時を遡った青年と、時を越えた王女
「スリード。時間遡行をしてみんか?」
「――いいけど」
祖父であるグリムに脈絡もなくそんなことを言われた男――スリード・ヘイロンは、特に深く考えることもなく了承した。グリムの突拍子のなさはいつものことだ。そして、どこか投げやりな彼も。
男ことスリード・ヘイロンは、マラシュー王国のヘイロン伯爵家三男だ。
このヘイロン伯爵家は、代々優秀な魔術師や魔法研究者を輩出してきた名家である。
特に、スリードの祖父である、グリムは群を抜いている。
彼の一大発明と言えば、誰に聞いても通信魔法道具と答えるだろう。
当時子爵の彼が現役だった数十年前に発明したそれは瞬く間に貴族、国家に普及し、それまで手紙が主流だった情報伝達の世界をひっくり返した。
今では一部の国を除き、大陸中のあらゆる国でグリム発明の通信魔法道具が使用されている。
また、この発明の功績が認められ、ヘイロン家は子爵から伯爵となったのだ。
一方で、スリードはそこまで才能に恵まれているわけではなかった。
決して不出来というわけではない。だが、優秀な祖父や父、さらには兄姉たちと比べられ、次第に彼は消極的になり、努力を諦め、塞ぎ込みがちな性格になった。
特に周囲に関心を示すこともなく、日々をぼんやりと生きている。17歳の伯爵令息でありながら、婚約者もいない。
両親を含めて家族は厳しいということはなく、三男であるということもあって、彼に何かを強要することはなかった。祖父母は孫たちをとてもかわいがっていて、男三人、女一人の孫全員を平等に扱っている。
そんなスリードであるから、グリムの発言がどれほどおかしくても、大きな反応を示したりしない。
「うむ、お前ならそう言ってくれると思っておったぞ」
スリードの返事に満足した様子のグリムは、懐から手の平大の球を取り出した。どうやらこれが時間遡行の魔法道具であるらしい。
グリムがまたとんでもないものを作り出したのは、スリードにも分かっている。現役を退いて何年も経つというのに、彼の探求心はとどまるところを知らない。
時間遡行など、普通なら信じられない。もし可能なのだとしたら、それは通信魔法道具など目ではないのではないか。
ただ、そのことは当の本人もちゃんとわかっているようで、
「このことは、ワシら二人の秘密じゃ。この時間遡行の魔法道具を使用するのも、お前が最初で最後だ」
こんなふうにスリードに言い含めた。
こんなものを世に発したら、まずいことになるだろうということは、スリードもよく理解していた。
もっとも、この様子では実験なども行っていないのだろう。かなり危険があるのは明らかだが、日々に楽しさを感じられないスリードにとっては、そんなことは些末なことだった。大事に思っているはずの孫を危険にさらすのは、どうかと思うが。
だが、グリムは完璧主義者だ。なので、この馬鹿げた魔法道具もしっかり形になっているはずだ。そんな信頼もあり、スリードは少し興味をひかれたのだ。
即決で試すことにしたスリードは、すぐに準備にとりかかった。
と言っても大層なことはなく、一応の着替えや少しの食料を詰めた包みを用意するだけだ。
準備を終えたスリードは、グリムの部屋に向かった。
他の者に気付かれてはいけないので、慎重に行動する。
部屋では、グリムが既に魔法道具を準備していた。
さほど時間を置かず、スリードは出発することにする。
「気を付けてな。向こうにどれくらい居れるかは分からんが、その魔法道具がある程度教えてくれるはずだ。お前にとっていい経験になることを願っているぞ」
「うん。――行ってきます」
簡単に言葉を交わし、スリードは魔法道具を発動させた。
「――本当に、遡ったみたいだ」
スリードを包んだ光が弱まった後、スリードが目を開くと、そこはまるで違う世界だった。
街のようであるが、スリードがよく知っている街並みよりも古風で、頼りなさを感じる建物が多い。
