落ち着かない様子を見せる。
そんな彼女へ微笑みを見せながら、俺は腹の中でどす黒いそろばんを弾いていた。
(彼女とはなるべく近くでありたい。今のところ最も利用価値のある存在だからな。そのような者とあまり距離があっては有用な情報を引き出せない。そう、有用な情報をな……)
穢れに塗れた心を笑顔で覆い隠し、ルーレンへ更なる優しく温かい言葉を渡す。
「昨日一日だけでも、わたくしと家族の関係が良いものではないと痛感いたしました。だからこそ、ルーレンの優しさを頼りとしたいのです」
「私を……」
「昨日も申し上げましたけど、わたくしはあなたと友人でありたいと願っています。主と従者という関係ではなく、一人の友人としてアドバイスを頂きたいんですのよ」
「友達……」
「迷惑でしょうが、頼りにさせていただけませんか?」
「そ、そんな、迷惑だなんて!」
「では、これからは忌憚のないアドバイスをくださいね」
「……私は使用人という立場。ですが、他ならぬシオンお嬢様の願い。私如きが物を申すなど憚れますが、畏れ多くもシオンお嬢様の頼れる友人として有用だと思われる意見は伝えられるように努力いたします」
「ええ、お願いします」
俺はにこりと笑って言葉を返した。
ルーレンもはにかみを見せて返すが、すぐに眉を切りっと上げて強めの口調を見せてくる。
それに俺は思わずたじろいでしまった。
「では、シオンお嬢様早速ですが、今すぐシャワーをお浴びください! 風邪を引いてしまいます!」
「え? ええ、そうですわね」
「それに今後は、そのようなはしたない姿を見せてはなりません! ゼルフォビラ家の令嬢としての振る舞いを見せていただかないと!」
「そ、そんなにはしたないですか? ですが、トレーニングができるような衣服が……」
「トレーニングをしてはダメだとは言いませんし言える立場でもありませんが、令嬢として、いえ女性としてショーツ一枚で運動など絶対にダメです!」
「いえ、上も着て――」
「似たようなものです!」
「え、そ、そうなの?」
「はい、同じです。運動用の衣服は御用意いたしますので、今後はその服でトレーニングをお願いしますねっ!」
「は、はい……」
ルーレンはふんすっと鼻息を荒く飛ばし、俺はそれに対して小さな返事をするのがやっと。
滅茶苦茶怒っているのがわかる。
この様子から女性はおしとやかであるもの。
断じて下着姿でトレーニングをするような存在ではないという価値観の持ち主なのだろう……ま、おしとやかはともかく、下着姿でトレーニングをする存在はさすがに稀か。
さらにルーレンの場合、おしとやかさに令嬢という立場を加味して怒っているようにも見える。
その後、シャワーを浴びて、ルーレンが用意したナイトウェアに着替える。この後すぐにドレス姿になるんだけど……それを口に出したらまた怒られそうなので黙っておく。
窓傍にあるテーブル席でパンとジャムとハムエッグと果実のジュースというシンプルな朝食を取りながら、ルーレンへ声を掛ける。
「あなたの朝食は?」
「シオンお嬢様のお食事がお済みになり次第、使用人の食堂でいただきます」
「そうですか、大変ですわね。よろしければ、今後はここで一緒に食事を取りません?」
「シオンお嬢様、お戯れを。そのようなことはできません」
そう答え、ルーレンは顔を少し横にずらす。
しかし、俺は見逃さなかった。
彼女がテーブルに並ぶ赤い果実のジャムをちらりと盗み見したことを。
「フフ、ルーレンはジャムが好きなのかしら?」
「え? はい、好きですが……それが、どうされましたか?」
「それじゃあ、一切れいかが?」
パンにジャムをたっぷり塗ってルーレンの鼻先へ持ってくる。
彼女はそれを拒否しようとしたが、鼻腔をくすぐる甘い香りに胃は正直に答えた。
「ですから、お戯れは」
――ぐ~
お腹の虫が鳴く。
「あっ……」
「むふふ、どうやら体は正直なようね」
「お嬢様。その言葉、なんだかちょっと……」
「いかがわしく感じました?」
「まぁ、そう、ですね」
ふむ、いかんな。そんなつもりはなかったがおっさん臭が言葉に宿ってしまったようだ。
咳払いをして場の雰囲気を一掃し、もう一度ルーレンへ赤い果実のジャムがたっぷり乗ったパンを差し出す。
「ゴホン、おなかが空いた子を前にして食事はとりにくいですわ。だから、お食べなさい」
「でも――」
「これは命令です」
「あ……ずるいです」
「ふふ。はい、あ~ん」
ジャムの甘い香りの誘惑。
ルーレンはぐっと目を閉じて耐えるが、魅惑的な甘い香りは目を閉じても意味がない。
鼻先をスンスンと鳴らして、ちっちゃな口を開き、赤い果実のジャムに近づいていく。そして――
「あううう、あむっ。もぐもぐもぐもぐ」
「どうです?」
「うううう、美味しいです! ベリーの酸味と甘みと香りが口いっぱいに広がって美味しいです!!」
「ふふ、それは良かった。ルーレンは甘いものが好きなのかしら?」
「はい! ですが、あまり食べる機会はありませんが」
「そうですの? それはお給金が少ないから? それとも甘いものがそれほど出回っていないから?」
「いえ、どちらでもありません。お給金はドワーフの私であっても信じられないくらい戴いていますし、町には甘いお菓子のお店はたくさんありますし」
「なら、どうして?」
「それは~……」
言い淀むルーレン。これまでの経験則からルーレンがこういった態度を見せる場合、この家か俺に関係することだと思う。
だから、先程の言葉を伝える。
「ルーレン、忌憚のない意見をお願いします。記憶がないため、当然のことが当然だとわからないわたくしのために」
「えっと、はい。私はシオンお嬢様のお付きのメイドですので、お屋敷から離れることがあまりありません。それで」
「なるほど、引きこもりのわたくしのせいで町に訪れる機会がなくお給金を使う機会が少ない。甘いお菓子を購入する機会がない。というわけですね」
「そのような言われ方をすると、その」
「ですわね~、困っちゃいますわよね~」
「むっ、もしかしてわざとですか?」
「ごめんなさい。困り顔のルーレンが可愛いものだからつい」
「……もう」
小さく息を漏らすような声を出したルーレン。
その声の質には身分差を感じることはなく、友人に対する振る舞いに近いものがあった。
(はは、さっき怒ってから少し距離が縮まったようだな。この調子でこの子とは仲良くしていこう……それが必要なことだしな)