道行く人々が着ている服も、あまり質は良くなく、貧相な雰囲気を感じる。
それでも街は活気があり、人々が苦しんでいるような雰囲気はない。
やはりここは過去の世界なのだろうとスリードは直感した。同時に、こんな魔法道具を作り上げた祖父に呆れと尊敬の念を抱いた。
スリードが立っている場所はそこそこ目立ちそうな場所だが、彼が突然現れたことに気付いている人はいないようだ。
とはいえ、質の良い服を着ているせいで、周囲から好奇の目を向けられている気がする。
そんな視線を一旦避けようと、人気の少ない路地裏へと入るスリード。
そこでどうしようか悩んでいると、さらに奥の方から声が聞こえた。
『あの、どなたか、おられませんか……っ』
おそらく、少女の声だ。声は高く、よく透き通っている。声だけ聴けば、どこかの淑女のようにも思える。
そして少女が使った言葉。これはおそらくレストレイ王国のものだ。スリードが知っているものとは訛りが若干違ったが、昔と現在では違うこともあるだろう。
――スリードは、他者から見れば優秀なのだ。周囲の人間たちが優秀すぎただけで、本来は劣等感を抱くどころか、褒められるべき実力なのである。
ともかく、少女が独りでいるのは良くないだろうと思うほどには良心を持ち合わせているスリードは、声のしたほうへと歩を進める。
やがて角をいくつか曲がったところで、先ほどの声の主と思われる少女を見つけた。
外套についたフードを深くかぶっていて顔は良く見えないが、隙間からわずかに覗く髪はとても綺麗に手入れされた金髪だ。着ているものも高そうなものだ。やはりどこかの貴族の令嬢のようである。
こんな路地裏でよく無事だったな、と呑気に考える。
なぜ貴族令嬢がこんなところにいるのかという疑問を一旦放り出し、スリードは少女に声をかける。もちろん、彼女が使った言葉で。
『どうかなさいましたか?』
『……っ! えっと、連れの者とはぐれてしまって……道にも迷ってしまい……』
『……なるほど』
スリードは考える。
道を教えようにも、スリードにこのあたりの地理がわかるはずもない。連れの者とやらも、この広そうな街で探すのは骨が折れそうだ。なので、
『いったん大通りへ出て、どこか広場のようなところでお連れの方を待ちましょうか』
少女をこんなところで一人にはしておけない。
とりあえず探すのは『連れの者』に丸投げし、待つことを提案する。
貴族令嬢の連れなら戦闘能力や体力のある護衛がいるだろうから、そちらに任せた方がいいだろう。
『は、はい。それで構いません』
『わかりました。では行きましょう』
スリードは少女を連れ、来た道を戻り、広い道へ出た。
近くに見つけた広場のような場所で、2人はベンチに腰掛けた。
彼女が落ち着いたのを見て、スリードはほっと一息つく。
「助けて頂いて、ありがとうございました。街に来たのは、初めてだったもので……」
「いえ、構いませんよ。私はスリードと申します。あなたは?」
名乗って問い返すと、少女は一瞬躊躇う素振りを見せた後、名乗ってくれた。
「――シャルロッテ、と申します」
彼女――シャルロッテは、名乗ると同時にフードを外した。
その姿に、スリードは息を呑む。
とても美しい少女だ。顔だちはとても整っていて、透き通るような碧眼が艶やかな金髪に映えている。
それでいて、どこか垢抜けていないような雰囲気を感じる。背はそれほど高くないし、年相応といったところだろうか。
そんな心情を裏に隠し、スリードはシャルロッテに話しかける。
「今日はどうして街に来られたのですか?」
「少し、気分転換に……」
そう言ったシャルロッテの表情は浮かない。どうやらなかなか苦労しているようだ。
気分転換の外出ならば、スリードと似た境遇かもしれない。外出の規模が大違いだが。
そんなことをぼんやり考えていると、今度はシャルロッテの方から質問が飛んできた。
「スリード様は貴族のご子息、ですよね? この国の方のようには見えませんが、どちらからいらしたのですか?」
至極当然の質問に、スリードは悩む。
本当のことを言ったところで、信じてはもらえないだろう。
「……遠い国から、ですね」
逡巡した結果、曖昧に誤魔化すしかできなかった。
嘘は言っていない。
スリードの住むマラシュー王国とこのレストレイ王国は隣国ではない。なので、決して近い国どうし、というわけではない。
納得してくれたかは分からないが、幸い、彼女はそれ以上は聞いては来なかった。
思えば、シャルロッテも明らかに貴族の令嬢なのに、家名は名乗らなかった。言えないことがあるのはお互い様、といった具合なのかもしれない。
ひとまず挨拶は一段落したが、その後の会話は続かない。
場を繋げるような話題は何だろう、とスリードは考え、魔法はどうだろう、と思いついた。
昔は、あまり魔法が発達していなかったのだ。自分程度の知識でも、楽しんでもらえるかもしれない。そう思ったスリードだったが――
「魔法に興味はおありですか?」
「! 魔法、ですか!?」
――途端、シャルロッテの目つきが変わった。先ほどまでの沈んだ雰囲気が嘘のように、瞳が輝いている。
とりあえず興味は持ってくれたようだ。
「え、ええ。とりあえず、こんなのはどうでしょう」
そう言ってスリードは魔法で水球を作り出し、それを凍らせて見せた。凍結の魔法だ。
この程度はこの時代にもあるかもしれないが、と考えるが、隣のシャルロッテは凍った水球を食い入るように見つめている。
「す、スリード様、これは……」
「凍結の魔法といいます。氷を作ったり、食べ物を凍らせて長期保存するということも可能です」
「すごいです! 他には? 他には何かないですか!?」
「そ、そうですね、では――」
シャルロッテの変貌ぶりに驚くスリードだが、こちらが本来の彼女っぽいし、笑顔のほうが魅力的なので、何も言うことはなかった。
ちなみに、凍結の魔法はこの時代にはない。まだ水が凍る仕組みについて、不明な点が多かったからだ。
魔法として利用するなら、その現象について理解することが必要なのである。
こんな調子でスリードが魔法を披露していると、鎧を着た騎士らしき女性が近づいてきた。その表情には安堵が浮かんでいる。
「シャルロッテ殿下。ご無事で何よりです。お役目を果たさず、申し訳ございません」
「ジニー、よかった! 私は平気ですから、気にしないでください」
こちらも安堵した様子のシャルロッテが、騎士にそう返す。
一方、スリードは驚いていた。
「……シャルロッテ『殿下』、ですか?」
「あ」
騎士ジニーがしまった、という顔をする。その表情が真実を語っていた。
高位の貴族だろうとは思っていたが、まさか王女殿下だとは。
「構いません、スリード様は恩人ですし。改めて、私はレストレイ王国第三王女、シャルロッテ・レストレイと申します」
シャルロッテは、誤魔化すことなく名乗った。
露見してしまっては、隠す理由もない。
「今日はこのあたりでお開きにしましょう。明日、また会いに来ますから!」
「……わかりました。お待ちしています、王女殿下」
「シャルロッテ、で構いませんよ」
明日も来る、という王女の言葉に、スリードはそれでいいのかと思う。
しかし、シャルロッテの次の言葉で、そんな考えは吹き飛んでいった。
「スリード様は、宿に泊まられるのですよね? もうお取りになられましたか?」
「…………あ」
たっぷり数秒空けて、スリードが間抜けな声を漏らした。
「……実は、着の身着のままでこちらに来まして。恥ずかしながら、お金の持ち合わせがありません……」
「え……。……あらら……」
これにはシャルロッテもジニーも失笑だ。
冷静に考えれば、貴族の子女がひとりで、それも無一文で歩いているというのはおかしな話。しかしそれはシャルロッテにも言えることではあるが。
しかし、シャルロッテがジニーに耳打ちし、その後ジニーが小袋を差し出してきた。
「王女殿下を助けて頂いたお礼です。どうぞお役に立ててください」
「よろしいのですか?」
「もちろんです! お礼をするのは当然ですから」
スリードとしては、大したことをしたつもりはない。しかし、これがなければ困るのも事実なので、ありがたく受け取って、その日は解散となった。
翌日、同じ広場に向かったスリードは、本当にやってきたシャルロッテと出会った。
昨日と同じようにいくつかの魔法を披露しながら、魔法について話し合う。
その流れで、スリードは気になっていたことを尋ねた。
「シャルロッテ様は、魔法がお好きなのですか?」
「はい。その影響で魔法について研究しているのですが、なかなか成果が上がらず……」
なるほど。
おそらく彼女が昨日落ち込んでいたのはこれが原因だろう。
この時代はまだ魔法が発達していないようだし、未知に挑んでいるようなものだ。周囲に助けてくれる人もなかなかいないだろう。
「スリード様の魔法は、とても勉強になります。参考にさせていただいてもよろしいですか?」
「もちろん、構いませんよ」
「ありがとうございます! ……そういえば、」
シャルロッテは満面の笑みを浮かべたかと思うと、すぐに真剣な面持ちになった。
「スリード様は、どうしてこんなに魔法がお得意なのでしょう? 私が見たこともないような魔法も、たくさん……」
「……それは」
言葉に詰まる。
そうだ。魔法が発達していないのだから、スリードの魔法はこの時代では異端であると言える。
事実、ある意味で異端ではあるのだが、それを説明できようはずもない。
「……祖父が、魔法が得意でして。私も少しばかり学んでいました」
嘘ではない。本当のことも言ってはいないが。
後ろめたいものを感じながらも、誤魔化すしかできなかった。
シャルロッテは当然疑問に感じただろうが、それ以上聞いてくる様子はない。
少し重くなったような空気を変えるため、スリードは別の質問をする。
「ところで、今年は東暦何年でしたか?」
東暦、というのは世界共通の暦である。昔、東方で活躍した偉人の生誕の年を基準とした暦であるらしい。
現在は東暦1130年だが、この時代はいつ頃だろうか。
「今年ですか? 東暦で830年ですが……」
「ああ、そうでしたね。ありがとうございます」
さりげなく、聞き出すことに成功する。
どうやら300年も遡ってきたらしい、とスリードは内心で改めて驚いた。
それからも、シャルロッテは毎日のようにスリードを訪ねてきた。
スリードが魔法を見せ、シャルロッテが感心し、その魔法について談義する。
それがいつもの流れだった。
シャルロッテは、スリードの見せる魔法にいつも興奮し、屈託のない笑顔で褒めてくれる。
そのたびにスリードは嬉しくなった。認められていると、そう思えた。
同時に、嬉しさを感じている自分に驚きもした。久しく感じたことのない気持ちだったから。
いつの間にか、彼女と会うのが楽しみになっていた。
あるときは、魔法道具について話した。
案の定、シャルロッテの食いつきは凄かった。というのも、魔法道具というのはこの時代にはほぼ出回っていないらしい。後からそれを聞いたスリードは、やりすぎたかな、と後で少し反省した――
「このカップに、凍結魔法の術式を刻みます。――そして、そこに魔力を流すと……」
「わぁ……! 水が凍りました!」
「はい。魔力を加えるだけで、魔法を発動させることができます」
――反省が間違いだったと気づくのは、もう少し先の話だ。
そうやって多くの時間をシャルロッテと過ごしたスリードだったが、それも終わりが見え始めていた。
魔力補充のできない遡行の魔道具の魔力量が残りわずかになってきたのだ。
ここまで、25日。
この様子では、残り5日、といったところか。
彼女は、本当にほぼ毎日訪ねて来ている。
――本当のことを、話さなければならない。
国に帰る、とだけ言えばいいかもしれない。でも、ちゃんと伝えなければならない。そう思った。
同じように訪ねてきたシャルロッテに、スリードは包み隠さず話した。
シャルロッテはとても驚いていたが、冗談ととらえる様子もなく、真剣に聞いてくれた。
話し終えるころには、彼女は泣いていた。
「あと数日で……もう二度と、会えなくなってしまうのですね」
そう言って、シャルロッテは涙に濡れる顔を俯ける。
シャルロッテは、本気で別れを悲しんでくれているようである。
スリードとて、その思いは同じだった。
いつの間にか、彼も泣いていた。
ジニーに優しく見守られ、2人は泣き続けた。
残りの数日は、時間遡行の魔道具について話し合った。
シャルロッテが見てみたい、と言うので、術式を見ながらあれこれ議論していた。
これに関しては、スリードもさっぱりわからない。
2人で話し合ったとて、答えが出る兆しはなかった。
それでも、シャルロッテはかなり真剣だった。
いつもは意欲的に学ぶ、という印象だったのだが、今回はまるで必要に迫られている、というような必死さを感じるほどだった。
シャルロッテがこの魔道具に何を感じたのか、スリードは知る由もないが、彼女なりに思うところがあるのだろう、と考えて、彼も真剣に議論した。
そして、別れは訪れる。
「お元気で。シャルロッテ様」
「……スリード様も。どうかお元気で」
彼女は、涙を浮かべながらも、精一杯の笑顔を向けてくれた。
思わず見惚れてしまうような、美しい笑顔だった。
スリードも、精一杯の笑顔で返した。
うまく笑えたかは分からない。笑顔なんて、もうずっと忘れていたから。
それに――スリードだって、油断すれば涙腺が崩壊してしまいそうだったのだから。
「あなたのこと、絶対に忘れません」
「私こそ、決して忘れたりしません」
これが、最後の言葉になった。
スリードが光に包まれる。
光でお互いが見えなくなるまで、笑顔で、手を振り続けた。
光が徐々に弱くなる。
目を開けば、そこは魔道具を使った、あの部屋だった。
目の前には、祖父である、出発直前に見たままのグリム。
「おかえり。――いい旅に、なったようだな」
スリードの顔を見て、グリムが朗らかに言う。
それに対し、大きく頷く。
スリードが、出発してからどれくらいだ、と尋ねた。
グリムは、3秒ほどだ、と言って笑った。
元の時代に戻ったスリードは、レストレイ王国の歴史について調べた。
屋敷には歴史の資料はそれほどなく、王城の書庫に出入りすることになった。
そこで分かったことは、次のようなことだ。
約300年前、シャルロッテ第三王女は、15歳のころから突然才能の頭角を現した。そして当時では革新的な、今では魔法体系の礎となっている魔法理論を確立させる。
それをもとにさらに技術を発展させ、わずか7年で魔法技術に飛躍的な進歩を与えた。それと同時に、魔法道具についても製法を確立、広く普及させた。
彼女はその後すぐ、22歳という若さでこの世を去った。
彼女の棺は、今でも王城の地下に安置され、それに手を合わせに訪れるものがいるという――
彼が知りえた情報は、こんなところだ。
もちろん、知っていることもあった。彼女の7年間の活躍には目を見張るばかりだ。
しかし、知らなかったこと、最後の2つにはさらに驚きを隠せなかった。
特に、最後の1つだ。
どうして、未だ彼女の棺が残っているのか。
そして――遺体だとしても、彼女に会えるのならば。
――会いたい。
しかし、スリードは迷った。
本当に行ってもいいのだろうか、と。
シャルロッテは、スリードと別れた後、必死で努力したのだ。それも、世界が変わるほどに。
それに対し、自分はどうだろうか。
何か努力をしてきたわけでもないし、彼女に誇れるものが何もない。それに、彼女が亡くなったのは22歳であるという。
ならば、それ相応の努力をしなければならないだろう。それで初めて、彼女に会うことができる。
スリードは今17歳。シャルロッテが亡くなった22歳までの5年間、彼女のように努力を続けよう。
スリードはそう決意した。
スリードは5年間ひたむきに努力した。
たまには祖父であるグリムにも教わりながら、これまでなおざりにしていたところまで勉強に励んだ。
その甲斐あってか、期待されていた能力の一端は身に着けることができたように思う。
その過程で、スリードの後ろ向きがちな考え方も改善されていた。
前向きに努力することが自信につながったと言えるだろう。また、様々なものに興味を持ち、好奇心のようなものも強くなっていた。ともあれ、これでシャルロッテに会いに行ける、と考えたスリードは、決意をしたちょうど5年後、22歳のときに、レストレイ王国へ向けて出発した。
レストレイ王国へは、間の他国を通過する必要がある。
そのためそこそこの時間をかけて、レストレイ王国の王都へたどり着いたスリード。
馬車に乗ったまま、関所を通過するため、貴族用の列へ並ぶ。
自分たちの番が回ってきて、門番に名乗って貴族証を見せると、門番の表情に緊張が走った。
「マラシュー王国のスリード・ヘイロン様。申し訳ありませんが、しばらくこちらでお待ちいただけないでしょうか」
「ええ、構いませんが……」
明らかに様子の変わった門番に従い、城壁内の応接室に通される。
しばらく待っていると、どこかに走っていたらしき門番の一人が入ってきた。
「お待たせいたしました。これより、国王陛下に謁見していただきたく思います」
「え、国王に、今からですか?」
突然の申し出に困惑するスリード。
目的が目的ゆえ、国王に会うつもりではいた。しかし、本来国王に会うならば礼を欠かぬようきちんと準備しなくてはならない。
そう伝えたが、国王は気にしていないからお願いする、と再度言われ、大人しく従うことにした。
「貴公が、スリード・ヘイロン殿か」
「左様でございます。お初にお目にかかります」
「堅くなくて構わぬ。気楽にしてくれ」
広間に通され、そのまま王と対面するスリード。
王は厳かな雰囲気を醸すでもなく、気軽にするようにと笑った。
「さて、早速だが、貴公がこの国に来られた理由を聞いても?」
「はい。この国には、いまだ彼のシャルロッテ様の棺が安置されていると聞き――」
それを聞き、王は頷いた。わが意を得たり、というような表情だ。
「ついて来られよ。案内しよう」
王が玉座から立ち、広間の奥へと進む。
スリードは後からついていくが、他に誰かがついてくる気配はない。
棺はどうやら地下にあるらしく、国王と二人、長い階段を下りていく。
その間、国王は様々な話を語ってくれた。
「彼のシャルロッテ様は、300年前から現在に至るまで、代々の王へ言付けを遺されている。それが不思議なことに、スリード殿、貴方のことなのだ。この国に来られた際、丁重にお迎えすること。そして、棺へと誘うこと。その真意は詮索してはならないとも伝わっている」
「貴公の祖父であるグリム殿も、ここに来られたことがある。元々優れていた彼の創る魔法道具の凄みがさらに増したのも、それ以降だったように思う」
「氷の棺は、魔法道具になっていてな。凍結の魔法に、我々も見たことがないような術式が組み合わせられている。解読しようとしても、未だできていないのだ」
そんな話を聞いていると、ついに階段が終わり、目の前に扉が現れた。
それを、国王がゆっくりと開く。
「どうぞ、中へ進まれよ」
中へ進む。王は入ってくるつもりはないらしい。
その中は、真っ白な空間だった。
厳かな幾本もの柱に、適度に装飾された室内は、まるでどこかの神殿のよう。
そして、正面。
白しかない世界に、薄く輝く青と、その中に燃えるような、赤いドレス。
少しずつ、近寄る。顔が徐々に鮮明になる。
目は閉じられているが、流れるような髪は眩しいような金色。
「――シャルロッテ、様」
疑うこともない、想い人。
棺の中の彼女は、15歳当時よりも成長している。7年経って22歳になればこのように美しくなるだろうと、想像できたとおりである。彼女はその22歳のまま止まっているようであった。
スリードの心臓が激しく脈打つ。
ここまで5年。やっと会えたという嬉しさ、安堵や、どうしようもない寂寥感が同時に湧いてきて、複雑な思いとともに、目から涙が滲みそうになる。
それをぐっとこらえ、棺の前で膝をつき、手を合わせる。
――偉大な貴女へ。ようやく会いに来れました。
あふれる思いを、届けたいと願いながら。
しばらく手を合わせたスリードは徐に腰を上げ、さらに棺に近寄る。
王が謎の術式があると言っていたのを思い出し、興味があったからだ。
聞けば、グリムもこの棺を見に来たという。あの祖父が、そんな魔法を見逃すとは思えず、彼も何かを感じただろう。
そっと棺の術式を覗く。
しばらく見ているうち、スリードの心臓は再び早鐘を打ち始めた。
――見たことのある、術式だったからだ。
忘れもしない、最後の数日。
シャルロッテと議論した、時間遡行の術式。
その術式と、非常によく似通っていた。
となれば。
この棺は、時間に干渉しているという可能性が高い。
詳しくはわからないが、棺の中の彼女が亡くなったはずの22歳のままであるとしたら、それは彼女の時間が当時から止まっているということで――
(――もしかして、死んでいない――?)
そんな、願望にも似た推測が頭をよぎる。
心拍はさらに速くなり、希望という気持ちがどんどんと高まる。
だから、危うく見逃すところだった。
(……ん? この“綻び”は……?)
その術式に、違和感を覚えた。
大したことは分からなかったとはいえ、どこか必死なシャルロッテと数日間も議論したのだ。少しは術式について感じることがあるというもの。
スリードには、その違和感が術式の“綻び”のように見えた。そこを引っ張れば、容易くほどけてしまう、というような。
また、そこはスリードとシャルロッテが深く話していた部分でもあった。偶然とは思えない。
まるで、ほどけ、と言われているかのような――
(これは、本当に――)
スリードには、そうとしか思えなかった。
勝手なことをすれば、怒られるどころでは済まないかもしれない。
だが、希望があるのなら、やらずに後悔するよりいい、と考えた。
一向に落ち着く気配のない心拍をどうにか抑えようとしつつ、意を決して術式に触れる。
綻びを引いた。
引いていくほど、術式が解けていく。
それは、すぐそばにあった凍結の術式にも及んで――
部屋が光に包まれる。
思わず一歩下がり、目を閉じて手で覆う。
氷が解けていく気配。
時間が固定されていた空間が、呼吸を思い出したかのように動き出し――
光が消えた。
そっと目を開ける。
そこには赤いドレスを纏って佇む、金髪の女性。
その姿を見て、無意識に呟く。
「――シャルロッテ様」
女性――シャルロッテが、目を開く。
視線を徐々に上に向け、スリードと目が合う。
彼女の瞳が、じわりと滲む。
「――スリード、様」
少し変わった、それでも聞きたかった、その声。
どちらからともなく、互いに歩み寄る。
スリードの目にも涙が滲む。
互いに、お互いは目の前。
「ずっと、会いたかった」
「私も、会いたかった」
同時に手を広げる。
そのまま一歩、お互いに抱き合う。
初めて触れる相手の肌は、どちらにとってもとても暖かい。
「愛しています。――私と、結婚してください」
「はい――。私もあなたのことを、愛しています」
そのまま、二人は抱き合って泣き続けた。
それを見る者、邪魔する者は、誰一人いなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
一応少し裏設定とか考えていましたが、長くなったので割愛で。
楽しんでいただけたのなら幸いです。